第52話 狙われた測定晶
訓練を終えたのは、日が傾き始めた頃だった。
3回目より4回目。4回目より5回目。
少しずつ動きは良くなった。
俺が全部を言わなくても、フィアは危険を伝える。ベルは大きな動きを見る。クロは自分で間合いを選ぶ。
それだけで、最初よりずっと楽だった。
「キュイ!」
訓練場を出たところで、トワが突然鳴いた。
「どうした?」
さっきまで俺たちの後ろをちょこちょこ歩いていたのに、足を止めている。
耳が立っていた。
大きな尻尾の先から、青白い光が滲む。
「トワ?」
フィアがしゃがむ。
トワは答えない。
ギルドの建物を見ていた。
「クルル……」
低い声。
嫌な鳴き方だった。
「何かいる?」
フィアが辺りを見る。
俺もギルドへ目を向ける。
外から見える範囲では何も変わっていない。受付の前にはいつも通り冒険者がいて、職員も行き来している。
なのに。
トワは動かなかった。
『小僧』
ベルの声も低い。
「ベルも?」
『何つうか……気持ち悪い』
『中』
クロが言った。
「中?」
『呼ばれてる感じ』
「誰に?」
『分からない』
嫌な予感がした。
その時だった。
ギルドの中から悲鳴が上がった。
「きゃああっ!」
「下がれ!」
「測定室から離れろ!」
俺とフィアは顔を見合わせた。
「行く!」
「うん!」
走る。
扉を抜けると、中は騒然としていた。
受付前にいた冒険者たちが出口へ押し寄せている。職員が声を張り上げ、誘導していた。
「ミナさん!」
受付の奥にミナさんがいた。
「ルカ!」
「何があったんですか?」
「測定室! 地下側の隔壁が破られた!」
「継ぎ獣?」
「たぶん!」
フィアがすぐ聞く。
「中に人は?」
「職員が2人。今、避難させてる!」
「先にそっちだ」
俺は測定室へ向かおうとする。
「ルカ!」
ミナさんに止められた。
「無茶しないで」
「分かってます」
たぶん。
前なら、言いながらそのまま突っ込んでいた。
今は違う。
「フィア」
「先に人」
「うん」
それだけで通じた。
廊下へ走る。
途中から、床に黒い汚れが続いていた。
壁にも。
爪で抉ったような跡。
「地下から来たのか」
「たぶん」
測定室の手前。
職員が1人、壁に寄りかかっていた。
「大丈夫ですか!」
「中に……もう1人……」
フィアがすぐ膝をつく。
「歩ける?」
「はい……」
「じゃあ出口へ。止まらないで」
職員は頷き、壁を使って立ち上がる。
俺は扉の向こうを見る。
測定室。
いつも俺のレベルを映していた場所。
その中央に。
継ぎ獣がいた。
「……でかくなってる」
思わず声が出た。
もう犬ほどじゃない。
四つ足で立っているのに、背中は人の胸くらいまである。
片側だけ異様に発達した肩。
長く伸びた前脚。
硬い板のような甲殻。
身体の形が、前よりさらに歪んでいた。
でも。
俺たちを見ていない。
継ぎ獣の前には、大型測定晶があった。
「人じゃない」
フィアが呟く。
継ぎ獣のすぐ横。
床に職員が倒れている。
意識はある。
腕を押さえている。
「助ける」
「うん」
俺はベルを構える。
『俺様が前だ』
「頼む」
フィアは何も言わず反対側へ回った。
クロも抜く。
『ルカ』
「分かってる」
何をするかは細かく決めない。
今見る。
今選ぶ。
俺は正面から入った。
継ぎ獣の耳が動く。
でもこちらへ来ない。
測定晶を見ている。
「フィア!」
「行って!」
俺は倒れている職員へ走る。
その瞬間。
継ぎ獣が動いた。
「っ!」
こっちじゃない。
測定晶へ。
前脚が大型晶石へ触れる。
白い光が弾けた。
「うわっ!」
測定室の中が一瞬、真っ白になる。
俺の足が止まった。
『ッ……!』
クロの声が頭の奥へ刺さる。
「クロ!?」
黒剣が震えた。
手から引かれそうになる。
『痛い』
「何が!?」
『引っ張られる』
ベルも反応した。
『なんだこりゃ……俺様まで……』
「ベル?」
『呼ばれてる。気色悪い』
大型測定晶の中に、白い線が走っていた。
1本。
2本。
3本。
今まで見た細い走査線とは違う。
晶石の内部を何本もの光が走り、継ぎ獣の前脚へ集まっていく。
「ルカ!」
フィアの声。
我に返る。
職員。
先だ。
「ベル!」
『おう!』
ベルを床へ滑らせるように前へ出す。
継ぎ獣との間へ置く。
攻撃を防ぐためじゃない。
視線と進路を塞ぐ。
俺は職員の腕を取った。
「立てますか?」
「な、なんとか……」
「肩貸します」
引き起こす。
フィアが反対側から来た。
「私が連れてく」
「頼む」
それだけ。
職員をフィアへ渡す。
「ルカは?」
「残る」
「無理しない」
「分かってる」
今度は本当に。
フィアは職員を連れて退室する。
継ぎ獣は追わない。
やっぱりだ。
「人じゃない」
俺は呟く。
こいつが狙っているのは。
測定晶。
『小僧!』
ベル。
見る。
継ぎ獣の背中が盛り上がる。
何か来る。
でも俺じゃない。
大型測定晶へ、再び身体を押しつけた。
白い線が増える。
『ルカ!』
クロが叫ぶ。
「分かってる!」
近づく。
斬る。
そう思った瞬間。
やめた。
前なら正面から斬りに行った。
それはもう見られている。
「クロ」
『うん』
「どうしたい?」
少し間。
『右』
「分かった」
理由は聞かない。
右へ回る。
継ぎ獣の身体が俺を追う。
でも一瞬だけ遅れた。
『今』
クロ。
斬る。
継ぎ獣じゃない。
大型測定晶の横に倒れていた金属製の仕切りを斬った。
支えが外れる。
ガシャン!
