第36話 帰る
紙の上に、十二人分の印が並んでいた。
名前の横には、歩けるかどうか。肩を貸せば進めるか。長い距離を移動できるか。救護担当から聞いた状態を、できるだけ簡単に書き込んである。
昨日までは、出口さえ見つかれば帰れると思っていた。
でも、違った。
道が開いている時間が短いなら、誰から通すかで結果が変わる。全員が同じ速さで走れるわけじゃないし、怪我人を支える人間まで必要になる。
「まず、歩けない人から?」
俺が聞くと、救護担当の女性はすぐには頷かなかった。
「普通ならそうしたい。でも、この迷宮では一番遅い人を最初に動かすのが正しいとは限らない」
「道が閉じるかもしれないから?」
「それもある」
フィアが横から地図を寄せる。
「最初の人が通ったあと、同じ道が残る保証がない。だから一人目には、向こう側で動ける人が必要」
言われて、紙を見る。
負傷者を最初に出せば、その人だけは安全に近づく。
でも向こう側で道が変わったら。
その人は一人で動けない。
「じゃあ、最初は元気な人?」
「少なくとも自力で動ける人」
フィアが答える。
「向こう側の安全確認も必要」
「戻れる人の方がいい?」
「できれば」
帰す順番を決める。
ただ並べればいいと思っていた。
全然違った。
誰を先に出すか。
その人が向こうで何をするか。
次の人を受け取れるか。
道が閉じた時、自力で戻れるか。
全部考えないといけない。
◇
俺たちは十二人を大きく三つに分けた。
自力で問題なく歩ける人。
歩けるけれど、疲労や軽傷で長距離は厳しい人。
そして、移動に明確な補助が必要な四人。
「人数だけなら、最初の組はこっちから選べる」
救護担当の女性が、自力で歩ける人たちを見る。
「でも護衛できる人が何人いる?」
俺は救助側を見る。
俺。
フィア。
護衛が一人。
救護担当が一人。
四人。
ただし、全員を同じ役割にはできない。
フィアは道を読む。
救護担当は負傷者を見る。
護衛は移動補助にも使いたい。
俺はベルで崩落や大百足に備えないといけない。
「思ってたより余裕ないな」
「最初からない」
フィアが言った。
「そうでした」
最近このやり取りが増えている気がする。
でも、こういう時のフィアは頼りになる。
俺は道を見て、できそうなことを考える。
フィアは先に、できないことを削っていく。
そのおかげで、無茶な案に時間を使わずに済む。
「じゃあ、最初は自力で動ける二人くらい?」
「多すぎるかも」
「一人?」
「最初は一人」
フィアは地図の端を指す。
「道の向こうが本当に安定してるか分からない。二人行って二人とも戻れなくなったら、こっちの人数が減る」
「一人で確認して、戻ってくる」
「それができれば」
また条件が増えた。
でも仕方ない。
この迷宮では、できれば、たぶん、今のところ、が多い。
確実なことの方が少ない。
◇
「俺が行くのは?」
そう言った瞬間、フィアがこっちを見る。
「却下」
「早くない?」
「ルカが向こうに行ったら、ベルも向こうへ行く」
「あ」
「こっちで崩れたら?」
「……困る」
「だから残る」
正しい。
悔しいくらい正しい。
『当然だな! 俺様を持っていくなら小僧ごとだ!』
ベルが胸を張っている気配がする。
「そこ誇るところかな」
『何だと?』
『重い』
クロが短く言った。
『クロォ!』
俺は反応しそうになって、なんとか黙った。
周囲には十二人の生存者もいる。
ここでいつもの調子で返したら、またフィアに変な顔をされる。
「じゃあ俺は残る」
「うん」
「最初に行く人は?」
フィアが自力で動ける人たちを見る。
その中から、護衛経験があるという男が手を挙げた。
「俺でいいなら行く」
「怪我は?」
「擦り傷くらいだ。走れる」
「戻れって言ったら?」
「戻る」
「勝手に先へ行かない?」
「行かない」
フィアが少し考える。
「じゃあ候補」
「候補なんだな」
男が苦笑する。
「まだ道がないから」
「そりゃそうか」
その通りだった。
順番を決めても。
肝心の出口はまだ確定していない。
◇
次に問題になったのは、負傷者をいつ動かすかだった。
「最後まで残すのは駄目」
救護担当がはっきり言った。
「体力が落ち続ける。今は歩けても、数時間後に同じとは限らない」
「でも最初も危ない」
「そう」
そこで話が止まる。
最初でも駄目。
最後でも駄目。
「真ん中?」
俺が言った。
二人がこっちを見る。
「最初に向こう側を確認する人を出す。その次に動ける人を何人か。向こうで受け取れる人数が増えたら、怪我人を送る」
「それなら補助ができる」
救護担当が頷いた。
「怪我人を先に送って孤立させることもない」
フィアも地図を見ながら考えている。
「でも一人ずつ」
「道が狭いから?」
「それもある。詰まったら全員止まる」
十二人を全員まとめて動かすより、少人数ずつ。
最初の人が向こうで確認。
次の人が行く。
向こう側に受け入れる人が増えたら、補助が必要な人を出す。
その間、こっちには護衛と救護要員を残す。
「最後に残る人は?」
誰かが聞いた。
何気ない質問だった。
でも、その場にいた全員が少し黙った。
最初に行く人より。
最後に残る人の方が危ない。
道が閉じる可能性が一番高いから。
「それはまだ決めない」
フィアが答えた。
「道が見つかってから」
俺も頷く。
