第58話 次は誰も知らない
黒槍を見たまま、継ぎ獣はすぐには動かなかった。
さっきまでより少しだけ距離を取っている。俺が剣で届く範囲は知っていた。でも今は、その外からでも届く。
「効いてるね」
フィアが短剣を構えたまま言う。
「たぶん」
俺は黒槍を握り直した。
長い。剣の時とは、持ち方から違う。
右手を柄の後ろへ。左手は真ん中より少し前。両手の間を広く取る。
さっき初めて突いた時、無意識にそうしていた。
「こんな感じ?」
『たぶん』
「たぶんなんだ」
『私も分からない』
やっぱりクロ自身も、全部を思い出しているわけじゃない。
試しに穂先を左右へ動かしてみる。重い。剣みたいに手首だけでは動かせず、大きく振ろうとすると長い柄に身体ごと引っ張られる。
『振らない』
「うん。それは分かった」
『前に』
「突く」
『うん』
なら今は、それだけでいい。
柄の後ろを右手で押し出し、前の左手で向きを合わせる。剣みたいに斬りに行くんじゃない。穂先を届かせたい場所へ真っ直ぐ送る。
「クロ」
『何?』
「俺、槍なんて使ったことないんだけど」
『私も覚えてない』
「似た者同士だな」
『うれしくない』
「俺も」
少しだけ肩の力が抜けた。
継ぎ獣の胸を見る。
さっき刺した辺りの甲殻はもう閉じかけている。同じ場所を、もう1度狙わせるつもりはないらしい。
「次、どこ?」
聞きかけて止めた。
「……いや。決めるんだよな」
『うん』
「じゃあ任せる」
クロは継ぎ獣をじっと見た。胸、脚、肩、その奥へと視線を動かしていく。
やがて。
『柱』
「え?」
『あれ』
クロが見ているのは、隔離訓練場の中央寄りに立っている太い支柱だった。
「敵じゃなくて?」
『うん』
理由は分からない。
でも、クロが決めると言った。
「分かった」
俺は走る。
継ぎ獣が反応し、黒槍の穂先を見る。俺はそのまま真正面へ向けて進んだ。
それだけで、継ぎ獣が少し下がる。
今までなら、剣を振るためにもう1歩入らなきゃいけなかった距離。
黒槍なら、そこからでも届く。
「そこじゃない!」
右足を止め、腰を落とす。
左手で穂先を柱へ合わせ、右手を後ろから押し出した。
黒い穂先が一直線に伸びる。
ガッ!
支柱へ刺さった。
「硬っ!」
手のひらに衝撃が返ってくる。
剣なら刃を滑らせていたところを、黒槍では一点へ押し込んでいる。木が深く軋んだ。
「何してるの!?」
フィアが叫ぶ。
「分からない!」
『折る』
「だって!」
「分かんないままやってるの!?」
「クロが言った!」
「ならいい!」
いいのか。
いや、今はそれでいい。
俺は刺した道をそのまま引くように黒槍を抜いた。
横へ払おうとすると遅い。長い柄を身体の近くへ戻し、次の動きへ備える。
そこへ継ぎ獣が踏み込んできた。
「ベル!」
『おう!』
黒槍を身体の横へ逃がし、ベルを前へ出す。
正面から受けた衝撃に足が滑るが、すぐ横からセイルの風が入った。継ぎ獣を押すんじゃない。俺の足元へ風を当て、踏ん張る方向を支えてくれている。
「助かる!」
「長くは無理です!」
「十分!」
フィアはもう動いていた。
継ぎ獣の横へ回りながら、短剣ではなく地面に落ちていた縄を拾う。
「フィア?」
「柱でしょ!」
「たぶん!」
「じゃあ手伝う!」
縄の先を追って上を見る。
訓練用の吊り重り。
支柱と繋がっている。
「なるほど!」
「今さら!?」
「今分かった!」
クロが狙った理由も見えた。
支柱を弱らせて、吊り重りを落とす。敵そのものを攻撃するんじゃない。
動ける場所を変える。
「もう1回!」
『うん』
ベルを一度引き、黒槍を両手へ戻す。
左足を前へ。
右足を後ろへ。
柄の後ろを腰の横まで引き、穂先をさっきとは少し違う高さに合わせた。
継ぎ獣が追ってくる。
「ベル!」
『何度も使うな!』
「あと少し!」
『しゃあねえ!』
ベルが進路へ入る。
継ぎ獣の前脚が大盾へぶつかる。押し込まれるが、数秒あれば十分だ。
「フィア!」
「いつでも!」
「セイル!」
「こちらも!」
俺は左手を支点にして、右手で柄を押し出した。
黒い穂先が木の割れ目へ入る。
バキッ!
