第57話 届かないなら
黒剣の先が伸びたのは、本当に一瞬だった。
細く。
鋭く。
剣とは違う形。
でも、俺にもクロにも、それが何だったのかは分からない。
『今の……何』
クロの声が揺れている。
「分からない。でも、確かに伸びた」
継ぎ獣がこちらを見た。
胸の奥。
甲殻の隙間から、白い光がまた一瞬だけ覗く。
クロが反応する。
『あそこ』
「うん」
『届かなかった』
「あと少しだった」
黒剣を見る。
今はもう、いつもの長さに戻っている。
「もう1回できる?」
クロは答えなかった。
代わりに、自分の刃をじっと見ている。
『分からない』
「そっか」
『……ごめん』
「なんで謝るんだよ」
『届かなかった』
「クロのせいじゃない」
継ぎ獣が低く身を沈めた。
考えている時間は長くない。
「無理ならやらなくていい」
『でも』
「今できないことを無理にやって、クロまで動けなくなったら困る」
クロが俺を見る。
「剣のままでも戦える。今までもそうしてきただろ」
『……うん』
「だから、まずはそれでいい」
言いながら。
本当は、さっきの形が気になって仕方なかった。
届かなかった距離。
継ぎ獣が俺たちの剣の間合いを知っているなら、そこから外れた攻撃はきっと通る。
でも。
だからって、クロに無理をさせるのは違う。
「来る!」
フィアの声。
継ぎ獣が踏み込んだ。
今度は俺へ。
ベルを正面へ出す。
そう思わせる。
直前で横へ。
継ぎ獣の爪が空いた正面へ走る。
「セイル!」
「はい!」
風が継ぎ獣の肩へ当たる。
強く押すんじゃない。
ほんの少し。
身体の向きを変える。
継ぎ獣の爪が俺の横を抜けた。
「フィア!」
「見えてる!」
矢が飛ぶ。
肩。
違う。
後脚の前。
継ぎ獣が避ける。
そこへもう1本。
今度は地面。
継ぎ獣の足元で石が跳ねた。
動きが止まる。
ほんの一拍。
「ベル!」
『おう!』
俺は大盾を前へ押し出した。
ぶつけるんじゃない。
進路を切る。
継ぎ獣が右へ。
「クロ」
『うん』
「どこ?」
『左』
俺も左へ回る。
継ぎ獣の横。
黒剣を振る。
避けられる。
分かっている。
だから止める。
「今!」
フィアが短剣を拾いながら入り込んだ。
俺の攻撃へ反応した継ぎ獣の内側。
肩の下。
短剣が浅く入る。
すぐ抜く。
追わない。
フィアも離れる。
「いい!」
「まだ!」
継ぎ獣の後脚が膨らむ。
動きが変わる。
速さを上げている。
「また来る!」
今度はフィアへ。
さっきより速い。
俺が動こうとする。
「来ないで!」
止まる。
フィアは自分で左へ。
継ぎ獣も左。
右へ。
追う。
「速すぎ!」
フィアの足がわずかに遅れる。
「セイル!」
「押します!」
風がフィアの背を叩く。
半歩。
それで距離が開く。
「助かった!」
「次は同じようにはいきません!」
「分かってる!」
継ぎ獣がセイルを見る。
やっぱり覚えている。
風で押す。
避ける。
それももう材料になっている。
「セイル、次は?」
「まだ考えていません」
「それでいい!」
継ぎ獣が地面を蹴る。
今度はセイル。
速い。
セイルが右手を出す。
継ぎ獣の身体がわずかに左へ寄る。
風。
そう思った。
違う。
風はセイル自身の足元に入っていた。
身体を後ろへ滑らせる。
継ぎ獣の爪が空を切る。
「また自分に?」
「今回は後ろです!」
「細かい!」
でも効いている。
継ぎ獣は一瞬遅れた。
俺たちが変えるたび。
継ぎ獣も学ぶ。
継ぎ獣が学ぶたび。
また変える。
ずっと続けられる気はしない。
どこかで決めないと。
