第40話 0体、12人
地上へ続く最後の階段を上った時、最初に感じたのは眩しさだった。
迷宮の照明石とは違う、本物の光が目に入る。思わず目を細めると、その横を担架が運ばれていった。
1人。
その後ろにも、もう1人。
肩を借りながら歩く人もいる。疲れ切っているし、怪我だってしている。それでも12人とも、自分の身体で地上へ戻ってきた。
「……帰った」
自分でも気づかないうちに、声が漏れていた。
『おう』
ベルの返事が頭の中に響く。
『地上』
クロも短く続ける。
「ああ」
迷宮の入口前は、いつもよりずっと騒がしかった。救護班が次々と負傷者を受け取り、待機していたギルド職員が名前を確認していく。
行方不明になっていた人の家族なのか、少し離れた場所では泣きながら誰かを抱きしめている人もいた。
俺たちは、その邪魔にならないよう端へ寄る。
そこでようやく、本当に帰ってきたんだと思った。
◇
「ルカ!」
聞き覚えのある声が飛んできた。
振り向くより先に、ミナさんが人混みを抜けてくる。
いつもの受付制服ではなく、迷宮前の臨時対応用らしい上着を羽織り、手には書類の束を抱えていた。
「ミナさん」
呼ぶと、目の前まで来たミナさんが俺を上から下まで見る。
顔。
肩。
腕。
足。
最後に、その視線がベルで止まった。
「怪我は?」
「前より増えてないと思います」
「思います、じゃなくて」
「腕がちょっと痛いくらいです」
「ちょっと?」
「……結構?」
「治療班」
「はい」
言われる前に観念した。
ミナさんはそれからフィア、護衛、救護担当も順番に確認する。全員が立っていると分かって、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「……おかえり」
「ただいまです」
その言葉を聞くと、帰ってきた実感が急に強くなった。
◇
俺たちは、すぐに正式な報告へ回されたわけではなかった。
まず治療。
水分。
最低限の状態確認。
特に迷宮内に長く閉じ込められていた12人の診察が優先される。
俺も右腕を見てもらったけれど、骨や腱に問題はなかった。ベルで壁を支え続けたせいで、筋肉と関節にかなり負担がかかっているらしい。
「数日は無茶しないでください」
「迷宮は?」
「無茶しないでください」
「答えになってないような」
「なっています」
治療担当の目が怖い。
「分かりました」
素直に引き下がる。
少し前にも怪我で迷宮を止められたばかりなのに、また同じことになったら笑えない。
『懲りねえな、小僧』
「ベルには言われたくない」
『俺様は頑丈だからな!』
原因の半分くらいは、その頑丈な盾を使ったせいなんだけど。
口に出すと面倒なので黙っておく。
◇
全員の状態確認が終わったのは、それからしばらくしてからだった。
死亡者は0人。
救助対象は12人。
重傷者はいるし、しばらく治療が必要な人もいる。それでも、12人とも生きていた。
「確認取れました」
ミナさんが手元の書類を見る。
「行方不明者12人。全員、生存確認。身元も一致しています」
そこにいたギルド職員の何人かが、安堵したように息を吐いた。
「よかった……」
救護担当の女性も壁へ背を預ける。
迷宮の中ではずっと冷静だったのに、今になって力が抜けたらしい。
「本当に12人いたんだな」
護衛が呟く。
「最初からいましたよ」
「そういう意味じゃない」
分かっている。
途中、何度も本当に全員を帰せるのかと思った。
道が閉じた時。
壁が動いた時。
最後の1人が残った時。
俺たち自身が取り残されかけた時。
それでも結果として、12人全員がここにいる。
◇
「それで」
少し落ち着いたところで、ミナさんが別の紙を取り出した。
「討伐記録なんだけど」
「あ」
言われて気づいた。
「何体?」
「0です」
即答した。
ミナさんが顔を上げる。
「0?」
「0です」
「《岩喰い大百足》は?」
「倒してません」
「ほかの魔物は?」
