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双醒のアルマ ――最弱の少年と、眠れる二つの古代武装――  作者: 白峰ユウ
双醒のアルマ III 記録を喰らう獣

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第41話 消えた記録

 あれから、数日が経った。


 右腕に残っていた痛みも、今では強く動かさなければ気にならないくらいまで引いている。治療師からも、無理をしなければ普段の生活に戻っていいと言われた。


 問題は、その「無理をしなければ」がどこまでを指すのかだった。


『迷宮に行くのは無理に入るか?』


「入るに決まってるだろ」


『俺様なら行けるぞ』


「ベルじゃなくて俺の話だからな」


 背中の大盾から届く声に小さく返しながら、俺は冒険者ギルドの扉を押した。


 昼前のギルドは、それなりに人が多い。依頼板の前では何人かの冒険者が紙を取り合うように眺め、受付には依頼帰りらしい一団が並んでいた。いつもと変わらない光景なのに、数日前まで地下で12人の帰り道を探していたせいか、妙に平和に見える。


 俺が中へ入ると、受付の向こうにいたミナさんがすぐこちらを見た。


「ルカ」


 手招きされたので近づく。


「腕は?」


「ほとんど大丈夫です」


「ほとんど、ね」


 ミナさんの視線が右腕へ落ちる。


「治ったとは言ってません」


「分かってるならいいけど。痛くなったらちゃんと言うこと」


「はい」


「返事だけはいいんだから」


 少し呆れた顔をされた。


 灰牙狼の時から、ミナさんは俺の怪我に前よりうるさくなった気がする。今回も帰還予定を大きく過ぎたから、たぶん余計にだ。


「フィアはもう来てるよ」


「え?」


「奥」


 ミナさんが受付の後ろにある扉へ視線を向ける。


「今日は依頼じゃない。調査の件で、2人に確認してほしいことがあるの」


 さっきまでの砕けた声が、少しだけ仕事のものに変わった。


 俺は背筋を伸ばす。


「……分かりました」


 ミナさんに案内されて、普段は入らないギルドの奥へ進んだ。


 通されたのは、小さな会議室だった。


 長机と椅子、それから壁際に書類棚があるだけの簡素な部屋。窓は小さく、外の喧騒もほとんど聞こえない。


 フィアはすでに席についていた。


「遅い」


「時間前だよ」


「私の方が早かった」


「それを遅いって言うのか?」


「今日は言う」


 いつも通りの声だった。


 ただ、机の上に並べられた書類へ目を移した瞬間、フィアの表情が少し引き締まる。


 俺も向かいの椅子へ座った。


「ミナさん、これは?」


「順番に説明するね」


 ミナさんは扉を閉めると、机の上にある2つの紙束をこちらへ向けた。


「こっちが、ルカが前に提出した報告書を元に作った保管記録。こっちは別系統で残ってた複写記録」


 見た目はほとんど同じだ。


 何枚かめくってみる。


 灰牙狼。


 迷宮内での負傷。


 通常とは違う通路。


 見覚えのある内容が並んでいる。


 けれど、ページを追ううちに妙な違和感が出てきた。


「……ここ」


 俺が指を止める。


 地図外の空間について書いたはずの部分。


 文章が途中から繋がっていない。


 前後だけを読めば、俺が普通の通路で灰牙狼と遭遇したようにも見える。


「ない」


 フィアが隣の紙束を見比べながら言った。


「うん」


 ミナさんが頷く。


「最初は単純な転記ミスも考えた。でも、他にもある」


 次の紙。


 白い光。


 俺がベルとクロを見つけた地下空間で見た、あの細い走査線。


 その記述もない。


 さらに。


「古代武装……」


 ベルとクロについて書いた部分も、妙に薄くなっていた。


 全部が消えているわけじゃない。


 特殊な装備を持ち帰ったこと自体は残っている。


 でも。


 どこで見つけたのか。


 なぜそこにあったのか。


 発見時に何が起きたのか。


 重要な部分だけが抜け落ちている。


『……気に入らねえな』


 ベルの声が低くなる。


 一般の職員がいる場所だから、声は俺にしか届かない念話だ。


 クロは何も言わない。


 けれど、視界の端にいる半透明の少女は、机の上の記録をじっと見ていた。


「誰かが消したんですか?」


 俺が聞くと、ミナさんはすぐには頷かなかった。


「それが分からないの」


「分からない?」


「記録を変更したなら、普通は担当者か確認者の履歴が残る。少なくとも、誰がいつ触ったかまでは追えるはず」


 ミナさんが一枚の紙を指で叩く。


「でも今回は、それがない」


 フィアが顔を上げた。


「最初から書かれてなかったみたいに?」


「今残ってる記録だけ見ればね」


「でも、書いた」


「書きました」


 俺は即答した。


 あの時のことは覚えている。


 地図にない穴。


 ベルとクロ。


 白い線。


 戻ってから何度も説明した。


 信じてもらえなかった部分だって多かったけれど、だからこそできるだけ細かく話したはずだ。


「私も確認してる」


 ミナさんが言った。


「ルカがあの地下について説明したことは覚えてる。書類を受け取った職員も同じ。ただ、その内容が今の保管記録には残ってない」


 部屋が少し静かになった。


 誰かが消した。


 そう言われた方が、まだ分かりやすかった。


 でも今の話だと、消した人間がいない。


 なのに、消えている。


「それで、もう一つ」


 ミナさんが別の薄い書類を取り出した。


「ルカの測定記録」


「俺の?」


「灰牙狼を倒して戻った後のもの」


 そこには、見慣れた数字が並んでいた。


 レベル1。


 その後。