重い板が落ちた。
継ぎ獣と測定晶の間へ。
「離れろ!」
継ぎ獣が跳ぶ。
白い線が切れた。
『うっ……』
クロの震えも少し弱くなる。
「大丈夫?」
『まだ』
完全には戻っていない。
継ぎ獣が俺を見る。
今度ははっきり。
背中が冷える。
「見つかった」
『最初から見つかってるだろ』
「そうだけどさ」
継ぎ獣が走る。
速い。
俺はベルへ手を伸ばす。
でも。
『小僧、下!』
ベルが先に言った。
「下?」
見る。
床。
壊れた仕切り。
俺は蹴る。
金属板が滑る。
継ぎ獣の前脚の下へ入った。
ほんの少し。
足がずれた。
「今!」
誰に言ったわけでもない。
フィアの矢が飛んできた。
「え?」
戻ってきている。
矢が継ぎ獣の肩へ当たる。
深くは刺さらない。
でも向きが変わった。
「職員は!?」
「外!」
「早いな!」
「ルカが遅い!」
言い返す暇はない。
継ぎ獣がフィアを見る。
「フィア、左!」
「分かってる!」
フィアが走る。
俺は右。
いつもと逆。
継ぎ獣が迷う。
ほんの一瞬。
それで十分だった。
「ベル!」
『任せろ!』
大盾を床へ押し立てる。
継ぎ獣の進路が狭まる。
フィアがその隙に大型測定晶の横へ回った。
「何する!?」
「これ!」
壁に取り付けられた緊急用の隔壁レバー。
フィアが引く。
ゴゴゴ、と低い音。
天井から分厚い仕切りが降り始めた。
「ルカ!」
「分かった!」
俺も下がる。
継ぎ獣が測定晶へ戻ろうとする。
『行かせるな!』
ベル。
俺は大盾を横へ向けた。
受け止めるんじゃない。
押す。
「こっちだ!」
継ぎ獣の肩がベルへぶつかる。
「ぐっ!」
重い。
腕が痺れる。
でも数秒でいい。
「ルカ!」
フィア。
「まだ!」
隔壁が下がる。
あと少し。
継ぎ獣がベルを押し返す。
「っ……!」
『無理すんな!』
「あとちょっと!」
『小僧!』
ベルの声が強くなる。
違う。
俺1人で止める必要はない。
「クロ!」
『うん』
「どこ!?」
『脚』
「どっち!」
『左』
振る。
斬るんじゃない。
クロの峰で、継ぎ獣の左前脚を横へ払った。
体勢が崩れる。
「今!」
隔壁が落ちた。
ドンッ!
床が揺れる。
俺とフィアのいる側。
大型測定晶の側。
その間に、分厚い金属板。
継ぎ獣は向こう側だ。
「閉じた……」
俺はベルへ手をついた。
息を吐く。
「今の、結構よかったんじゃない?」
フィアが言う。
「自分で言う?」
「だって、誰も細かく言ってない」
「確かに」
俺が右へ回った。
クロが斬る場所を選んだ。
ベルが危険を伝えた。
フィアが戻ってきて、隔壁を下ろした。
最初から決めていたことは1つもない。
でも。
目的は同じだった。
「職員を逃がす」
「うん」
「継ぎ獣を測定晶から離す」
「うん」
「できたな」
「今のところは」
フィアの言い方に、俺も隔壁を見る。
向こうから音はしない。
「……静かすぎない?」
『小僧』
ベル。
「何?」
『晶石』
振り向く。
大型測定晶。
さっきまで何本も走っていた白い線は消えている。
でも。
光が弱い。
「これ……」
近づく。
表面の一部が曇っている。
中に保存されていたはずの光が、抜け落ちたみたいに暗い。
フィアも隣へ来た。
「減ってる?」
「分からない」
その時、廊下から職員が走ってきた。
「ルカさん!」
「入って大丈夫ですか?」
「こちら側は! 継ぎ獣は隔壁の向こうですね?」
「はい」
職員が大型測定晶を見る。
顔色が変わった。
「そんな……」
「何ですか?」
「記録量が……」
職員が晶石の側面へ触れる。
薄い文字が浮かんだ。
数字。
記号。
俺には読めない。
「減っています」
「どれくらい?」
「まだ分かりません。ただ、明らかに」
職員の指が止まる。
「ここ……」
「何?」
「個人戦闘記録の領域です」
嫌な予感。
「誰の?」
職員はすぐには答えなかった。
「ルカさんの記録が、大きく欠けています」
やっぱり。
「それだけ?」
「いえ」
表示を切り替える。
また顔色が変わる。
「古代武装として登録されている2つの情報も」
「ベルとクロ?」
「はい」
胸の奥が冷たくなる。
継ぎ獣は俺たちを狙っている。
そう思っていた。
でも違う。
俺たち本人を食おうとしていたわけじゃない。
俺たちの記録を。
「……何を知りたいんだよ」
誰に聞いたわけでもない。
答えはない。
その時。
大型測定晶の奥で、白い線が1本だけ灯った。
今までより細い。
今までより深い。
文字が浮かぶ。
《対象照合――》
「何だ、これ」
職員も固まっている。
「こんな表示……知りません」
『ルカ』
クロの声。
「うん」
『まだ見てる』
白い線が、一瞬だけ俺の方へ向いた。
そして。
消えた。




