第46話 地下に残る記録
古い石板が開いたのは、それから1時間ほど経ってからだった。
見つけたからといって、すぐに壊して中へ入るわけにはいかない。ギルドの古い図面を引っ張り出し、壁の向こうに何があるのかを確認してから、調査担当が封鎖を解除した。
俺とフィアは、その作業を少し離れたところから見ていた。
トワもいる。
俺の足元ではなく、ベルの後ろに。
『完全に俺様を頼ってるな』
「壁にしてるだけじゃないか?」
『守られている安心感だ』
『日陰』
クロが言う。
『ちょうどいいだけ』
『お前は黙ってろ!』
トワはベルとクロの声が聞こえているわけではないらしい。
ただ、ベルの人型が声を上げると顔を向け、クロが動くとそちらを見る。
やっぱり見えている。
そこだけは、もう偶然とは思えなかった。
「開きます」
調査員の声で、俺は壁へ目を戻した。
石板の端へ金属製の器具を差し込み、数人でゆっくり押す。
ゴゴ、と重い音がした。
長く閉ざされていた隙間から、冷たい空気が流れ出す。
トワの身体がびくっと震えた。
「クルル……」
尻尾の先が淡く光る。
フィアがトワを見た。
「嫌がってる」
「昨日と同じだな」
「でも逃げない」
確かに。
怖がってはいる。
それでも俺たちから離れようとはしなかった。
石板の向こうには、下へ続く階段があった。
幅は人2人が並べるくらい。壁には古い魔石灯が取り付けられているけれど、ほとんど光っていない。
「かなり古い区画です」
図面を持った職員が言った。
「今のギルドが建つ前から存在していた設備を、そのまま地下施設へ組み込んだらしいですね」
「何の設備ですか?」
「記録保管と測定補助、とあります。ただ、詳細までは残っていません」
記録。
その言葉に、フィアと目が合った。
黒い個体が食べていたもの。
今のところ、全部そこへ繋がっている。
「人数を絞ります」
調査責任者が言った。
「先行は5人。私と職員2人、ルカさん、フィアさん」
「トワは?」
俺が聞く。
責任者が足元を見る。
「連れていくんですか?」
「こいつが場所を見つけたようなものなので」
「危険ならすぐ戻す。それでいいなら」
「分かりました」
俺はトワを見る。
「行くか?」
「キュイ」
「返事だけはいいな」
意味を分かっているかは怪しい。
それでもトワは俺たちが階段を下り始めると、その後ろをついてきた。
地下は静かだった。
使われなくなってから長いのだろう。石段には薄く埃が積もっている。
ただ。
「足跡」
フィアが途中で止まった。
「どれ?」
「これ」
しゃがんで指を近づける。
埃の上に、小さな跡。
人間の靴ではない。
細い爪のような線が4本。
「黒いやつ?」
「たぶん。でも」
フィアが奥を見る。
「新しい」
俺たちより先に、ここへ入った。
そんな感じがした。
「警戒を上げます」
責任者が短く言う。
前を歩く職員が灯りを掲げた。
階段を下りきると、細長い通路へ出た。
左右にはいくつもの扉がある。
金属製。
木製。
中には石壁とほとんど区別がつかないものまであった。
今のギルド地下とは雰囲気が違う。
古い。
でも、壊れかけているわけじゃない。
ずっと誰にも使われず、そのまま時間だけが積もった感じだった。
『……嫌』
クロが呟いた。
「また?」
『うん』
「何が嫌なんだ?」
『分からない』
予想通りの答え。
でも、無理に聞くつもりはない。
クロが分からないと言うなら、今はそれでいい。
トワも同じ方向を見ていた。
右側。
通路の奥。
「クルル……」
青白い尻尾が揺れる。
「2人とも同じ方見てる」
俺が小声で言う。
フィアがクロの姿は見えないまま、意味だけ察した。
「じゃあ、あっち?」
「たぶん」
「でも先に痕跡を見る」
「うん」
フィアが前へ出る。
その判断には従った。
トワが反応するからといって、その方向へ一直線に行けばいいわけじゃない。
フィアは床、壁、扉の下を順番に確認していく。
最初の扉。
異常なし。
2つ目。
埃だけ。
3つ目。
「ここ」
フィアの声が止まった。
扉の下に、黒い薄膜が付いている。
見覚えがある。
「同じやつだ」
「うん」
さらに床を見る。
透明な粉。
晶石の削りかす。
責任者が職員を見る。
「開けられますか?」
「鍵は死んでいます。少し時間をください」
古い錠を外す。
扉が開いた。
中には棚が並んでいた。
今使っている保管室よりずっと狭い。
ただ、置かれている晶石の数は多かった。
小さなもの。
平たいもの。
金属の板へ埋め込まれたもの。
「これ全部、記録晶ですか?」
「そのようです」
職員が古い札を読む。
「測定補助記録。訓練記録。負傷経過……ずいぶん細かく分けられてる」
俺は棚へ近づきすぎない位置から見る。
すぐに違和感が分かった。
「食われてる」
あちこちの晶石が欠けている。
全部じゃない。
無傷のものも多い。
でも、削られた晶石は今まで見たものより被害が大きかった。
端が少し欠けている程度ではなく、半分近くなくなっているものまである。