「戦ってません」
正確には、戦う必要がなかった。
遭遇を避け、大百足も倒さなかった。攻撃したとしても、退路を作るための最低限だけだ。
討伐として数えられるものは1体もいない。
ミナさんが書類へ視線を戻す。
「討伐0体」
その横へ何かを書き込む。
「救助12人」
今度は少しだけペンが止まった。
数字だけ並べると、妙な結果だった。
「0体、12人か」
護衛が横から覗く。
「なんか変な数字だな」
「俺も思いました」
普通、冒険者の成果と言えば、何を倒したか、どれだけ危険な魔物を討伐したか、どんな魔石を持ち帰ったか、そういう話になる。
今回は何も倒していない。
魔石もない。
それでも12人を連れて帰った。
「私は好きだけどね」
ミナさんが言った。
「その数字」
「そうですか?」
「0体だから」
意外だった。
「倒してないから12人帰ってきたんでしょ?」
俺は少し考える。
「……まあ、そうですね」
大百足を倒していたら、迷宮の構造そのものが崩れていたかもしれない。
俺たちは勝てたかもしれない。
でも、そのあと12人が帰れた保証はない。
「なら、十分だと思う」
ミナさんはそう言って、書類へもう一度ペンを走らせた。
◇
もちろん、全員が同じ反応だったわけじゃない。
少し離れたところで話を聞いていた冒険者たちの中から、声が聞こえた。
「結局、ボスは倒してないのか?」
「逃げて帰ってきただけじゃねえか」
「12人見つけただけなら、討伐隊が入った方が早かったんじゃないか?」
声は大きくない。
でも、聞こえないほど小さくもない。
前なら、少し腹が立ったかもしれない。
灰牙狼を倒した時も、ベルとクロの力だけだと言われた。
今度は、戦わず逃げただけ。
そう言われるらしい。
『ぶん殴るか?』
ベルが言う。
「やめろ」
『盾で』
「もっと駄目だろ」
思わず笑いそうになる。
フィアが俺を見る。
「気になる?」
「ちょっとは」
「そう」
「でも」
向こうを見る。
治療を受けている12人。
水を飲んでいる人。
家族らしい人と話している人。
担架の上で眠っている人。
「全員帰ったからな」
それだけで、前ほど気にならなかった。
フィアも12人の方を見る。
「うん」
それ以上は何も言わなかった。
◇
正式な聞き取りは、その日のうちに全部終わらなかった。
当然だ。
俺たちだけでも情報量が多い。
三つの異なる構造。
《重層迷宮》。
消える道。
動く壁。
《岩喰い大百足》。
閉じ込められていた12人それぞれの証言。
ギルド側も、簡単に整理できる量じゃない。
「今日は概要だけ」
ミナさんが言った。
「詳しい報告は、全員休んでから改めてやります」
「助かります」
「ルカは特に」
「俺?」
「話し始めると全部説明しようとするでしょ」
「そんなことないですよ」
ミナさんとフィアが同時にこっちを見る。
「……ありますね」
認める。
今日は休んだ方がよさそうだ。
◇
ただ、その前に1つだけ確認しておきたいものがあった。
測定晶。
ギルドへ戻った俺は、大型の晶石の前に立った。
「やるの?」
フィアが隣から聞く。
「一応」
「大百足、倒してないのに?」
「だから確認するんだよ」
格上を倒した時にだけ、俺の数字は大きく動いた。
今回は倒していない。
救助した。
逃げ道を考えた。
大百足を誘導した。
ベルと一緒に崩落を支えた。
それでも、魔物は1体も倒していない。
俺は測定晶へ手を触れた。
淡い光が広がる。
表示が浮かび上がった。
《3》
変わっていない。
もう一度見ても同じだった。
レベル3。
「上がってない」
フィアが言う。
「うん」
「残念?」
少し考えた。
前なら、たぶん残念だった。
これだけ大変なことをして、何も数字が増えなかったら、何のために頑張ったんだと思っていたかもしれない。
でも今は。
「まあ、いいかな」
「本当に?」
「本当に」
俺は測定晶から手を離す。
「12人帰ったし」
フィアが少しだけ笑った。
「ならいい」