 レベル3。


 あの時、何度見ても信じられなかった数字だ。


 けれど今日はそこではなかった。


「測定した時、変な光が出たの覚えてる?」


「白い線ですよね」


「そう」


 胸の奥が少しざわつく。


 あれはベルとクロを見つけた場所で見たものと、よく似ていた。


「測定担当も異常反応として記録したはずなの。でも」


 ミナさんが紙をこちらへ滑らせる。


「その部分だけ残ってない」


「……また?」


「また」


 フィアが紙へ顔を寄せた。


「他は?」


「レベル上昇の記録はある。測定日時もある。担当者の名前もある。異常が起きた時間帯まで残ってる」


「なのに、白い光だけない」


「そういうこと」


 変だった。


 紙を消しただけなら、まだ人間の仕業だと思える。


 でも測定記録まで同じように欠けている。


 しかも、消えているのは全部。


 あの地下。


 ベルとクロ。


 白い線。


 繋がっていそうなものばかりだった。


「ミナさん」


「うん?」


「測定晶って、レベル以外にも何か残ってるんですか?」


 質問すると、ミナさんは少し考えてから答えた。


「かなり残るみたい」


「かなり?」


「ここからは専門の人に聞いた話だけどね」


 ミナさんは、自分の知識みたいに話さない。その辺りはいつもきっちりしている。


「技能の傾向とか、魔力の反応とか、過去の測定結果。それと、怪我や戦闘に関する記録も一部保存されてるって」


「戦闘?」


「詳しいところは担当の技師から聞いた方がいい。私も全部説明できるほど詳しくないから」


 フィアが腕を組む。


「そんなに入ってるの?」


「私も今回初めて細かく聞いた」


 レベルを測るための晶石。


 俺はずっと、ほとんどそれだけだと思っていた。


 数字を出す。


 技能を見る。


 せいぜいその程度。


 でも実際には、もっと多くのものを覚えているらしい。


『記録……』


 クロが小さく呟いた。


「クロ?」


 思わず声に出しかけて、俺は途中で口を閉じた。


 フィアだけならベルとクロに意思があることを知っている。


 でもここにはミナさんがいる。


 危ない。


「どうしたの?」


「いや。なんでもないです」


 ミナさんは少し怪しそうな顔をしたけれど、それ以上は追及しなかった。


「それでね。大型の測定晶は、いったん交換することになった」


「交換?」


「うん。今使ってるものを外して、別の晶石へ切り替える。古い方は停止させて詳しく調べるって」


「そこまで?」


 フィアが聞く。


 ミナさんは頷いた。


「報告書だけなら書類管理の問題で済んだ。でも測定記録にも同じような欠損が出てる。さすがに無視できないって判断」


 当然だと思う。


 測定晶は、冒険者なら何度も使う。


 もしそこに残った記録まで勝手に消えるなら、俺だけの問題じゃない。


「だから2人にも協力してほしい」


「何をすれば?」


「現場を知ってる人間として、調査班の確認に答えてほしいの。調査そのものは専門の人がやる。ルカたちだけで原因を探しに行ったりはしないこと」


 最後の部分だけ、妙に強かった。


「俺、そんなことします?」


 ミナさんとフィアが同時に俺を見る。


「……なんで2人とも黙るんですか」


「自覚ないんだ」


「ないんだね」


「フィアまで」


 少しだけ空気が緩んだ。


 でも、それも長くは続かなかった。


 フィアがもう一度、机の上の記録へ視線を落とす。


「これ、いつから?」


「分からない」


 ミナさんの声も仕事のものへ戻る。


「最後に正常だった時期を調べてる。でも、全部の記録を毎日見比べてるわけじゃないから」


「他の人の記録は?」


「それも確認中。今のところ、同じ欠損があると断定できるものは見つかってない」


 つまり。


 俺の周りだけ。


 そう考えた瞬間、背中のベルが少し重くなった気がした。


 もちろん、本当に重さが変わったわけじゃない。


 でも、嫌な感じがする。


「分かった」


 フィアが言った。


「協力する」


 ミナさんが俺を見る。


「ルカは?」


「俺もやります」


「無理しない範囲でね」


「はい」


「あと、勝手に地下へ行かない」


「はい」


「怪しいもの見つけても触らない」


「……はい」


「今ちょっと間があったよね?」


「気のせいです」


 フィアが小さく息を吐いた。


 笑ったのか呆れたのかは分からない。


 話が終わり、ミナさんが書類をまとめ始める。


 その手元を見ながら、俺はもう一度だけ欠けた記録へ目を落とした。


 地図にない穴。


 白い線。


 ベルとクロ。


 そして、俺の測定記録。


 別々だったはずのものが、少しずつ同じ場所へ集まってきている。


 誰かが消したのなら、理由がある。


 誰も消していないのなら。


 それは、それで余計に気味が悪い。


 会議室を出る前、フィアが俺の横で小さく言った。


「また増えたね」


「何が?」


「分からないこと」


「……増えたな」


「今度は勝手に行かないで」


「行かないよ」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんじゃ駄目」


 即座に返された。


 俺は苦笑して、扉へ手をかける。


 その頃。


 俺たちの誰も見ていないギルド地下の測定室で、大型測定晶の奥に小さな影が揺れた。


 黒い染みのようなものが、透明な晶石の内側をほんの少しだけ這う。


 次の瞬間には消えていた。


 まるで最初から、そこには何もなかったみたいに。

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