第30話 12人、全員生存
昨日聞いた声が、本当にそこにいる。
分かっているはずなのに、朝から何度も同じことを考えていた。足跡じゃない。服の切れ端でもない。俺たちが呼んだら、向こうから返事があった。
だから今日は、探すために入るんじゃない。
迎えに行く。
「昨日確認した崩落地点までを、第1目標にします」
ギルドの会議室で、ミナさんが地図を指した。
「そこから先は、昨日確認した右側の空気の流れを利用して迂回路を探します。崩落を直接動かすのは禁止。向こう側に怪我人がいる以上、二次崩落を起こす可能性のある行動はしません」
今日は昨日より救護道具が多い。俺たち内部班のほかに、入口側でも救護班が待機することになっていた。
もし12人を連れて戻れるなら、そのまま地上まで運ぶ準備までしてある。
「全員を一度に動かせるとは限りません。負傷の程度によっては、その場で応急処置が必要です。人数が確認できても、無理に連れ出そうとしないこと」
「分かってる」
「特にルカ」
「最近それ多くない?」
「多くしてるの」
横でフィアが頷く。
「必要」
「また味方いないな」
『俺様がいるぞ』
ベルの声が頭の中に響く。
『お前は無茶する側だろ』
クロまで静かに続ける。
思わず口に出しそうになって、ぎりぎりで止めた。
ミナさんが怪しそうに俺を見る。
「今、何か言いかけた?」
「何も」
「……まあいいけど」
たぶん、よくない。
でも今日はそれどころじゃない。
ミナさんは最後に全員を見回してから、少しだけ仕事の顔を緩めた。
「昨日、声を見つけたところまで行けた。今日はその人たちをちゃんと確認してきて」
「うん」
「でも、連れて帰れない状況なら無理はしない」
「それも分かってる」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
◇
問題は、入口だった。
昨日と同じ場所へ着いても、壁は何も反応しなかった。目印だけが残っている。
フィアは昨日入口が開いていた位置と、その前の日の位置を何度も往復しながら、床や壁を確認していた。
「開かない?」
「まだ」
「また位置が変わった?」
「たぶん」
焦りそうになる。
昨日、待っていてくれと伝えた。向こうには怪我人もいる。
なのに、入口すら開かない。
「ルカ」
フィアが俺を見る。
「焦らない」
「顔に出てた?」
「かなり」
「……分かった」
深く息を吐く。
今ここで俺が焦っても壁は開かない。それどころか、入口を見落としたら余計に時間を失う。
フィアは壁沿いをさらに進み、昨日の地点から10歩以上離れたところで立ち止まった。
「ここ」
「何かある?」
「風」
俺には分からない。
でもフィアは壁へ耳を近づけ、少しだけ表情を変えた。
「昨日の匂いもする」
「湿った方?」
「近い」
そこで待った。
数分。
何も起きない。
さらに待つ。
やがて、壁の奥から低い石擦れの音が聞こえた。
ご、と。
俺たちは一斉に立ち上がる。
灰色の石壁が少しずつずれて、人1人が通れる隙間を作っていく。
向こうから流れてきたのは、湿気と砂の匂いが混じった空気だった。
「昨日の混ざった場所に近い」
フィアが言う。
「道は?」
「入ってみないと分からない」
「だよな」
もうそこは期待しない。
◇
中へ入って最初に確認したのは、帰り道だった。
入口の位置。
風向き。
壁の特徴。
白い目印を置く。
昨日までなら、声のことが気になってもっと先を見ていたと思う。でも今日は、フィアに言われなくても一緒に確認した。
「そこ、昨日と変わったね」
フィアが言う。
「俺が?」
「うん」
「少し?」
「少しよりは」
「お、昇格した」
「でもまだ見てる」
「厳しいな」
それくらいでいいのかもしれない。
今は俺1人の判断で失敗できる状況じゃない。
昨日の道を完全には辿れなかった。
途中までは同じような黒い石が続いたが、その先にあったはずの広い空間がない。代わりに、乾いた石壁の細い通路が伸びていた。
「また変わってる」
「うん。でも」
フィアが床を指す。
「足跡はある」
昨日まで追っていたものより多い。
何人分かは重なっていて、俺には分からない。
「昨日の人たち?」
「全部は分からない。でも同じ靴跡はある」
道は違う。
でも、人が通った痕跡は残っている。
「なら追える?」
「追える」
その答えに、少しだけ胸が軽くなった。
◇
足跡を追っていくと、昨日聞いた石を削るような音はしなかった。
静かすぎる。
それが逆に気になる。
フィアも何度か耳を立てたが、特に何も言わなかった。
途中で、昨日回収できなかったものと似た布片を見つけた。その先には空になった水袋。さらに進むと、壁の低い位置に指で擦ったような跡が残っている。
「これ、人の手?」
俺が聞く。
「たぶん」
「壁伝いに歩いた?」
「怪我してた可能性はある」
救護担当の女性が跡を見る。
「足に怪我がある人なら、壁を支えにしたかもしれない」
昨日聞いた。
怪我人がいる。
その言葉がまた頭に浮かんだ。
早く。
そう思う。
でも走らない。
フィアの少し後ろを保って進む。それだけでも、今の俺には意識しないとできなかった。
◇
しばらくして、フィアが止まった。
「前」
「何かある?」
「風。昨日の崩落に近いかも」
少し先へ進む。
通路が広がり、その右側に大きな石が積み重なっている場所が見えた。
「ここだ」
昨日、声を聞いた崩落。
ただし、見える角度が違う。
「昨日は反対側だったよな?」
「うん」
フィアが周囲を見る。
「迂回できた」