支柱が大きく裂けた。
「今!」
フィアが縄を引く。
上の重りが揺れ、支柱が傾く。
継ぎ獣が気づいて離れようとするが、セイルの風が足元の砂を巻き上げた。一瞬だけ視界が切れる。
その隙に。
重りが落ちた。
ドンッ!
地面が揺れる。
継ぎ獣は直撃を避けて横へ跳んだ。
「中央へ寄った!」
フィアが叫ぶ。
狙い通り。
左右には倒れた支柱と重り。後ろには壁。継ぎ獣が動ける範囲が、さっきより狭くなっている。
「クロ、これ?」
『うん』
「最初から言ってくれればよかったのに!」
『決めた』
「理由は!?」
『あとで』
「今じゃないんだ!」
でも正しかった。
俺は黒槍の石突き側を少し下げ、穂先を継ぎ獣へ向ける。
振り上げない。
ただ、正面へ置く。
それだけで「ここへ入れば届く」という距離ができる。
剣とは違う。
攻撃を始める前から、相手の進路を狭められる。
「これ、結構便利だな」
『まだ下手』
「知ってる」
実際、腕はもう疲れ始めていた。
長い武器を水平に保つだけでも力を使うし、持ち替えるたびに動きが遅れる。
使える。
でも、まだ自由には扱えない。
継ぎ獣が低く唸る。
今度はすぐには来ない。
俺、フィア、セイル、ベル。
そして黒槍。
全部を見ている。
「考えてる?」
「たぶん」
フィアが矢をつがえる。
「なら先に」
「待って」
継ぎ獣の右後脚。
さっきまでと少し違う。
「フィア。右脚」
「怪我?」
「分からない」
フィアが目を細めた。
「……うん」
「見える?」
「右だけ、地面に着けてる時間が短い」
戦歴じゃない。
今の戦いでできた傷だ。
継ぎ獣が以前から知っていた情報じゃない。
「そこなら」
「読めない?」
「少なくとも、前の記録にはない」
フィアが弓を引く。
「じゃあ狙う」
「任せる」
矢が右後脚へ飛ぶ。
継ぎ獣は避けた。
速い。
でも着地した瞬間、身体が一度だけ沈む。
「やっぱり!」
フィアがもう1本。
今度は脚そのものではなく、逃げる先へ。
継ぎ獣がさらに避け、右脚へ負担がかかる。姿勢がわずかに崩れた。
「今!」
俺は黒槍を腰の横へ引いたまま走る。
穂先は前。
振らない。
継ぎ獣の間合いの外で止まり、左手で狙いを肩へ変える。
短く踏み込む。
右手で柄を押し出す。
穂先が伸びる。
継ぎ獣が避けた。
それでいい。
避ければ、右脚へ体重が乗る。
「セイル!」
「押します!」
風が崩れている側へ当たる。
強くはない。
でも、その少しで十分だった。
継ぎ獣の右脚が沈む。
「来た!」
フィアが入った。
短剣が右後脚へ浅く入る。
すぐ抜く。
継ぎ獣が大きく身体を振った。
「離れて!」
俺は黒槍を引き、柄を身体へ寄せる。
横へ振らない。
この長さのまま振り回せば、フィアまで巻き込みかねない。
次の瞬間。
継ぎ獣の尾が大きく振られた。
俺へ。
違う。
フィアへ。
「危ない!」
距離がある。
俺は黒槍を片手側へ寄せ、ベルを持ち上げた。
『小僧!』
「頼む!」
『遠い!』
「分かってる!」
前と同じ。
フィアまで盾そのものは届かない。
「ベル!」
『分かってる!』
声が違った。
迷いがない。
『あいつも守る!』
ベルの縁が金色に光る。
前より少しだけ広い。
でも、まだ薄い。