「こっちは無事」
フィアが1つの棚を見る。
札には、身長や体重、基礎魔力量などの項目。
隣の棚は。
「戦闘訓練……」
そこはひどかった。
晶石の多くが削られている。
「差があるな」
俺が言う。
「戦ってる記録の方が食べられてる」
「そう見える」
フィアが札を順に確認する。
「盾術。弓。短剣。剣」
嫌な一致だった。
俺たちが見た黒い個体の動きと重なる。
責任者も気づいたらしい。
「被害の多い記録を分けて確認します」
職員が慎重に晶石を取り出していく。
盾。
大きく削れている。
弓。
同じ。
短剣。
ほとんど半分。
剣。
細かな歯形が残っていた。
「偶然じゃないね」
フィアが言う。
「うん」
俺も否定できなかった。
トワが部屋へ入ってくる。
さっきまで俺の後ろにいたのに、急に棚の奥へ顔を向けた。
「キュ……」
声が小さい。
尻尾の光が強くなる。
「トワ?」
返事はない。
前へ進む。
数歩。
そこで止まった。
棚の一番下。
古い木箱の前だった。
「そこに何かある?」
「クルル……」
トワは近づかない。
前足を踏ん張ったまま、木箱を見ている。
クロも同じ箱を見ていた。
『……これ』
「知ってる?」
『知らない』
「でも気になる?」
クロが小さく頷く。
俺は職員を見る。
「この箱、確認できますか?」
「触らないでください。こちらで開けます」
「はい」
もう言われる前に手を出すほどじゃない。
たぶん。
フィアが俺の手を見る。
「今ちょっと動いた」
「動いてない」
「少し」
「気のせい」
職員が箱を棚から出す。
鍵はなかった。
蓋をゆっくり持ち上げる。
中には、布に包まれた晶石が1つだけ入っていた。
透明。
他より少し大きい。
でも、変わっていた。
「白い……?」
内部に、細い線がある。
光ってはいない。
白い筋が、晶石の中心を横切っていた。
胸の奥がざわつく。
見覚えがあった。
測定晶の中を走った光。
ベルとクロを見つけた場所でも見た。
あの白い線。
『……同じ』
クロが言った。
「やっぱり?」
『うん』
トワが1歩下がった。
「クルル……!」
今までで一番強い鳴き声だった。
「何か来る」
フィアがすぐに弓へ手をかける。
「分かる?」
「トワじゃない。音」
狐耳が通路側へ向いている。
俺もベルへ手を伸ばす。
カリ。
遠くで音。
カリ、カリ。
聞いたことがある。
晶石を削る音。
「入口!」
責任者が職員を下がらせる。
俺は扉の前へ出た。
ベルを構える。
通路は暗い。
音だけが近づいてくる。
カリ。
ガリ。
途中で。
止まった。
「……どこだ?」
俺が呟いた瞬間。
「上!」
フィアの声。
見上げる。
天井。
黒い影が張り付いていた。
「っ!」
落ちてくる。
ベルを上げる。
でも、影は俺を狙っていなかった。
横。
棚。
白い線の入った晶石。
「そっちか!」
黒い個体が木箱へ飛びつく。
俺がクロを抜くより早い。
口が開いた。
ガリッ。
硬い音。
「離れろ!」
ベルを押し込む。
黒い個体は晶石をくわえたまま跳ぶ。
前に見た時より大きい。
猫ほどだった身体が、今は中型の犬くらいある。
それだけじゃない。
形も変わっていた。
片方の前脚だけが太い。
肩の一部は盾みたいに硬そうな板で覆われている。
反対側の脚は細く長い。
背中には、刃みたいに尖った突起。
別々の生き物を無理に繋いだような姿だった。
「同じやつ?」
俺が言う。
「痕跡は同じ」
フィアが答える。
「たぶん」
黒い個体が晶石を噛む。
もう1度。
ガリッ。
その瞬間だった。
白い線が光った。
「っ!」
晶石の中だけじゃない。
黒い個体の口元から、細い白光が走る。
首。
胸。
腹。
体内をなぞるように。
一瞬だけ。
次の瞬間には消えた。
『前のと同じ』
クロの声が震えた。
「白い線?」
『うん』
黒い個体が顔を上げる。
俺を見た。
いや。
俺だけじゃない。
背中のベル。
手の中のクロ。
順番に見ているような気がした。
トワが俺の足元へ走ってくる。
「クルル……!」
完全に怯えている。
ベルの裏へ潜り込み、そこから黒い個体を睨む。
フィアは矢をつがえたまま、すぐには撃たない。
「どうする?」
聞かれた。
狭い部屋。
後ろには職員が2人。
目の前には、前より大きくなった黒い個体。
それでも。
俺はすぐに斬りかからなかった。
「まず職員を外へ」
「分かった」
フィアが下がりながら射線を取る。
「私が見る」
「俺が前」
責任者が職員を扉の外へ出す。
黒い個体は追わない。
逃げもしない。
晶石を口にくわえたまま、じっとこっちを見ている。
『小僧』
ベルが低く言う。
『さっきまでと違うぞ』
「見れば分かる」
『そうじゃねえ』
「何が?」
少し間があった。
『見てやがる』
俺は黒い個体を見る。
目が合った。
今までと違う。
ただ逃げ道を探している感じじゃない。
攻撃するでもなく。
怯えるでもなく。
こっちを確かめている。
そんな気がした。
黒い個体の口元で。
もう一度だけ。
白い線が、細く光った。




