第49話 全部、知っている
継ぎ獣が俺の戦闘記録を食べている。
それが分かった以上、もう一度地下へ入るなら準備が必要だった。
ギルドは古い区画への立ち入りを止め、残っている記録晶を別の場所へ移し始めた。俺たちも勝手に動くつもりはなかったけれど、問題は継ぎ獣の方が待ってくれなかったことだ。
報せが来たのは、その日の夕方だった。
「地下の封鎖が破られました」
調査員の言葉に、俺とフィアは同時に立ち上がった。
「継ぎ獣は?」
「古い記録区画にいます。職員は退避させていますが、移送前の晶石がまだ残っています」
「人は?」
「確認できている範囲では全員無事です」
それを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
「セイルは?」
「上で負傷者が出た場合に備えて待機しています」
その方がいい。
継ぎ獣の動きを調べるために、全員で地下へ入る必要はない。
俺はベルを背負い直し、クロの柄に手を置いた。
「行こう」
「うん」
フィアも弓を確認する。
足元ではトワがこちらを見上げていた。
「トワは残れ」
「キュイ」
「今回は本当に残るんだぞ」
「キュイ」
「分かってる?」
たぶん分かっていない。
でも、さすがに今回は連れていけない。フィアが近くの職員へ預けると、トワは少し不満そうに鳴いた。
「戻ってくるから」
「クルル……」
青白い尻尾が揺れる。
俺たちは調査員2人と一緒に地下へ向かった。
石板を開けた瞬間、冷たい空気と一緒に、硬いものを噛み砕く音が聞こえてきた。
ガリ。
ガリ。
前より近い。
「また食べてる」
フィアが小声で言う。
「たぶん」
俺はベルへ手をかける。
『小僧』
「分かってる」
『いつも通りにやるなよ』
「……分かってるって」
答えながら、自分でも少し引っかかった。
いつも通りにやるな。
簡単に言うけれど、それができるなら苦労しない。
俺がベルを前に出す。
フィアが後ろから射る。
隙ができたらクロで斬る。
今まで何度も助けられてきた形だ。
それを捨てる。
頭では分かっていても、身体がどう動くかは別だった。
階段を下りる。
通路の奥に、黒い影が見えた。
大きくなっている。
犬ほどだった身体が、もうそれより一回り大きい。片方だけ厚くなった肩、細長い脚、背中から突き出した硬い棘。噛み合わせの悪い部品を無理に1つへまとめたような姿だった。
足元には、砕かれた晶石。
「継ぎ獣」
俺が呼んでも、反応はない。
ただ顔だけがゆっくりこちらへ向く。
そして。
俺を見る。
ベルを見る。
クロを見る。
最後にフィア。
背中が冷えた。
「やっぱり見てる」
「うん」
フィアが弓へ手をかける。
「どうする?」
「まず俺が前に出る」
「いつも通りじゃない?」
「……そうだな」
言われて止まった。
もう始まってる。
何を選んでも、今までの癖がついて回る。
「じゃあ、フィアが先に」
「弓?」
「いや……」
考えている間に。
継ぎ獣が動いた。
「来る!」
反射的にベルを前へ出した。
その瞬間。
継ぎ獣が横へ跳ぶ。
「しまっ」
右。
また右だ。
ベルを回す。
そこへ来る。
分かっている。
だから今度は左へ。
俺は途中で動きを変えた。
でも。
継ぎ獣はもう左側にいた。
「っ!」
前脚が振られる。
ベルを戻す。
間に合わない。
肩へ鈍い衝撃が入った。
「ルカ!」
「大丈夫!」
痛い。
でも動く。
フィアの矢が飛ぶ。
継ぎ獣は振り向きもしなかった。
身体を沈める。
矢が頭上を抜ける。
「次!」
