第51話 決めない練習
練習場所に選んだのは、ギルド裏の小さな訓練場だった。
普段は新人冒険者が武器の扱いを覚える場所らしく、木製の人形や低い障害物、吊り下げ式の標的がいくつか置かれている。今日は端の区画を借り、俺たち以外は入らないようにしてもらった。
「それで、何するの?」
フィアが弓を持ったまま聞く。
「中央の標的に触れれば終わり」
俺は訓練場の奥を見る。
丸い木板が1枚、柱から吊り下げられている。そこまでの間には木箱、低い柵、古い丸太が適当に並べられていた。
「倒すんじゃなくて?」
「触れるだけ」
「簡単そう」
「そう思うだろ?」
だからこそ、ちょうどいい。
敵の強さを考えなくていい分、俺たちの動きだけを見られる。
ベルとクロの秘密を知っているセイルにも来てもらった。戦闘には加わらず、端の椅子に座って観察している。
トワはその足元だ。
「キュイ」
「お前は見てるだけな」
「キュイ」
分かっているかは怪しい。
「始める?」
フィアが聞く。
「うん。まずは普通にやってみよう」
『普通にって言ってる時点で嫌な予感するぞ』
「うるさいな」
俺はベルを構えた。
中央まで行く。
それだけ。
「フィア、右の木箱まで。そこから奥の標的を見る。俺は左の柵を回る。ベルは前を塞いで、クロは」
『小僧』
「何?」
『もう細けえ』
始める前から言われた。
「でも最低限だろ」
フィアが少し笑う。
「続けていいよ」
「なんか腹立つな」
合図を出す。
「行く!」
俺が左へ走る。
「フィア、今右!」
「分かってる」
「その箱の横から矢を」
「ルカ」
「何?」
「前」
言われて振り向く。
木製の棒が横から飛んできた。
「うわっ!」
ベルで受ける。
訓練場に取り付けられている仕掛けだ。一定の位置を踏むと、横から丸太が振れてくる。
『ほら見ろ!』
「今のは見えてなかっただけだ!」
「フィア、そこ動かないで! 俺が先に」
「もう動いてる」
「え?」
フィアは別の箱へ移っていた。
「なんで?」
「そこからだと標的見えなかったから」
「あ、そうか」
俺も進む。
「じゃあ、そのまま左から」
「ルカ」
「今度は何?」
「クロ」
『右』
「右?」
『今、右』
クロに言われ、反射的に身体をずらす。
足元を紐が走った。
引っかかっていたら転んでいた。
「危なっ」
そこから先も似たようなものだった。
俺がフィアへ指示を出している間に自分の足元を見落とす。ベルの向きを細かく考えている間に、クロが別の道を見つける。
しかも俺が「次はこう」と言う頃には、フィアはもう別の判断をしている。
結局。
「止めよう」
半分も進まないうちに俺が言った。
「早いね」
「分かってる」
最初の位置へ戻る。
セイルが何かを書き留めている。
「何書いてる?」
「ルカ君が忙しそうだった、と」
「それ記録する必要ある?」
「ありますよ」
「ないだろ」
フィアが水を飲みながら言う。
「全部見ようとしすぎ」
「だよな」
「私の位置までずっと見なくていいよ」
「でも、フィアがどこにいるか分からなくなったら困るだろ」
「必要な時に言う」
「……それで大丈夫?」
「やってみないと分からない」
それもそうか。
「じゃあ次」
俺は少し考える。
「今度は好きに動こう」
「好きに?」
「中央に触る。それだけ」
「本当にそれだけ?」
「うん」
『極端だな』
ベルの言葉が刺さる。
「まずやってみる」
2回目。
「行く!」
今度は何も指示しない。
俺は右へ。
フィアは左へ走った。
クロが何か言いかけたけれど、俺は自分で考えようとしてそのまま進む。
木箱を越える。
丸太を避ける。
次の障害物。
「ルカ!」
フィアの声。
見る。
「そっち危ない!」
どっちだ。
迷った瞬間、足元の板が沈んだ。
「しまっ」
横から丸太。
ベルを上げる。
間に合った。
『だから情報まで捨てるな!』
「分かってる!」
その間にフィアは先へ進んでいた。
でも、俺とは反対側。
距離が開きすぎている。
「フィア!」
「何?」
「遠い!」
「ルカがそっち行ったんでしょ!」
「そっちが左行ったんだろ!」
「先に動いたのルカ!」
「どっちでもいい!」
全然よくない。
俺が中央へ向かう。
フィアも同時に方向を変える。
今度は同じ通路へ入った。
「狭い!」
「ルカが来たんでしょ!」
「またそれ!?」
2人で止まる。
その瞬間、上から吊り下げられていた袋が落ちてきた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
砂の入った袋が俺とフィアの間へ落ちる。
直撃は避けた。
でも完全に足が止まった。
『ひでえな』
「言うな」
ベルの声が楽しそうなのが余計に腹立つ。
「戻ろう」
「うん」
2回目も失敗。
今度はセイルが、口元を隠しながら何かを書いていた。
「笑ってる?」
「いいえ」
「絶対笑ってるだろ」
「興味深いなと思いまして」
「何が?」
セイルが眼鏡を押し上げる。
「ルカ君は仲間を使うのは上手い。でも、任せるとなると急に不安になるんですね」
「使うって言い方ひどくない?」