俺の前から横へ滲んだ光が、フィアの手前まで伸びる。
完全な壁じゃない。
継ぎ獣の尾が触れた瞬間、光が大きく歪んだ。
『ぐっ!』
「ベル!」
『持たねえ!』
「十分!」
軌道が少し逸れる。
フィアがその隙に転がった。
尾が地面を叩き、金色の光はすぐに消える。
『はぁ……っ』
「大丈夫?」
『知らん!』
「それ大丈夫じゃないやつだろ!」
『うるせえ!』
声は強い。
でも、少し苦しそうだった。
「もう使うな」
『できるかどうかも分からん!』
「なら余計に!」
『分かってる!』
フィアが戻ってくる。
「助かった」
ベルが一瞬黙った。
『……おう』
それだけ。
でも十分だった。
俺は黒槍をもう一度両手で構える。
前の手で穂先を合わせ、後ろの手で押す。
今はまだ、それしかできない。
でもそれでいい。
必要なのは、槍を上手く扱うことじゃない。
届かせることだ。
継ぎ獣がまた姿勢を変えた。
右脚を庇っている。
ただ。
それだけじゃない。
「何か変」
フィアが言う。
「どこ?」
「動き」
継ぎ獣の身体が小さく震えている。
自分で止められていないみたいに。
「さっきまでと違う」
セイルも目を細めた。
「痙攣に近いですね」
「怪我のせい?」
「それだけではなさそうです」
継ぎ獣の胸で、白い線が脈打った。
一度。
二度。
そのたびに身体が震える。
「クロ」
『うん』
「見える?」
『……白い』
「核?」
『違う』
「え?」
クロが目を細める。
『あれ』
継ぎ獣を見る。
『こいつじゃない』
「何が?」
『見てるの』
白い線が強く光った。
継ぎ獣が苦しそうに身体を曲げる。
誰かに助けを求めているわけじゃない。
ただ、本能とは別の何かに引っ張られているように見えた。
「クロ。あれ、継ぎ獣が自分でやってる?」
『……分からない』
クロは少し間を置いた。
『でも、違う』
白い線。
継ぎ獣。
その奥にある、俺たちには見えない何か。
考えている暇はなかった。
継ぎ獣が大きく吠える。
さっきまでより、ずっと苦しそうな声だった。
「来る!」
フィアが構える。
俺も黒槍の穂先を前へ向けた。
今度は突くためじゃない。
近づけば届く。
その距離を作るために。
でも継ぎ獣は俺たちへ来なかった。
自分の胸を地面へ叩きつける。
「え?」
甲殻が開いた。
一瞬。
白い光。
その奥に、別の色が見える。
「クロ!」
『見えた』
「核?」
『うん』
初めて、はっきり見えた。
継ぎ獣の胸の奥。
白い線とは別に。
黒く脈打つもの。
「フィア!」
「見えてる!」
「セイル!」
「位置を覚えました!」
ベルも前へ出る。
『次は外すなよ、小僧!』
「分かってる!」
俺は黒槍を引いた。
右足を後ろ。
左足を前。
穂先を低くする。
次に突くなら胸の中央。
そう考えたところで。
『ルカ』
「何?」
『次』
「うん」
『あそこ』
クロの声が静かに響く。
俺は黒槍を握り直した。
今度は俺が狙いを決めるんじゃない。
クロが示す場所へ。
俺が穂先を届かせる。
継ぎ獣も俺たちを見ている。
次に誰が動くのか。
俺にも分からない。
フィアにも、セイルにも、ベルにも。
きっとクロにも。
でも、それでいい。
継ぎ獣が知らないなら。
次は俺たちだって、まだ知らなくていい。




