第47話 先に動く
黒い個体の口元で、白い線がもう1度だけ光った。細い光は首から胸へ走り、身体の奥へ沈むように消えていく。
俺はベルを構えたまま動かなかった。向こうも動かない。白い線の入った晶石を口にくわえたまま、じっとこっちを見ている。
「職員は?」
「退避しています」
背後から責任者の声が返る。残っているのは俺とフィア、それから調査責任者の3人だけだった。トワはベルの後ろで、尻尾の先を弱く光らせながら黒い個体を警戒している。
「外まで下がってください」
「しかし」
「ここで戦うなら、後ろを気にしながらは無理です」
責任者は少し迷ったあと、頷いた。
「分かりました。入口で待機します」
足音が遠ざかる。これで少なくとも、守る相手は減った。
『来るぞ』
「分かってる」
ベルの声に答えた直後、黒い個体がくわえていた晶石を吐き出した。カラン、と硬い音が床に響く。
次の瞬間、姿が消えた。
「っ!」
違う。消えたんじゃない。
速い。
正面から来たと思った時には、すでに右へ回り込んでいる。俺はベルを向けた。間に合うと思ったのに、衝撃が入ったのは正面じゃなかった。
ガッ、とベルの端が叩かれる。
「うわっ!」
受け止めやすい位置を外され、身体が半歩流れた。
『最初からそこ狙ってやがったぞ!』
「分かってる!」
すぐにクロを抜き、横薙ぎに振る。
けれど、刃を振り切るより先に黒い個体が身体を沈めた。クロの刃が頭上を通り過ぎ、そのまま懐へ潜り込んでくる。
「近い!」
ベルを押し込む。今度は間に合った。
鈍い音とともに、黒い個体が床を滑る。
「フィア!」
「見てる」
すでに弓は構えられていた。
矢が飛ぶ。
当たらない。
黒い個体は、矢が放たれてから避けたんじゃない。フィアが狙いを定めた時には、もう横へ動いていた。
「外した?」
「違う」
フィアの目が細くなる。
「撃つ前に動いた」
2本目の矢をつがえる。
また同じだった。
弦を引き、狙いを決める。その時点で黒い個体は射線から外れ始めている。
『未来でも見えてんのか?』
「だったら厄介すぎる」
『違う』
クロが短く言った。
「何が?」
『見てる』
「何を?」
『ルカ』
それだけじゃ分からない。
黒い個体が再びこちらへ走ってくる。俺はベルを前へ出し、正面を広く塞いだ。
すると黒い個体は右へ動いた。
やっぱりそっちだ。
俺が反射的にベルを回そうとした時。
「待って」
フィアの声で手を止める。
黒い個体も、動きを止めた。
「……止まった?」
「ルカ、回り込まれた時って、いつも右から守る?」
「え?」
「ベルを構えてる時」
言われて考える。
右側。
確かに、その方が多い。正面から盾を回すなら、左より右の方が身体を動かしやすい。
「たぶん」
「じゃあ次、動かないで」
「分かった」
黒い個体が走る。
やはり右へ回り込む。
でも、今度は動かない。
すると黒い個体が、一瞬だけ止まった。
「今」
フィアの矢が飛ぶ。
黒い個体は反応したが、少し遅い。矢が肩の硬い部分を掠めた。
「入った!」
「まだ」
フィアは喜ばず、すぐ次を見ていた。
黒い個体の視線が俺から外れ、フィアへ向く。低く身体を沈めた。
「来る」
俺が前へ出ようとすると、またフィアに止められた。
「そのまま」
「でも」
「大丈夫」
フィアは弓を構える。
黒い個体が走る。
フィアは動かない。
弦を引く。
その瞬間、黒い個体が左へ避けた。
まだ矢は放たれていない。
フィアはそのまま弓を下ろし、右手を腰へ動かした。
短剣。
黒い個体の反応が一瞬遅れる。
フィアが踏み込んだ。
「はっ!」
短剣が脇腹を浅く裂く。
黒い個体が飛び退いた。
「やった?」
「うん。でも、次はたぶん無理」
「なんで?」
「見たから」
嫌な言葉だった。
黒い個体は傷口を気にする様子もなく、ただフィアを見ている。短剣を持つ右手、足、肩。順番に確かめているようだった。
『覚えてる』
クロが言う。
「今のも?」
『たぶん』
黒い個体が動く。
フィアも短剣を構え、さっきと同じように踏み込んだ。
でも今度は、向こうが先だった。
「っ!」
黒い個体が身体を沈め、短剣の軌道から外れる。そのまま内側へ潜り込んだ。
「フィア!」
前脚が振られる。
フィアはすぐ腕を引いたが、完全には避けきれない。肩口の布が裂けた。
「大丈夫か!」
「平気!」
血は出ていない。服だけだ。
けれど、さっき通った動きが、もう通らなくなっている。
「やっぱり」
