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双醒のアルマ ――最弱の少年と、眠れる二つの古代武装――  作者: 白峰ユウ
双醒のアルマ Ⅱ 重なる迷宮/12人の帰還

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第33話 岩喰い大百足

 壁が動いたあとも、新しく現れた通路は閉じなかった。


 乾いた空気が細い隙間から流れ込み、黄色がかった砂が足元へ少しずつ広がっている。昨日までなら、その先がどこへ続いているのか確かめるために入っていたかもしれない。


 でも今回は、誰も動かなかった。


 少し前まで、あの壁はただの石壁だった。遠くで巨大な多脚の魔物が石を削り、そのあとに壁そのものが横へずれた。偶然で片づけるには、出来事の順番がきれいすぎる。


「昨日までの記録、もう一回見たい」


 フィアが言った。


「音がした場所?」


「それだけじゃなくて、道が開いた場所と閉じた場所も」


 俺は広げていた地図を引き寄せた。


 まともな地図と呼べるものではない。ルーメン迷宮の構造、湿った黒い石の場所、乾燥した黄色い石の場所。それぞれを別々に書いた紙へ、俺たちが実際に歩いた経路を重ねている。


 同じ位置に違う通路が書かれている箇所さえある。


「見れば見るほど気持ち悪いな」


 護衛の男が地図を覗き込む。


「普通の迷宮なら、地図を重ねたら分かりやすくなるはずなんだけど」


「これは逆」


 フィアが答えた。


「重ねるほど、おかしくなる」


 その通りだった。


 でも今は、そのおかしさそのものが手がかりになる。


     ◇


 まず、生存者たちからもう一度話を聞いた。


 閉じ込められてから何度も聞いたという、石を削る音。その音がどの方向から聞こえたのか、直後にどの道が使えなくなったのか、逆にどこが通れるようになったのか。


 正確な時刻まで覚えている人はいない。


 当然だと思う。


 いつ帰れるのかも分からない場所で、時計代わりになるものもほとんどない。怪我人を抱え、水と食料を節約しながら何日も過ごしていたんだ。


 それでも、複数人の記憶を重ねると共通する部分が出てきた。


「ここで音を聞いたあと、この道が開いた」


 1人の女性が地図を指す。


「その前は壁だった?」


「たぶん。少なくとも、私たちが最初に通った時には無かった」


「こっちは?」


「そこは逆だな」


 別の男が身を乗り出した。


「通れたはずの道がなくなった。戻ろうとしたら壁になってた」


 フィアが地図へ印をつけていく。


 俺も別の紙に整理した。


 大百足らしき音を聞いた場所。


 その前後で通れるようになった場所。


 逆に塞がった場所。


 さらに、生存者たちが別々の場所から合流できた地点。


「……これ」


 途中で手が止まった。


「何?」


 フィアが俺の紙を見る。


「合流した場所、大百足が通ったらしい跡の近くが多くない?」


 地図の上には、壁を削った痕跡を見つけた場所も記録してある。


 全部が一致するわけじゃない。


 でも、何本もの線が近い場所を通っていた。


 大百足が壁を削った。


 そこに新しい通路ができた。


 その結果、別々の場所にいた冒険者たちが同じ空間へ出られた。


「助けられたこともあるのか」


 俺が呟くと、最初に話していた男が頷いた。


「あの音がしなかったら、俺たちは合流できてないと思う」


「でも閉じ込められた原因でもある」


 別の女性が言った。


「開いた道を使って進んだら、後ろがなくなったこともあるから」


 助けた。


 閉じ込めた。


 どちらも同じものがやった可能性がある。


 それだけ聞くと意味不明だった。


「たぶん、俺たちのことなんて考えてないんだ」


 俺が言う。


「助けようとも、閉じ込めようともしてない。ただ自分が進んでるだけで、その結果として道が変わってる」


 フィアが少し考えてから頷いた。


「その考え方なら、今までの動きとは合う」


 人を狙っている魔物じゃない。


 でも安全でもない。


 あの巨体が近づくだけで、普通の人間なら潰される。壁を削れば崩落も起こる。


 そして何より。


 あいつが動けば、迷宮の形まで変わるかもしれない。


     ◇


「名前はどうする?」


 護衛が聞いた。


「報告するにしても、ずっと『大きい多脚のやつ』じゃ困るぞ」