2本目。
避ける。
3本目。
それも。
「全部……」
フィアの顔が歪む。
「撃つ前に分かってる」
「分かってたことだろ!」
「前より早い!」
その言葉に嫌な予感がした。
俺の記録だけじゃない。
フィアの弓。
短剣。
地下に残っていた古い戦闘記録。
食べた数だけ、増えている。
「クロ!」
『うん』
黒剣を抜く。
斬る。
避けられる。
切り返す。
もうそこにいない。
踏み込む。
その前に距離を取られる。
「くそっ」
何も届かない。
継ぎ獣は速い。
でも、速さだけじゃない。
俺がクロをどう使うかを知っている。
どこまで届くか。
どの角度から振るか。
踏み込む時にどちらの足へ力を入れるか。
全部。
「ルカ、下がって!」
フィアの声。
俺が下がる。
そこへ矢。
継ぎ獣が避ける。
分かっていたように。
そして、そのままフィアへ走った。
「フィア!」
俺は追う。
それも知っていた。
継ぎ獣が急に方向を変えた。
俺の方へ。
「なっ!」
追っていた分、止まれない。
ベルを上げる。
前脚がベルの下を抜ける。
脚を払われた。
床が近づく。
「ぐっ!」
肩から落ちる。
『小僧!』
「平気!」
立ち上がろうとする。
その時には、継ぎ獣はもうフィアへ向いていた。
フィアが弓を捨てる。
短剣。
「それも知ってる!」
「分かってる!」
フィアは踏み込まない。
待つ。
継ぎ獣も止まる。
ほんの少しだけ、間ができた。
「今なら」
俺が立つ。
ベルを構え直す。
継ぎ獣の視線が俺へ移った。
また。
俺が前。
フィアが横。
いつもの形。
「ダメ」
フィアが呟いた。
「何が?」
「私たち、戻ってる」
言われて気づいた。
結局。
危なくなればなるほど、いつもの形へ戻っている。
俺が前。
フィアが後ろ。
ベルで守って。
クロで斬る。
それが一番慣れているから。
それが一番安心できるから。
そして。
継ぎ獣が一番よく知っている形だから。
『来るぞ!』
ベルが叫ぶ。
今度は正面。
俺はベルを構える。
継ぎ獣が突っ込む。
受ける。
衝撃。
重い。
「っ!」
押し負ける。
身体が下がる。
そこへ継ぎ獣の前脚がベルの縁へ掛かった。
引かれる。
「ベル!」
『離すな!』
「分かってる!」
踏ん張る。
でも継ぎ獣はベルを奪おうとしているわけじゃなかった。
一瞬だけ引いて。
俺が力を入れた瞬間。
押す。
「うわっ!」
完全に逆を取られた。
背中から床へ倒れる。
息が抜けた。
クロを握った手が緩む。
黒剣が床を滑った。
『ルカ!』
クロの声。
継ぎ獣が俺へ飛びかかる。
「ルカ!」
フィアの矢が飛ぶ。
継ぎ獣は見ない。
それでも避ける。
矢が壁へ刺さった。
爪が近づく。
ベルを上げる。
ぎりぎり。
金属が鳴った。
衝撃で腕が痺れる。
『小僧、こいつ……』
「分かってる!」
『違う!』
ベルの声が低くなった。
『俺様らの動きだけじゃねえ』
「何?」
『次にお前が何するかまで、分かってるみてえだ』
嫌な言い方だった。
未来が見えている。
そんなはずはない。
そう思いたい。
でも。
ベルを出せば回り込まれる。
クロを振れば、その前に避けられる。
フィアが矢を撃てば射線から消える。
助けに行けば、その行動まで利用される。
「全部……」
口から出た。
「全部、知ってるのかよ」
継ぎ獣は答えない。
ただ俺を見ている。
白い線が、胸の奥で一瞬だけ光った。
「ルカ!」
フィアの声で我に返る。
「撤退するよ!」
返事が遅れた。
「でも」
「無理!」
はっきり言われた。
「あれに今のまま続けても、何も増えない!」