「では、役割を組み立てるのが上手い」
「そっちで」
「ただ、今度は任せることを意識しすぎて、必要な情報まで渡さなくなった」
「……それは自分でも分かった」
さっきは極端だった。
細かく言いすぎた次に、ほとんど何も言わなくなった。
それじゃ連携じゃない。
「必要なことだけ言えば?」
フィアが言う。
「例えば?」
「危ない。右。下がる。そのくらい」
『大きい危険は俺様が言ってやる』
ベルが胸を張る。
『右』
クロも言った。
「今は何もないだろ」
『練習』
「紛らわしい」
フィアにはクロの声は聞こえていないけれど、俺の反応で察したらしい。
「クロも参加するんだ」
「本人はそのつもりみたい」
「じゃあ、次はそれで」
3回目。
中央の標的へ触れる。
目的は同じ。
今度は誰がどこから進むかも決めなかった。
「行こう」
「うん」
走り出す。
フィアが先に左へ寄った。
俺は反対へ行こうとして、前方の丸太を見る。
『左、危ねえぞ』
ベル。
「フィア、左危ない!」
「見えた!」
フィアが急に前へ出た。
弓を構える。
撃つのかと思った。
違った。
弓の端で垂れていた紐を引っかけ、そのまま横へ引く。
丸太の仕掛けが先に作動した。
「そんな使い方する?」
「今思いついた」
それでいい。
俺は空いたところへ入る。
『右』
クロ。
俺は考えず、右を見る。
狭い隙間。
「こっち行ける」
「行って」
「フィアは?」
「別から行く」
それだけ。
俺は右へ。
フィアは左。
今度は離れても不安にならなかった。
前に集中する。
低い柵。
越えようとした瞬間。
「ルカ、止まって!」
止まる。
目の前を木の棒が通過する。
「助かった!」
「次行って!」
進む。
標的まで残り半分。
『小僧、前』
ベル。
吊り下げられた袋。
俺はベルを前へ出した。
受けるのではなく、横へ押す。
袋の軌道が変わる。
その空いた場所へ、フィアが飛び込んできた。
「そこ使う?」
「空いたから」
「なるほど」
いつの間にか、今度はフィアが俺より前にいる。
普段なら俺が前だ。
でも、戻そうとは思わなかった。
「フィア、そのまま!」
「分かった!」
フィアが走る。
俺は後ろからついていく。
その時。
『左』
クロの声。
左に、小さな隙間。
そこからなら標的へ一直線だ。
「クロ、そっち?」
『うん』
「分かった」
フィアへ声をかけようとする。
でも。
やめた。
フィアはもう別の障害物を越えている。
俺はクロが選んだ道へ入った。
「ルカ?」
「別から行く!」
「了解!」
それだけで通じた。
狭い。
ベルを正面に構えると通れない。
『俺様どうすんだ!?』
「横!」
『雑!』
ベルを横向きにして押し込む。
盾というより、完全に壁板だ。
『俺様はもっと格好よく使え!』
「今は我慢して!」
通路の先。
標的が見えた。
でも同時に、フィアも反対側から来ている。
「どっち?」
思わず口から出た。
フィアが俺を見る。
「早い方!」
「分かった!」
俺が走る。
フィアも走る。
どちらが触れるかは決めていない。
俺の前へ最後の丸太が振れてくる。
「っ!」
ベルで受ける。
止まる。
その横をフィアが抜けた。
手を伸ばす。
パン。
中央の木板が鳴った。
「……触った」
「触ったね」
俺たちは少し遅れて笑った。
『俺様が止めたからだぞ!』
「分かってる」
『もっと感謝しろ!』
「ありがとう、ベル」
『……お、おう』
素直に言うと弱いらしい。
『私も』
クロが小さく言う。
「もちろん。クロも」
『うん』
俺たちはスタート地点へ戻った。
セイルが記録板を閉じる。
「どうでした?」
「さっきよりは、だいぶ」
「うん」
フィアも頷いた。
「ルカ、途中から私の位置ほとんど見てなかったでしょ」
「見てなかった」
「怖くなかった?」
「少しは」
でも。
「必要になったら言ってくれると思ってた」
「言ったでしょ」
「うん」
それで間に合った。
俺が全部見なくても。
全部指示しなくても。
フィアは危険を見つける。
ベルは大きな攻撃を見る。
クロは間合いや道を見つける。
俺は、その全部を自分の頭の中だけで完成させなくていい。
「もう1回やる?」
フィアが聞く。
「やろう」
「今度は同じ道、使わない方がいい?」
少し考える。
「いや」
俺は首を振った。
「それも、その時でいい」
使えるなら使う。
変えた方がいいなら変える。
無理に違うことをする必要もない。
継ぎ獣に読ませないためだけに戦い方を崩せば、今度は俺たち自身が崩れる。
「目的は同じ」
中央の標的を見る。
「そこまで行く」
「了解」
『任せろ!』
『うん』
トワまで立ち上がった。
「キュイ!」
「お前はまだ見学」
「キュ……」
露骨に尻尾が下がる。
「そんな顔するなよ」
少し笑ってから、俺はもう一度ベルを持ち上げた。
次に誰が前へ出るかは分からない。
どの道を使うかも、その時にならないと分からない。
それでいい。
大事なのは、同じ場所を目指していること。
その途中で誰かが別の道を選んでも、置いていかないことだ。
「行こう」
今度は、誰にも順番を言わなかった。