「正式な種名までは分からない」


 フィアが答える。


「既知の魔物なのかも判断できない」


「でも岩食ってたよな」


 俺は昨日の光景を思い出す。


 巨大な顎が石壁へ食い込み、そのまま砕いた石を口の中へ取り込んでいた。


「じゃあ、《岩喰い大百足》とか?」


 自分で言ってから、ちょっと安直だったかと思う。


 護衛が俺を見る。


「そのままだな」


「分かりやすい方がいいだろ」


「私はそれでいい」


 フィアがあっさり言った。


「正式名称じゃなくて、今だけの呼び方なら」


「じゃあ決まり?」


「仮称」


 きっちり訂正された。


 これで少なくとも、「あれ」「あの音のやつ」よりは話しやすい。


 《岩喰い大百足》。


 名前がついただけなのに、少しだけ正体に近づいた気がした。


 もちろん、分かったのは見た目と行動の一部だけだ。


 どこから来たのか。


 普段どんな場所にいるのか。


 なぜ石を食べるのか。


 この《重層迷宮》と本当に関係しているのか。


 そこまでは何も分かっていない。


     ◇


 次に大百足の音が聞こえたのは、それからそれほど経っていない頃だった。


 ごり、ごり、と一定ではない間隔で響いてくる。


 今度は昨日より遠い。


「見に行く?」


 俺が聞くと、フィアはすぐには答えなかった。


 地図と音の方向を見比べている。


「見る。でも昨日と同じ」


「少人数。近づきすぎない。戦わない」


「うん」


「完璧だろ」


「言われる前にやれたら」


「厳しいな」


 それでも、前よりは信用されてきた気がする。


 俺とフィア、護衛の3人で音の方へ向かった。


 今回は大百足そのものを見ることより、どんな壁を選んでいるかを確かめる。


 昨日見た時、あいつは目の前の壁を片っ端から食べていたわけじゃない。


 何度か頭を動かし、別の場所へ移ってから石を削り始めていた。


 もし。


 あれに理由があるなら。


 使えるかもしれない。


     ◇


 大百足を見つけたのは、乾いた石と黒い石が入り混じる通路だった。


 昨日より少し離れた位置から観察する。


 長い胴体が通路の半分近くを埋めていた。節ごとに並ぶ脚が石床を掴み、硬い外殻がわずかな光を鈍く返している。


 頭部が壁へ近づく。


 食う。


 そう思った。


 でも、大百足は顎を一度壁へ当てただけで、その場所から離れた。


「食べない?」


 俺が小声で聞く。


「見て」


 フィアが別の場所を指した。


 少し先。


 黄色がかった石が露出している。


 大百足はそこへ頭を寄せた。


 顎の先で何度か石を確かめるように触れたあと、今度はそのまま噛み砕き始める。


 ごり。


 昨日と同じ音。


「選んでる?」


「そう見える」


 そのまま観察を続けた。


 黒い石。


 近づく。


 少し触れる。


 離れる。


 黄色っぽい石。


 触れる。


 削る。


 全部が同じではない。


 でも、何度か繰り返すうちに傾向が見えてきた。


「硬さか?」


 護衛が呟く。


「色じゃないと思う」


 フィアが答える。


「同じ色でも食べてない場所がある」


 俺も壁を見る。


 見た目では違いが分からない。


 でも大百足には分かるらしい。


 顎の先で確かめてから、食べる場所を決めている。


『柔らかい』


 クロの声が頭の中に落ちた。


「分かる?」


『少し』


 声に出さず、柄へ指を添える。


『石が違う。切るなら、あっちの方が浅くて済む』


 クロには剣としての感覚がある。


 俺には同じにしか見えなくても、刃を通すなら違いが分かるのかもしれない。


 フィアへ直接クロの話はできない。


 だから、自分でも周囲を見比べる。


「フィア。あいつが食べた場所、崩れやすそうなところが多い?」


「たぶん。でも確認したい」


 そこから少しだけ移動し、過去に削られた跡も調べた。


 指で触るだけで砂が落ちる場所。


 細かな亀裂が多い場所。


 石質が変わる境目。


 大百足が通った痕跡は、そういう場所に偏っている。


「硬いところを避けて、食べやすい石を選んでる」


 俺が言う。


「可能性は高い」


 フィアも同意した。


「なら」


 そこで、一つの考えが浮かぶ。


 もし進みやすい方を選んでいるなら。


 条件を作れば。


 進む方向も選ばせられる?


