第56話 俺だけを守るな
継ぎ獣が踏み込んだ瞬間、最初に狙われたのは俺じゃなかった。
「セイル!」
黒い身体が地面を蹴る。
セイルは後ろへ下がらず、右手を振って足元へ細い風を走らせた。継ぎ獣の前脚がわずかに浮き、踏み込みがずれる。
その隙へフィアの矢が飛んだ。
「こっち!」
狙ったのは継ぎ獣じゃない。
地面。
矢尻が石へ当たり、甲高い音が響く。継ぎ獣の頭が一瞬だけそちらを向いた。
「今!」
俺は右から入る。
クロを肩の甲殻へ振るが、当たる直前に継ぎ獣が身体を沈めた。
「もう読んでる!」
黒剣が空を切る。
次の瞬間、尾が横から迫った。
『右!』
「っ!」
ベルを引き寄せる。
衝撃が大盾を叩き、腕から肩まで痺れた。足が半歩滑る。
「ルカ!」
「平気!」
継ぎ獣は追撃してこなかった。
すぐ離れる。
違う。
「フィア!」
俺を攻撃すると見せて、そのままフィアへ向かっている。
「見えてる!」
フィアが横へ跳ぶ。
継ぎ獣も追う。
左へ切れば左。
右へ変えれば右。
後脚の使い方まで、さっきより速く合わせてくる。
「しつこい!」
フィアは弓を背へ回し、短剣を抜いた。
近づいてくるなら近接で崩すつもりなんだろう。
でも。
「フィア、待って!」
継ぎ獣の肩が沈んだ。
突進じゃない。
「下!」
フィアがしゃがむ。
黒い爪が頭上を通り過ぎた。
避けた。
そう思った直後、継ぎ獣の身体がさらに沈み込む。
「え」
肩からの体当たり。
近い。
避けきれない。
「ベル!」
『分かってる!』
俺は走った。
間に入れる。
そう思った瞬間、継ぎ獣が前脚で地面を蹴る。狙いが変わった。
今度は俺。
「っ!」
ベルを上げる。
爪を受ける。
重い。
足がさらに押し戻された。
『小僧! 下がれ!』
「フィアは!?」
『先にお前だ!』
「違う!」
継ぎ獣がもう一度ベルへぶつかる。
俺が押される。
フィアとの距離が開く。
「ルカ!」
「大丈夫!」
また同じだ。
ベルは俺を守っている。
間違ってない。
俺を守る。
持ち主を守る。
自分がどれだけ削られても、俺だけは後ろへ通さない。
ベルにとって、それはただの役割じゃない。
たぶん、ずっとそうやって存在してきた。
「ベル!」
『なんだ!』
「俺だけ見んな!」
ベルの声が止まった。
『……何だと?』
怒った声ではなかった。
聞き間違えたみたいな声だった。
「フィアもいる!」
『んなこと分かってる!』
「セイルもいる!」
『分かってるって言ってんだろ!』
ベルの声が荒くなる。
でも、いつもの勢いだけじゃない。
何かを否定されたような苛立ちが混じっていた。
『だから俺様は、お前を守ってんだ!』
「だから違う!」
『何が違う! 俺様は盾だ! お前が持ち主で、お前を守るためにここにいる! それの何が悪い!』
胸を殴られたみたいだった。
ベルにとって。
それは当たり前だったんだ。
自分が盾であること。
俺を守ること。
そこに迷う理由なんてなかった。
「悪くない」
『だったら!』
「でも、それだけじゃ足りないんだ!」
継ぎ獣が離れる。
今度こそフィアへ向いた。
「フィア!」
フィアも逃げる。
でも後ろには壁。
右には訓練用の柱。
左には壊れた荷車。
逃げ道が少ない。
「セイル!」
「風を入れます!」
セイルが両手を出す。
風がフィアの横から吹き、身体を押した。
半歩。
それでも足りない。
継ぎ獣の爪が届く。
「ベル!」
『無理だ! 遠い!』
「じゃあどうすんだよ!」
『お前を守る!』
「今狙われてるのは俺じゃない!」
『分かってる!』
「だったら!」
『でも俺様は!』
ベルの声が詰まった。
初めてだった。
ベルが言葉に迷った。
『……俺様は、お前を守る盾だろ』
小さかった。
さっきまで怒鳴っていたのに。
今は、俺へ確かめるような声だった。
俺は一瞬だけ言葉を失う。
でも。
フィアへ迫る爪が見えた。
「そうだよ」
『……なら』
「だからって、俺だけ無事ならいいわけじゃない」
ベルの顔が歪む。
「俺はフィアにも生きててほしい。セイルにも。クロにも」
走る。
「ベルにも!」
『……俺様、も?』
ベルの目が見開かれた。
「当たり前だろ!」
ベルが黙る。
ほんの一瞬。
それだけなのに。
今まで見たことのない顔だった。
ベルは、自分が壊れることを数に入れていなかった。
盾だから。
守る側だから。
自分は最後まで立っていればいい。
ずっとそう思っていたんだ。
『馬鹿言うな』
「何が?」
『俺様は盾だぞ』
「知ってる」
『盾は守る側だ』
「知ってるよ」
『守られる側じゃねえ』
「それはベルが決めることじゃない」
『……っ』
ベルが言葉を失う。
継ぎ獣の爪が振り下ろされる。
フィア。
遠い。
ベルでは届かない。
俺の足でも間に合わない。
『くそ……』
ベルの声が震えた。
『届かねえ』
「ベル」
『目の前にいるのに』
半透明の拳が強く握られる。
『俺様は盾なのに』
悔しそうだった。
怒っている。
でも相手にじゃない。
自分自身に。
『守れねえのかよ』
俺は大盾を握り直す。
「じゃあ守ろう」
『届かねえって言ってんだろ!』
「届かなくても!」
俺も叫ぶ。
「守りたいって思うくらいできるだろ!」
ベルが息を呑んだ。
継ぎ獣の爪が迫る。
『……守れ』
「ベル?」
『守れ』
今度は強い。
『俺様の目の前で、誰も傷つけさせるな!』
誰に向けた言葉なのか分からない。
俺か。
自分自身か。
それとも。
『守れぇぇぇぇっ!』
その瞬間。
ベルの縁が光った。
金色。
ほんの少し。
細い光が大盾の表面から空気へ滲み、俺の前から横へ伸びていく。
フィアのいる方へ。
壁にはならない。
形もない。
ただ一瞬。
継ぎ獣の爪が何かに触れた。
ガンッ!
