第42話 測定晶が覚えていること
冒険者ギルドの測定室には、見慣れない札が掛けられていた。
――測定停止中。
その下には、急ぎの測定が必要な場合は受付へ、と小さく書かれている。冒険者になってから何度も来た場所なのに、その札が1枚あるだけで妙に違って見えた。
「本当に止めたんだな」
「昨日、交換するって言ってたでしょ」
隣に立つフィアが、閉じた扉を見上げる。
「聞いてたけどさ。測定晶が使えないギルドって、なんか変な感じがする」
『小僧の場合、使えてもずっとレベル1だったけどな!』
「昔の話だろ」
『ついこの間までだろうが』
「うるさいな」
ベルへ小声で返すと、今度はクロがぼそりと割り込んできた。
『今は3』
「分かってるよ」
『3』
「なんで言い直した?」
返事はなかった。
視界の端にいる半透明の少女は、もう興味をなくしたように測定室の扉を見ている。
「また話してるの?」
フィアがこっちを見る。
「……まあ」
「忙しいね」
「俺じゃなくて、あっちがな」
フィアはベルとクロに意思があることを知っている。ただし2人の声を直接聞くことはできないし、人の姿も見えていない。
だから最近は、俺が突然小声で何か言っても、それ以上は深く聞かなくなった。
ありがたい。
同時に、だいぶ変なやつだと思われている気もする。
しばらくすると扉が開き、中からギルド職員が顔を出した。
「お待たせしました。どうぞ」
案内されて測定室へ入る。
普段なら部屋の中央で淡い光を放っている大型測定晶は、今日は光を失っていた。透明な結晶の周囲には数人の職員が集まり、台座の固定具を外したり、記録を取ったりしている。
いつもは壁や床と同じくらい気にしていなかったけれど、作業中の姿を見るとかなり大きい。俺の背丈より高く、下半分は専用の台座へ深く固定されていた。
「近くまでは構いませんが、測定晶には触れないでください」
作業を見ていた技師が俺たちへ声をかける。
「停止はしていますが、交換途中です」
「はい」
昨日、ミナさんからも言われている。
怪しいものを見つけても勝手に触るな。
さすがに覚えている。
俺とフィアは、測定晶から少し離れた机へ案内された。そこには何枚もの記録紙が広げられている。
「今日は昨日確認された欠損について、もう少し詳しく説明します。それから、ルカさん自身の測定記録も確認してもらいます」
「俺の記録も?」
「何が消えたのかを調べるには、本来何が残っていたはずなのかも確認する必要がありますから」
技師が最初の紙をこちらへ向ける。
名前。
冒険者ランク。
レベル。
技能。
魔力反応。
ここまでは知っていた。
けれど、その下には見覚えのない項目が続いている。
「……こんなに記録されてるんですか?」
「冒険者本人へ常に全項目を見せているわけではありませんからね」
技師は俺の反応を気にする様子もなく説明を続けた。
「測定晶が保存するのは、レベルや技能だけではありません。魔力の傾向、過去の戦闘記録、負傷箇所。それから継続して測定している冒険者なら、戦闘時の行動傾向もある程度残ります」
フィアが紙へ視線を落としたまま聞く。
「行動傾向って?」
「例えば、危険を感じた時に右へ避けることが多いか、左へ避けることが多いか。盾を使う者なら受ける角度、剣士なら得意な攻撃距離。魔法使いなら魔力を使いやすい距離や、消耗の傾向ですね」
「そこまで残るんだ」
「すべてを完全に記録できるわけではありません。ただ、測定や依頼報告を積み重ねれば、傾向は見えてきます」
俺は目の前の記録紙を見た。
測定晶は、強くなったかどうかを見る道具。
ずっと、そんなものだと思っていた。
レベル1だった頃は、何度測っても変わらない数字を見せてくるだけだったから、むしろ嫌な現実を確認するための道具に近かった。
でも実際には、俺がどちらへ避けるか。ベルをどう構えるか。どの距離からクロを振るのか。自分でも数えたことのないような部分まで、少しずつ記録されているらしい。
「……思ってたより、見られてる感じがしますね」
「そう感じる方はいます」
技師はあっさり認めた。
「ただ、記録する理由もあります。例えば同じ場所を何度も負傷している冒険者へ、高危険度の依頼を続けて回さないためです。魔力を使いすぎる傾向があれば治療師が事前に注意できますし、昇格審査でも単純な討伐数以外を見る材料になります」
「ああ……」
それなら分かる。
依頼に成功したか、魔物を何体倒したか。それだけで冒険者を判断するなら、前に俺たちが12人を連れて帰ったことだって、討伐数だけ見れば0体だ。
残す意味はある。
怪我の記録だって、俺は何度も治療師に世話になっている。
それでも、自分でも意識していない癖までどこかに保存されていると知ると、少し落ち着かなかった。
『気にしすぎだ、小僧』
ベルが言う。
『お前の癖なんざ、俺様の方がよっぽど知ってるぞ』
「それはそれで嫌だな」
『何ぃ!?』
思わず返してしまい、俺は慌てて咳払いした。
フィアが横目で見る。
「また?」
「……うん」
「大変だね」
背中から何か聞こえたけれど、今度は無視した。
「次に、ルカさんの記録です」
技師が1枚の紙を抜き出した。
そこには、見慣れた数字が並んでいる。
レベル1。
そして次の記録には、レベル3。
その間にある戦闘記録へ目が止まった。
「灰牙狼……」
「はい。その戦闘後に、レベル1から3へ上昇しています」
あの時のことは今でもはっきり覚えている。
ベルとクロを見つけて、3人で帰ろうと決めて、どう考えても勝てそうにない相手と戦った。
測定晶に《3》が出た時は、何かの間違いだと思ったくらいだ。