     ◇


 試すにしても、大きなことはできない。


 相手は昨日ベルへぶつかっただけで、俺の腕と足まで痺れるほどの衝撃を出した。


 挑発して向きを変えようとするなんて論外だ。


 俺たちは大百足がまだ離れている間に、進行方向の2か所を確認した。


 右側は黒くて硬い石。


 左側は、亀裂が多く比較的脆そうな石。


「このまま来たら、どっち選ぶと思う?」


 俺が聞く。


「左」


 フィアが答えた。


「私もそう思う」


「俺も」


 護衛が言う。


 結果は、少し待つだけで分かった。


 大百足は通路を進み、最初に右側の壁へ頭を向けた。顎を一度当てる。


 でも削らない。


 そのまま身体をずらし、左側へ移る。


 そこで石を確かめるように何度か顎を当てたあと、壁を噛み砕き始めた。


「左」


 俺が小さく言う。


「うん」


 偶然かもしれない。


 でも、今までの観察と同じだった。


 硬い場所を避ける。


 食べやすい場所を選ぶ。


 少なくとも、その傾向はかなり強い。


「完全には操れない」


 フィアが言った。


「でも選びやすい方向は作れるかもしれない」


「石の状態を変える?」


「壊すのは危ない」


「じゃあ、もともと脆い場所を使う」


「それなら」


 フィアが地図を見る。


 俺も同じことを考えていた。


 自分たちで壁を壊すんじゃない。


 大百足が選びやすい場所を見つけて、そっちへ進ませる。


 うまくいけば。


 新しい道を作らせられるかもしれない。


     ◇


 その時だった。


 大百足が食べるのを止めた。


 昨日と同じように、長い身体がほとんど動かなくなる。


 静かになったのは一瞬だった。


 すぐに、通路の奥から低い軋みが響いてくる。


 ぎ、と石が擦れる。


 さらに別の方向からも音がした。


「昨日より大きくない?」


 俺が聞く。


「うん」


 フィアの表情が硬くなる。


 近くの壁だけじゃない。


 足元にもわずかな振動がある。


 天井から細かな砂が落ちてきた。


「下がるぞ」


 護衛が言う。


 俺たちはすぐに数歩後ろへ下がった。


 大百足はまだ動かない。


 その間にも、どこか遠くで石がずれる音が続いている。


 一度。


 二度。


 昨日見た時より、はっきりしていた。


「止まってる間の方が強い?」


 俺が言う。


「そう見える」


 フィアは大百足ではなく、周囲を見ていた。


「でも、まだここだけ」


「分かってる」


 その直後、大百足が再び動き出した。


 何本もの脚が一斉に石床を捉え、身体がゆっくり前へ進む。


 ごり、と顎が壁へ食い込む。


 そして。


 周囲の軋み方が変わった。


 完全に止まったわけじゃない。


 でも、さっきまで一度に何か所も鳴っていた音が減る。


 代わりに、大百足の進行方向から少し離れた位置で、小さな石が崩れる音が聞こえた。


「……やっぱり」


 俺は無意識に呟いた。


「動いてる時と止まってる時で違う」


「うん」


 フィアも否定しなかった。


 理由は分からない。


 大百足が迷宮を動かしているのか。


 迷宮が大百足に反応しているのか。


 それとも、もっと別の仕組みなのか。


 そこまでは何も分からない。


 でも。


 無関係だとは考えにくくなってきた。


     ◇


「戻ろう」


 フィアが言った。


「もう少し見たいけど」


 俺は大百足を見る。


 昨日より分かったことは多い。


 石を選ぶ。


 柔らかい方へ進みやすい。


 そして、動きと迷宮の変化に何か関係がある。


 でも、それとは別に。


 もう1つ。


 ずっと頭に引っかかっていることがあった。


「ルカ?」


「クロ」


 小さく呟く。


『いる』


「昨日言ってたところ、まだ分かる?」


『外殻?』


「うん」


『分かる』


 大百足の身体を見る。


 黒っぽい硬い外殻。


 でも、全部が同じ厚さじゃない。


 節と節の間。


 脚の付け根。


 クロが感じたという、比較的脆い部分。


『あそこなら届く』


 クロが言う。


 ベルで頭部を止める。


 正面から完全に受けるんじゃない。