「クロ」
『うん』
「胸、まだ見える?」
継ぎ獣の身体を目で追う。
白い光。
さっきより見えにくい。
甲殻が閉じ始めている。
『見える』
「どこからなら届く?」
クロが黙る。
探している。
『近く』
「近づいたら読まれる」
『うん』
「他は?」
少し間。
『ない』
やっぱり。
剣のままなら届かない。
近づけば、継ぎ獣は俺の間合いを知っている。
同じ距離。
同じ踏み込み。
同じ腕の動き。
そこまで記録にある。
「だったら」
口にしかけて、止める。
クロを見る。
「クロはどうしたい?」
『……私?』
「さっきの長いの」
俺が決めるんじゃない。
「もう1回やってみたい?」
クロはすぐには答えなかった。
継ぎ獣を見る。
胸の白い光。
それから。
自分の黒剣を見る。
『怖い』
「うん」
『分からない』
「うん」
『前のこと、思い出せない』
「それでもいい」
『でも』
クロの視線が継ぎ獣へ戻る。
『届かせたい』
その言葉は小さかった。
でも、はっきりしていた。
「分かった」
『やっていい?』
「もちろん」
『失敗したら?』
「その時は俺たちで何とかする」
フィアがこちらを見る。
「何?」
「クロが、もう1回試す」
「時間いる?」
「たぶん」
「どれくらい?」
「分からない」
「了解」
それだけ言って。
フィアは前へ出た。
「フィア?」
「時間作ればいいんでしょ」
「でも」
「ルカはクロ見てて」
継ぎ獣がフィアを見る。
フィアは短剣を構えた。
弓じゃない。
後ろでもない。
真正面。
「ちょっと!」
「大丈夫!」
「その言い方は大丈夫じゃないやつだろ!」
「知ってる!」
継ぎ獣が走る。
フィアも前へ出る。
逃げない。
短剣を振る。
継ぎ獣が避ける。
フィアも追わない。
すぐ横へ。
次の爪をぎりぎりでかわす。
「セイル!」
「見ています!」
セイルの風がフィアの足元へ。
今度は押さない。
砂を巻き上げる。
継ぎ獣の視線が一瞬だけ切れる。
「フィア、右!」
「分かってる!」
俺はクロを見る。
「どう?」
『分からない』
黒剣が震える。
さっきみたいな光は出ない。
「急がなくていい」
『でもフィアが』
「フィアは時間を作るって自分で決めた」
継ぎ獣の爪がフィアの肩を掠める。
「っ!」
「フィア!」
「浅い!」
服が裂ける。
血は少し。
本当に浅い。
「見るな!」
「でも!」
「クロ見て!」
言われる。
俺は歯を食いしばる。
助けに行きたい。
でも。
フィアが自分で選んだ。
今は信じる。
「クロ」
『うん』
「今、何が浮かんでる?」
『……長い』
「形は?」
『分からない』
「持ち方は?」
クロが目を閉じる。
『両手』
「両手?」
『前に』
「うん」
『突く』
記憶じゃない。
たぶん。
身体に残っている何か。
「じゃあ、それでいい」
『それだけ?』
「十分」
俺はベルを地面へ立てる。
『おい、小僧』
「数秒だけ貸して」
『今度は俺様を置く理由あるんだろうな』
「ある」
『ならいい!』
ベルを前へ。
盾そのものを壁にする。
「ベル、フィアの方見て!」
『おう!』
継ぎ獣がフィアへ詰める。
フィアの足が止まる。
今度は逃げ道が少ない。
「フィア、下がって!」
「まだ!」
「もう十分!」
「あと少し!」
継ぎ獣が飛び込む。
ベル。
「頼む!」
『任せろ!』
俺は大盾を斜めに押し出した。
継ぎ獣の肩がぶつかる。
衝撃。
「ぐっ!」
腕が沈む。
足が滑る。
でも。
数秒。
それでいい。
『小僧!』
「まだ!」
『無茶すんな!』
「ベルもしてるだろ!」