フィアが距離を取る。
「見た後は早い」
黒い個体は追ってこなかった。
俺。
ベル。
クロ。
フィア。
また順番に見ている。
「……気持ち悪いな」
『俺様も同感だ』
攻撃されることより、見られていることの方が嫌だった。
次にどう動くか。
どこへ力が入るか。
何を選ぶか。
それを俺たちより先に見つけようとしている。
「フィア」
「うん」
「試したい」
「何?」
「俺が振るふりをする」
クロを構える。
「本当に振らない?」
「振らない」
「やって」
黒い個体へ向き直る。
肩へ力を入れ、右足を半歩前へ出す。いつもクロを振る時と同じように腰を落とした。
その瞬間、黒い個体が動く。
「まだ振ってない」
「うん」
構えを解く。
黒い個体も止まった。
もう1度。
今度は同じ構えのまま、足の位置だけ少し変える。
黒い個体の反応が遅れた。
「……これか」
「たぶん」
「攻撃を見てるんじゃない」
俺は自分の手を見る。
「攻撃する前を見てる」
フィアが頷いた。
「構えとか、足とか」
「癖」
「うん」
未来が見えているわけじゃない。
俺たちが今まで何度も繰り返してきた動き。剣を振る前、盾を出す前、矢を放つ前。自分では意識していない小さな予兆を、こいつは知っている。
そして、新しい動きも1度見れば追いついてくる。
『だから先に動くのか』
ベルが低く言った。
「そういうことかもな」
少なくとも、何でも分かっているわけじゃない。
フィアが弓から短剣へ変えた最初の1回は通った。俺がいつもの動きをしなかった時も、反応が止まった。
知らないことには、少し遅れる。
問題は、その「知らない」が長く続かないことだ。
黒い個体が低く構えた。
次は向こうから来る。
「ルカ」
「うん」
「もういい」
フィアが言った。
「戻ろう」
俺も同じことを考えていた。
倒せるかもしれない。もう少し試せば、何か分かるかもしれない。
でも、ここで全部確かめる必要はない。
後ろには調査員たちがいる。この地下区画がどこまで続いているかも分からない。
「撤退する」
『いいのか、小僧』
「いい」
ベルを構えたまま、ゆっくり下がる。
「分からない相手と、分からない場所でやり続ける方がまずい」
『へっ』
ベルが少し笑った。
『言うようになったじゃねえか』
「うるさい」
フィアも俺と歩調を合わせる。
黒い個体は追ってきた。
でも、すぐには飛び込んでこない。
また、こっちの動きを見ている。
「普通に下がったら読まれる」
フィアが小声で言う。
「じゃあ、普通じゃなくする」
「どうする?」
周りを見る。
棚。割れた晶石。古い布。倒れた木箱。
足元に落ちていた布を拾った。
「これを使う」
「攻撃?」
「いや」
黒い個体ではなく、横の棚へ投げる。
布が晶石へかぶさり、カラン、と音がした。
黒い個体の視線が、一瞬だけそちらへ動く。
「今」
走る。
俺とフィアは扉を抜けた。
黒い個体が追ってくる。
でも、1歩遅い。
「閉める!」
入口で待っていた責任者が扉を閉じる。
ドンッ!
向こう側から衝撃が響き、古い扉が大きく揺れた。
「持つか?」
「長くは無理です!」
「それでいい」
閉じ込める必要はない。
距離を作れれば十分だ。
「上へ!」
全員で階段へ向かう。
トワもその後ろを走った。
途中で振り返りそうになったけれど、やめた。
今は見る必要がない。
帰る方が先だ。
石段を上がり、最後の1人が地上側へ出る。
封鎖板を戻す。
重い石が閉じた。
しばらく、誰も喋らなかった。
息を整える。
フィアが裂けた肩口を確認した。
「怪我は?」
「ない。服だけ」
「よかった」
トワも無事。
調査員も全員いる。
俺はようやくベルから手を離した。
「分かったことは?」
責任者に聞かれ、少し考える。
「強いっていうより、俺たちの戦い方を知ってる感じがします」
「知っている?」
「盾を出す前。剣を振る前。矢を撃つ前。そういうところを見て、先に避けてる」
フィアも続ける。
「知らない動きなら、最初は遅れます。でも1回見た後は、すぐ反応が早くなる」
責任者の顔が険しくなる。
「つまり、戦うほど」
「たぶん」
俺は閉じた石板を見る。
「あいつの方が、俺たちに慣れていく」
白い線。
削られた戦闘記録。
俺たちの動きを先回りする黒い個体。
まだ分からないことだらけだ。
それでも1つだけ、嫌なくらいはっきりしたことがある。
あいつ相手に、同じ戦い方を続ける。
それがたぶん、一番まずい。