「っ!?」
軌道がずれる。
フィアの肩を狙っていた爪が、その横の壁へ突き刺さった。
石が砕ける。
「何、今の」
フィアが固まる。
俺も分からない。
ベルも。
半透明の姿のまま、呆然としている。
『……俺様が?』
「ベル?」
『今の……俺様か?』
「たぶん」
『たぶんって何だよ』
いつもの言い方。
でも、声が少し震えていた。
ベルが自分の手を見る。
それからフィアを見る。
『届いたのか』
「うん」
『あそこまで?』
「一瞬だけ」
『……そうか』
ベルの肩から力が抜ける。
フィアが無事だと分かった瞬間だった。
『……よかった』
小さかった。
聞き間違えそうなくらい。
「ベル」
『言うな』
「まだ何も言ってない」
『絶対言うな』
「何を?」
『うるせえ!』
戻った。
少しだけ笑いそうになる。
でも戦いは終わっていない。
金色の光も、もう消えている。
「今の、もう1回できる?」
『知らん!』
「やっぱり?」
『できるなら今すぐやってる!』
「分かった。じゃあ当てにしない」
『そこはもう少し期待しろ!』
「できたら頼む!」
『そのくらいでいい!』
継ぎ獣が爪を壁から抜く。
「フィア、動ける?」
「うん!」
「セイル!」
「こちらも問題ありません!」
フィアが壁際から離れる。
セイルが風を送り、足元の石片を払った。
俺も継ぎ獣との間へ入りかけて、止まる。
また俺が前へ戻る必要はない。
「フィア、そのまま前!」
「いいの?」
「危なくなったら下がって!」
「了解!」
フィアが短剣を構える。
俺は少し後ろ。
ベルを正面ではなく斜めに。
セイルはさらに後ろ。
クロは俺の右手。
『ルカ』
「何?」
『中』
「中?」
クロが継ぎ獣を見る。
『見えた』
「何が?」
『硬いところの奥』
継ぎ獣がフィアへ動く。
フィアも走る。
左へ。
継ぎ獣が追う。
そこへセイルの風。
今度は敵へじゃない。
フィアの背中を押す。
速度が少しだけ上がった。
「速っ」
「押しました!」
「急にやる!?」
「避けましたよね!」
「まあね!」
フィアが笑いながら切り返す。
継ぎ獣の反応が一瞬遅れる。
「クロ、どこ?」
『胸』
俺は見る。
白い線。
継ぎ獣の胸の奥。
甲殻の隙間から、一瞬だけ見えた。
「核?」
『分からない』
「でも狙う?」
『……うん』
走る。
フィアが作った隙へ。
クロを突く。
黒い刃が胸へ向かう。
届く。
そう思った瞬間、継ぎ獣の前脚が下から跳ね上がった。
「っ!」
クロを引く。
避ける。
浅い。
あと少し。
もう少し長ければ。
『……届かない』
「見えた?」
『うん』
「どこまで?」
『奥』
「斬れそう?」
クロは答えない。
継ぎ獣を見る。
さっき突いた場所。
甲殻の隙間。
白い光。
俺にも見えた。
確かに何かある。
「もう1回行く?」
『同じはダメ』
「だよな」
クロが考えている。
その間にも継ぎ獣は変わる。
胸の甲殻が少し閉じた。
今の突きまで覚えた。
「クロ」
『うん』
「別の場所からなら?」
『……届かない』
「距離?」
『うん』
黒剣を見る。
長さは変わらない。
届く間合いも分かっている。
その距離まで近づけば、継ぎ獣も分かる。
「もっと長ければな」
口にしただけだった。
クロがこちらを見る。
『長い』
「え?」
表情が変わった。
何かを思い出しかけた時の顔。
でも、まだはっきりしていない。
『前に』
「前?」
『……長かった』
「何が?」
クロは黒剣を見る。
自分の身体を見るみたいに。
『私』
黒剣が震えた。
「クロ?」
『分からない』
刃の先から黒い光が滲む。
『でも』
ほんの一瞬。
先端が伸びた。
「……え?」
剣じゃない。
細い。
長い。
槍の穂先みたいに。
ほんの一瞬だけ形を変え、すぐ元へ戻った。
クロ自身も目を見開いている。
『今の……何』
俺にも分からない。
でも。
届かなかった場所。
その先へ。
確かに一瞬だけ。
クロは伸びた。