『俺様は盾だ!』
「それ禁止!」
『何がだ!』
少し笑いそうになる。
でも余裕はない。
継ぎ獣がベルを押す。
重い。
強い。
「セイル!」
「支えます!」
風が俺の背中へ当たる。
押すほどじゃない。
足元がずれない程度。
それだけで助かる。
「クロ!」
『……うん』
黒剣が震える。
今度は。
刃の先じゃない。
柄。
鍔。
全体。
黒い光が薄く滲む。
「来た?」
『分からない』
「そのまま」
『怖い』
「俺も」
『ルカも?』
「そりゃ怖いよ」
『……そっか』
「でも」
ベルがまた押される。
フィアが横から短剣を入れる。
セイルの風が足元を乱す。
みんなが時間を作っている。
「届かせたいんだろ?」
クロが継ぎ獣を見る。
白い光。
胸の奥。
『……うん』
「じゃあ行こう」
クロが息を吸う。
そんな必要があるのかは分からない。
でも。
確かにそう見えた。
『届かせたい』
黒い光が走った。
刃が縮む。
「え」
違う。
縮んだんじゃない。
形が変わっている。
柄が伸びる。
黒い刃が細くなる。
剣の重心が前へ移る。
俺の両手の中で。
黒剣が。
長い武器へ変わっていく。
「クロ……」
俺の身長より長い。
細い黒の穂先。
長い柄。
見たことのない形。
でも。
名前だけは。
なぜか分かった。
「……槍」
『……うん』
クロの声が震える。
『黒槍』
継ぎ獣が反応した。
遅い。
ほんの一瞬。
でも、確かに遅れた。
「ベル!」
『行け!』
俺は大盾から手を離す。
継ぎ獣が俺へ向く。
いつもの剣の間合い。
そこへ反応しようとする。
でも。
もう違う。
「フィア!」
「開ける!」
矢が飛ぶ。
継ぎ獣が避ける。
避けた先。
セイルの風。
踏み込みがずれる。
「クロ!」
『前』
両手で黒槍を持つ。
「突く!」
『うん!』
踏み込む。
継ぎ獣が下がる。
でも。
距離が違う。
いつもなら届かない場所。
そのまま。
黒い穂先が伸びる。
胸へ。
甲殻の隙間。
白い光。
「届いた!」
手応え。
浅い。
でも確かに。
穂先が中へ入った。
継ぎ獣が大きく身体を跳ねさせる。
「離れて!」
フィアの声。
俺はすぐ槍を引いた。
次の瞬間。
前脚が通り過ぎる。
ぎりぎり。
「危なっ!」
『同じの、もうダメ』
クロ。
「分かってる!」
継ぎ獣がこちらを見る。
白い光。
黒槍。
俺。
全部を見ている。
もう学び始めている。
「1回だけか」
『うん』
「十分」
黒槍を見る。
長い。
重心も違う。
扱いにくい。
剣みたいには振れない。
俺の腕も慣れていない。
でも。
届く。
今まで届かなかった場所へ。
「クロ」
『うん』
「大丈夫?」
『……ちょっと変』
「戻す?」
クロは少し考えた。
『まだ』
「使える?」
『突くだけ』
「それでいい」
無理に剣みたいに使わなくていい。
今はこの形でできることだけ。
継ぎ獣が姿勢を変える。
胸の甲殻がさらに閉じていく。
もう同じ場所は通らない。
でも。
1度届いた。
それだけで十分だった。
クロが自分で選んだ。
俺が命令したんじゃない。
思い出せない過去に引っ張られたんでもない。
『ルカ』
「何?」
クロが継ぎ獣を見る。
『次』
「うん」
『私が決める』
俺は黒槍を握り直す。
「分かった」
次にどこを狙うのか。
俺は聞かなかった。
クロが決めると言ったから。
それでいい。
継ぎ獣が低く唸る。
黒槍の間合いを測るみたいに、さっきより少し遠くへ下がった。
俺はそれを見て。
少しだけ笑った。
今度は。
向こうが知らない距離だった。