俺はクロを見る。
ベルを見る。
継ぎ獣を見る。
倒せない。
それを認めるのは、まだ少し悔しい。
でも。
フィアは正しい。
「……分かった」
言葉にすると、少しだけ頭が冷えた。
「撤退する」
俺が言うと、フィアが頷いた。
「道は?」
「来た方へ」
「普通に戻ったら追われる」
「分かってる」
周囲を見る。
古い棚。
崩れた木箱。
床に散らばった晶石の破片。
前に使った布みたいに、何か。
継ぎ獣が動く。
考える時間はない。
俺は足元の晶石片を蹴った。
狙っていない。
ただ蹴った。
破片が床を滑り、棚の脚へ当たる。
カン。
継ぎ獣の顔がそちらへ動いた。
「え?」
自分でも驚いた。
ほんの一瞬。
でも、止まった。
「今!」
フィアが走る。
俺も続く。
継ぎ獣が追ってくる。
後ろを見ずに、横の棚へ手を伸ばした。
「ルカ?」
「倒す!」
「棚を?」
「そう!」
押す。
古い棚が傾く。
中に残っていた空の箱と晶石片が一斉に落ちた。
ガラガラッ!
大きな音。
継ぎ獣が止まる。
完全に。
一瞬だけ。
「……通った」
フィアが呟く。
「走れ!」
その隙に通路へ出る。
継ぎ獣もすぐ追ってきた。
もう棚なんて使えない。
同じことをすれば、次はたぶん読まれる。
階段まで走る。
後ろから爪の音。
近い。
「右!」
フィアが叫ぶ。
俺は反射的に右へ行きかけた。
止める。
「違う!」
左へ。
継ぎ獣が一瞬だけ右へ動いた。
「やっぱり!」
フィアが先へ走る。
俺も続く。
知らない動きなら。
決めていない動きなら。
ほんの少しだけ。
遅れる。
階段を駆け上がる。
上では調査員が待っていた。
「閉めます!」
「まだ!」
俺とフィアが飛び込む。
「今!」
石板が閉じる。
直後。
ドンッ!
向こうから重い衝撃が来た。
石板が揺れる。
「押さえて!」
調査員たちが支える。
俺もベルを当てた。
もう一度。
ドンッ!
耐える。
3回目。
来ない。
静かになった。
「……止まった?」
誰かが言った。
分からない。
でも、すぐには追ってこない。
俺はベルへ額を預けた。
息が苦しい。
腕も震えている。
「負けたな」
自分で言った。
誰も否定しなかった。
フィアも壁へ背中を預け、荒い息を整えている。
「怪我は?」
「服の次は腕」
見ると、左腕に浅い傷があった。
「ごめん」
「なんでルカが謝るの?」
「俺がもう少し」
「それやめて」
遮られた。
「私も戦った。私も読まれた。ルカだけのせいじゃない」
「……うん」
今度は、ちゃんと頷いた。
しばらくして、クロが小さく言った。
『最後』
「何?」
『遅かった』
「何が?」
『棚』
俺は顔を上げる。
『知らなかったから』
その言葉が胸に残った。
晶石の破片を蹴った。
棚を倒した。
どちらも作戦じゃなかった。
その場でやっただけだ。
「知らないことには、遅れる」
フィアが俺を見る。
「うん」
「でも、1回見たら覚える」
「たぶん」
じゃあ、同じ即興を繰り返しても意味はない。
今までの俺なら、そこから新しい作戦を考えただろう。
動きを変える。
順番を変える。
囮を置く。
もっと上手いやり方を探す。
でも。
その作戦だって、一度使えば記録になる。
継ぎ獣に見られる。
また覚えられる。
なら。
「……俺たちが、知らない俺たちになればいいのか?」
自分で言って、変な言葉だと思った。
フィアもすぐには答えなかった。
閉じた石板の向こうからは、もう音が聞こえない。
それなのに。
まだ見られているような気がした。