今決めたら、余計なことまで考えてしまう。
◇
昼を過ぎた頃、俺たちは実際に移動できそうな通路を使って練習してみることにした。
本当に出口へ向かうわけじゃない。
生存者たちが集まっている空間から、少し離れた広い場所まで。
どれくらい時間がかかるのか測る。
「まず歩ける人だけ」
フィアが先頭に立つ。
その後ろへ二人。
俺は最後についていく。
普通に歩けば大した距離じゃない。
でも全員が迷宮慣れしているわけでもないし、疲労もある。
さらに、足元には段差や石粉が残っている。
「速い?」
俺が聞く。
「少し」
フィアが速度を落とす。
後ろの二人も無理なくついてくる。
これなら問題ない。
次は軽傷者。
少し遅くなる。
それでも、まだ許容範囲だった。
問題はその次だった。
◇
「ゆっくりでいい」
救護担当の女性が、足を痛めた男の横につく。
反対側には護衛。
二人で肩を支えながら歩く。
俺とフィアは少し前から様子を見る。
進める。
でも、遅い。
さっきの倍近く時間がかかっている。
狭い場所に入ると、さらに速度が落ちた。
「ここ無理」
フィアが止める。
「通れない?」
「通れる。でも時間かかりすぎる」
男を支えたまま身体の向きを変えないといけない。
足場も悪い。
もし後ろから大百足が来たら。
逃げ切れない。
「別の道が必要だな」
「うん」
俺たちはそこで引き返した。
練習だけでこれだ。
本番では道が動く。
大百足もいる。
崩落だってある。
余裕を見て考えないと危ない。
◇
最後に、背負わないと長い距離を移動できない男を試した。
護衛が背負う。
歩くこと自体はできる。
ただし、速度はかなり落ちた。
「俺が代わったら?」
護衛が首を振る。
「お前は盾があるだろ」
「だよな」
ベルを置いていくわけにはいかない。
俺以外には持てない。
それに、崩落が起きた時にベルが必要になる。
「俺は運ぶ側じゃなくて、道を守る側か」
『ようやく分かったか!』
「最初から分かってたよ」
『さっき背負うと言っただろうが!』
細かい。
でも。
少しだけ役割が見えた。
俺が全員を助ける。
そうじゃない。
俺は、全員が通れる時間を作る。
フィアは道を見つける。
護衛は人を運ぶ。
救護担当は状態を判断する。
生存者同士でも支え合う。
十六人で帰るなら。
一人で全部やろうとする方が無理だ。
◇
元の場所へ戻ってから、順番をもう一度組み直した。
一人目は、自力で動けて判断力のある人。
向こう側の安全を確認し、必要なら戻る。
二人目と三人目も自力で動ける人にして、向こう側で補助できる人数を増やす。
そのあとに軽傷者。
さらに、移動補助が必要な人。
最後まで完全に動ける人を数人残して、こちら側の支援に回す。
「これでどう?」
俺が紙を見せる。
フィアは上から下まで確認した。
「一番重い人、もう少し早く」
「背負う人?」
「うん。後ろに残すと、護衛の体力も減る」
「なるほど」
救護担当も頷く。
「それなら、向こう側に人が三人くらい着いた段階で送るのがいいと思う」
「じゃあ四番目か五番目?」
「その辺り」
紙の順番を書き換える。
これなら。
少なくとも昨日よりは現実的だ。
「十二人一気に、じゃないんだな」
生存者の男が言った。
「うん」
俺が答える。
「一人ずつでもいいから、確実に向こうへ送る」
「途中で閉じたら?」
「その時は止める」
「残った人は?」
また、その質問。
でも今度は答えられた。
「別の道を探す」
男が少し驚いた顔をする。
「最初の道に全部賭けない」
フィアが続ける。
「使える間だけ使う。閉じたら切り替える」
それが今の作戦だった。
全員を一度に帰そうとしない。
一つの道だけを信じない。
そして、帰れた人を増やしていく。
◇
話し合いが一段落した頃。
遠くから、ごり、と石を削る音がした。
《岩喰い大百足》。
昨日より少し左。
フィアがすぐに地図へ目を落とす。
「この方向」
「脆い石の区画?」
「近い」
俺も地図を見る。
大百足がそのまま進めば、昨日確認した広い削り跡の方へ近づく。
そこは負傷者でも通れそうな幅がある。
「使える道、開くかもしれない」
「かもしれない」
フィアは立ち上がった。
「見に行く?」
「うん。でも今日はもう一つ見る」
「何?」
「戻る道」
一瞬、意味が分からなかった。
「今までも見てたよな?」
「そうじゃない」
フィアは地図の端を指した。
前に見つけた、彼女一人なら通れそうな高い位置の細い隙間。
「あそこから、今の大百足の進行方向が見えるかもしれない」
「でも、フィアしか通れない」
「だから見るだけ」
俺は少し迷った。
あの道は。
フィアが一人なら出られるかもしれない道。
前に彼女自身が言った。
自分の出口であって、救助の道じゃない。
「一人で行く?」
「途中まで」
「戻れる?」
「確認してから進む」
いつものフィアなら。
一人で判断して。
一人で行っていたかもしれない。
でも今は、先に俺たちへ話している。
「分かった」
俺は頷いた。
「戻ってくる前提なら」
フィアが少しだけ目を細める。
「当たり前」
そう言って、弓の位置を直した。
帰る順番を決める。
十二人の順番だけじゃない。
俺たちも。
誰が先へ行くのか。
誰が残るのか。
誰が戻ってくるのか。
それを決めながら進む必要がある。
そして次に道を探しに行くのは。
フィアだった。