「あっさりだな」
「ルカがいいなら」
「そういうもの?」
「そういうもの」
それで話は終わった。
◇
翌日。
改めてギルドへ呼ばれた俺たちは、調査担当者を交えて報告をまとめることになった。
机の上には3枚の地図が並んでいる。
ルーメン迷宮。
湿った黒い石の構造。
乾いた黄色い石の構造。
俺とフィアが歩きながら書いた仮の地図だ。
「やっぱり、おかしい」
調査担当者が呟く。
「何がですか?」
「位置関係だ」
3枚をずらし、重ね、また動かす。
俺たちが実際に通った場所を基準にすると、普通なら一致しないはずの線が、妙なところで重なっていく。
「これ」
フィアが身を乗り出した。
俺も気づいた。
通路だと思って書いた線。
壁の位置。
大百足が削った場所。
それらを3枚重ねると、ただの迷宮地図には見えなくなった。
円。
そこから伸びる線。
さらに内側にも、規則的な形がある。
「模様?」
俺が聞く。
「そう見える」
調査担当者の表情が変わった。
「迷宮の地図じゃない?」
「少なくとも、偶然にしては出来すぎている」
紙の位置を細かく調整していく。
やがて、3枚の印が同じ場所で重なった。
俺は、その場所に見覚えがあった。
「ここ……」
以前、地図には存在しない穴へ落ちた場所。
ベルとクロを見つけた。
あの位置に近い。
胸の奥が、少しだけ冷たくなる。
『ルカ』
クロの声。
「分かってる」
小さく返す。
あの穴。
今回の重なった迷宮。
偶然じゃないのかもしれない。
◇
「この地図、預かってもいい?」
ミナさんが聞いた。
「はい。写しは残してあります」
「調査部門にも回します」
「王都にも?」
「必要なら」
俺は頷く。
前に穴を調べてもらった時は、何も確認できなかった。
今回も、俺たちが見た《重層迷宮》が同じ形で残っている保証はない。
それでも今回は地図がある。
12人の証言もある。
俺たちだけが見たものじゃない。
少なくとも、前よりずっと証拠は多い。
「今度こそ何か分かるかな」
俺が呟くと、フィアが地図を見る。
「分からない」
「そこは期待させてよ」
「分からないものは分からない」
「ですよね」
変わらない。
少しだけ笑った。
◇
その日の夕方。
俺はギルドを出る前に、報告書の写しを受け取った。
今回の調査内容。
発見した構造。
12人の救助。
《岩喰い大百足》の特徴。
迷宮の変化。
できるだけ詳しく書かれている。
はずだった。
「……あれ?」
ページをめくっていて、手が止まる。
「どうしたの?」
ミナさんが受付から顔を上げた。
「ここ」
報告書を見せる。
最初に提出した内容には、ベルとクロを見つけた穴との位置関係や、測定記録に残った白い線、今回の地図との共通点についても書いた。
でも。
写しにはない。
「これ、削りました?」
「どこ?」
ミナさんが紙を見る。
眉を寄せた。
「私は削ってない」
「じゃあ調査担当?」
「確認する」
別のページも見る。
古代武装。
穴。
白い走査線。
その部分だけが、妙に綺麗に抜けている。
最初から書かれていなかったみたいに。
「ルカ」
クロの声が響いた。
いつもより少し低い。
『聞こえる』
「何が?」
思わず小声で返す。
ミナさんがこちらを見る。
「ルカ?」
「いや……」
クロへ意識を向ける。
「クロ。何が聞こえる?」
しばらく返事がなかった。
『声』
「誰の?」
『分からない』
クロの声が、わずかに震れた。
そして。
俺の頭の中ではなく、もっと遠い場所から。
何かがクロを通して聞こえた。
『――観測対象』
息が止まる。
『――継続追跡』
それだけ。
声は消えた。
「クロ?」
『もう、聞こえない』
俺は報告書を握ったまま動けなかった。
紙の上には、何もない。
消えた記述。
重なった3枚の地図。
中心にある、あの穴。
今回、俺たちは12人を連れて帰った。
魔物は0体。
レベルも3のまま。
それでも。
何かが、また俺たちを見ている。
そんな気がした。