「この上がり方って、やっぱり珍しいんですか?」
「大きな上昇ではあります。ただ、原因までは判断できません」
「ユニークスキルとかは?」
「少なくとも測定上は確認されていません」
そこは変わらないらしい。
灰牙狼を倒した。
レベルが3になった。
俺に分かっているのは、今もそこまでだった。
「測定晶の故障は?」
フィアが尋ねる。
「当時、その可能性も考えて再測定しています。結果は同じです」
技師がもう1枚の記録を並べた。
どちらにも《3》とある。
「……懐かしいな」
「何が?」
「あの時、信じられなくて2回見た」
「そんなに?」
「半年以上ずっと1だったからな」
フィアは少しだけ黙ってから聞いた。
「嬉しかった?」
「そりゃ嬉しかったよ」
「そっか」
それ以上は何も言わなかった。
変に励ましたり、過去の俺をかわいそうだと言ったりしない。その距離が、今はちょうどよかった。
「問題はここです」
技師の指が、再測定記録の横で止まった。
記録の一部が、不自然に空いている。
日時はある。
担当者の名前もある。
レベル3という結果も残っている。
なのに、そこだけ何もない。
「白い光の記録ですよね」
「はい」
「俺は見ました」
「当時の測定担当者も、通常とは異なる発光を確認したと証言しています」
「じゃあ、本当ならここに残ってる?」
「異常反応があったという記載は作成されたはずです」
技師は断言を避けたけれど、意味は同じだった。
あったはずの記録がない。
昨日見た報告書と同じだ。
地図にない空間。
ベルとクロ。
白い走査線。
今度は、俺の測定記録まで。
『……ない』
クロが呟く。
「クロ、何か分かる?」
『分からない』
少し間があった。
『でも、ない』
「それは俺も見れば分かるよ」
クロは黙った。
昔の記憶が欠けているクロに、いきなり答えを求めても仕方がない。それでも白い線が関わるたび、クロが何かを気にしているのは確かだった。
「ねえ」
フィアが技師へ向き直る。
「これだけ記録が溜まったら、その人が次に何をするかも分かるの?」
「次に、ですか?」
「戦ってる時。右へ避けることが多いとか、盾をこの角度で出すとか、この距離なら剣を振るとか。そういうのが全部残ってるんでしょ」
「ええ」
「じゃあ、記録が増えれば増えるほど、次に選ぶことも分かる?」
俺も技師を見る。
考えてみれば、気になる。
俺自身が忘れているような癖まで記録されているなら、それを全部集めれば、俺が次に何をするかだって予想できるんじゃないか。
技師は少し考えたあと、首を横へ振った。
「可能性は上げられると思います」
「可能性?」
「過去に10回同じ状況があり、そのうち8回右へ避けているなら、次も右へ避ける可能性が高いとは言えます。ただし、確定はできません」
「どうして?」
「記録できるのは、すでに起きたことだからです」
技師が紙を1枚持ち上げる。
「これまで100回同じ選択をしていても、次に本人が違うことを選べば、その時点で予測は外れます」
フィアは少し考えてから、小さく頷いた。
「じゃあ、覚えられるのは前までなんだ」
「そういう言い方もできますね」
前まで。
妙に耳に残る言葉だった。
俺が昨日までどう戦ってきたかは記録できる。
でも、次にどうするかはまだどこにもない。
当たり前の話なのに、さっきまで自分の中身まで全部測定晶に知られているような気がしていたせいか、少しだけ肩の力が抜けた。
「測定晶は便利です」
技師が言う。
「ですが、人間そのものではありませんから」
その時、大型測定晶の方から声が飛んだ。
「すみません。確認をお願いします」
技師の表情が変わった。
俺とフィアもそちらを見る。
台座の前にしゃがんでいた職員が、記録板と測定晶を何度も見比べている。
「どうしました?」
「記録量が合いません」
技師がすぐに近づいた。
「停止前との差は?」
「ごく僅かです。最初は誤差かと思ったんですが、3回確認しても同じ数値でした」
「停止後に記録移動は?」
「していません」
「外部接続は?」
「切っています」
技師が黙った。
職員も何も言わない。
俺でも分かる。
停止している。
何も移していない。
それなら、減る理由がない。
「ルカ」
フィアが俺の袖を軽く引いた。
「うん」
「近づかないで」
「まだ何もしてないけど」
「する前に言った」
「信用ないな」
「あるから言ってる」
どういう意味だ。
聞き返そうとした時、職員が大型測定晶の下部にある固定具を外した。
カラン、と硬い音が床へ落ちる。
フィアが先に視線を向けた。
「何か落ちた」
床の上に、小さな透明の欠片が転がっていた。
俺は反射的に1歩近づく。
「触らない」
すぐにフィアに腕を掴まれた。
「見るだけだよ」
「手も出てた」
見れば、確かに少し出ていた。
「……見るだけの手だ」
「そんな手ない」
俺は大人しく引っ込めた。
技師が細い器具を使い、欠片を慎重に拾い上げる。
透明な晶石の一部。
ただ、割れ方がおかしい。
普通に欠けたなら、断面はもっと鋭くなるはずだ。目の前の欠片は、端の一部だけが細かく削れている。丸いというほど滑らかではない。でも、亀裂が走って割れた形とも違う。
「これ……壊れた跡ですか?」
「待ってください」
技師が欠片を光へ透かす。
フィアも少し身体を傾けた。
削られた縁には、小さな窪みがいくつも並んでいる。
しばらく見ていたフィアが、ぽつりと言った。
「……食べたみたい」
誰もすぐには答えなかった。
透明な欠片の端には、何かが何度も歯を立てたような細かな跡が残っていた。
まるで、硬い晶石を少しずつ噛み取ったみたいに。