 進路を少しずらし、勢いを殺す。


 その一瞬に。


 クロで外殻の継ぎ目を狙う。


 一撃で倒せるとは思わない。


 でも、繰り返せば。


 勝てる可能性はある。


 灰牙狼の時と同じだった。


 最初は絶対に無理に見えた。


 でも。


 観察して。


 条件を揃えて。


 勝ち筋を作った。


『やれそうか?』


 ベルが聞く。


 俺は少し考えた。


「……倒すだけなら」


 口に出してから、フィアを見る。


「不可能じゃないかもしれない」


 護衛が驚いたように俺を見た。


「本気か?」


「簡単じゃない。でも、ベルで頭を止めて、クロで外殻の薄いところを狙えれば」


 その先を考えた瞬間。


 別のものが頭をよぎった。


 レベル。


 《3》。


 灰牙狼を倒したあと、初めて動いた数字。


 あれだけ巨大で。


 あれだけ硬い。


 間違いなく、今まで戦った普通の魔物より格上だ。


 もし倒せたら。


 また。


 数字が動くかもしれない。


「ルカ」


 フィアの声で思考が止まった。


「なに?」


「倒した後、道はどうなる?」


 すぐには答えられなかった。


 目の前では、大百足が壁を削りながら進んでいる。


 その動きに合わせるように、遠くの石が軋む。


 さっきは、あいつが長く止まっただけで周囲の変化が強くなった。


 なら。


 完全に動かなくなったら?


「……分からない」


 答えはそれしかなかった。


「うん」


 フィアは大百足を見る。


「だから、先にそっちを調べる」


 倒せるかどうかじゃない。


 倒したあと。


 そこまで考えないといけない。


 俺はもう一度、大百足を見る。


 勝ち筋は見える。


 たぶん。


 倒せる可能性はある。


 そして、倒せば。


 俺はまた強くなれるかもしれない。


 それでも。


 あの巨体が壁を削るたびに、迷宮のどこかが動いている。


 俺たちだけなら。


 賭けてもいいと思ったかもしれない。


 でも今は違う。


 ここには、歩けない人も含めて12人いる。


 勝てるかどうかだけで剣を抜くわけにはいかない。


     ◇


 生存者たちのところへ戻り、観察した内容を地図へ追加した。


 《岩喰い大百足》。


 仮の名前。


 石を無差別に食べるわけではなく、比較的削りやすい場所を選ぶ傾向がある。


 その選び方を利用すれば、進む方向をある程度誘導できる可能性がある。


 さらに。


 大百足が長く止まった時、周囲の軋みと石材のずれが強くなる。


 再び動き始めると、崩れ方や音の位置が変化する。


「つまり、あいつが道を作ってる?」


 生存者の男が聞いた。


「そこまでは分からない」


 俺が答える。


「少なくとも、あいつが動いた場所では新しい通路ができることがある。それと、動き方と迷宮の変化に何か関係がある可能性は高い」


「じゃあ、倒せば止まるんじゃないか?」


 別の男が言った。


 その言葉に、少しだけ胸が反応する。


 そう。


 倒せるかもしれない。


 俺も考えた。


 でも、フィアはすぐには答えなかった。


「止まるかもしれない」


 地図を見ながら言う。


「でも、何が止まるのか分からない」


「どういうこと?」


「大百足だけなのか、道の変化もなのか。それとも別のことが起きるのか、まだ分からない」


 さっき俺に聞いたのと同じだった。


 倒したあと。


 何が起こる?


 そこを確かめる必要がある。


 俺は地図へ視線を落とした。


 大百足が通った場所。


 開いた道。


 塞がった道。


 生存者が合流できた場所。


 全部を重ねる。


 線はまだ汚い。


 答えには見えない。


 それでも。


 昨日より確実に近づいている。


 あいつを倒す方法じゃない。


 全員で帰るための方法に。


 遠くで、また石を削る音が響いた。


 今度はその音を聞いても、ただ怖いとは思わなかった。


 あれが動けば。


 道も動く。


 なら次に調べるべきなのは、1つだった。


 あいつが止まった時。


 この迷宮に何が起きるのか。

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