俺たちは崩落の横側へ出ていた。
昨日確認した細い隙間の先が、別の道へ繋がっていたらしい。
「じゃあ、この先に」
言いかけたところで。
「静かに」
フィアが止めた。
耳を澄ませる。
俺も黙る。
しばらくして。
声。
昨日より近い。
「……誰か来た?」
聞こえた。
人の声。
「救助班だ!」
俺は思わず答えた。
フィアがこっちを見る。
「小さめ」
「ごめん」
でも、向こうからすぐ返事が来た。
「昨日の!?」
「そうだ!」
「戻ってきたのか!」
昨日、確かに伝えた。
戻る、と。
その約束を守れた。
◇
声の方向へ進むと、通路が一度細くなった。
その先で。
初めて、人影が見えた。
「……いた」
最初に見えたのは、壁へ背中を預けて座っている男だった。服は汚れ、左腕には布が巻かれている。
その隣にもう1人。
さらに奥にも何人かいる。
「ギルドの救助班です」
救護担当の女性がすぐ前へ出た。
「怪我人から診ます。動ける人は、そのまま待ってください」
俺はそこで足を止めた。
声がした人たち。
本当にいた。
昨日までは壁越しだった。
今は目の前にいる。
「助かった……」
座っていた男が息を吐いた。
「本当に来たのか」
「遅くなってごめん」
「いや」
男は首を横へ振る。
「来ただけで十分だ」
奥にいる人たちも、少しずつこっちを見る。
疲れている。
汚れている。
怪我をしている人もいる。
でも、みんな動いている。
「水」
救護担当が俺たちへ指示する。
持ってきた水を配る。
ただし、一気に飲ませない。
少しずつ。
保存食も同じ。
フィアはその間に周囲を確認していた。
救護する人。
立てる人。
横になっている人。
そして。
人数。
◇
「何人いる?」
俺が聞いた。
フィアはすぐには答えない。
人が重なっていて見えにくい。
救護担当が1人ずつ状態を確認しているのに合わせて、フィアも数えていく。
「1、2……」
途中で止まる。
「奥にもいる」
俺も目を向ける。
壁際に横になっている人が2人。
その奥に座っている人。
「俺たち以外にも、まだ別の場所にいる?」
俺が近くの男へ聞く。
「いや」
男は少し水を飲んでから答えた。
「ここにいるので全員だ」
「全員?」
「ああ。途中で何組か合流した。最後に来た2人が、一昨日だったと思う」
胸の鼓動が速くなる。
「最初、何人いた?」
「ばらばらだった。俺たちは3人。向こうは4人。それから……」
男は指を動かしながら思い出そうとする。
「人数はいい」
フィアが止めた。
「私たちが数える」
そうだ。
相手も疲れている。
記憶だけに頼る必要はない。
救護担当が確認済みの人から順に声をかける。
「1人目。左腕裂傷、意識清明」
「2人目。軽い脱水」
「3人目。右足首負傷、歩行補助が必要」
フィアがそれに合わせて数える。
俺も途中から数えていた。
4。
5。
6。
7。
数字が増えるたび、掲示板を思い出す。
8。
9。
10。
そして、壁際に2人。
「11」
最後。
救護担当の女性が、奥で横になっていた男へ声をかける。
反応がない。
胸が一気に冷える。
「……おい」
近づこうとした俺を、救護担当が手で止める。
「大丈夫」
男の首へ指を当てる。
しばらく呼吸を確認する。
「寝てるだけ。かなり消耗してるけど、意識を失ってるわけじゃない」
肩を軽く叩く。
「起きられますか?」
男の眉が動いた。
「……ん」
小さく声を漏らす。
それだけで、息が戻る。
「12」
フィアが言った。
俺はもう一度、周囲を見る。
「12人……?」
「うん」
フィアが全員を見回す。
そして今度は、はっきり言った。
「12人。全員いる」
救護担当も頷く。
「重傷者はいるけど、今この場で命が危ない人はいません」
その言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けそうになった。
「……全員、生きてる」
誰に言うでもなく、口から出た。
◇
『なんだ、小僧。泣くのか?』
ベルが横で豪快に笑う。
『まだ泣いてねえよ』
『顔が泣く寸前だぞ』
『安心してるだけ』
クロが静かに言った。
たぶん、その通りだった。
安心した。
まだ助け出していない。
それでも。
12人。
全員。
生きていた。
「ルカ」
フィアに呼ばれる。
「なに?」
「まだ終わってない」
「分かってる」
でも、少しだけ。
「今だけは喜んでいいだろ」
フィアは一瞬だけ俺を見る。
それから。
「少しなら」
「そこも少しか」
「長いと忘れるから」
「何を?」
「帰ること」
その一言で、浮きかけた気持ちが現実へ戻った。
◇
救護担当の確認では、自力で歩けるのは8人だった。
補助があれば歩ける人が3人。
そして、かなり消耗している1人は、そのまま歩かせるのは難しい。
「担架は?」
護衛が聞く。
「簡易なら作れる。でも、この通路幅じゃ場所によっては通らない」
持ち込んだ布と棒を使えば、簡易担架は作れる。
ただし、ここまで来た道には人1人がやっと通れるような場所もあった。担架を作っても、そのまま運べる保証はない。
「背負う方が早い?」
「距離次第」
救護担当が答える。
「でも、途中で道が変わったら交代できる場所も必要になる」
問題は怪我だけじゃない。
この迷宮そのものが、帰還を難しくしている。
「昨日から、ここは変わってない?」
フィアが生存者たちへ聞く。
「この辺りはな」
最初に話した男が答える。
「でも、外へ出ようとすると駄目だ」
「どうなる?」
「道が消える。戻ると違う場所になってることもある」
別の女性が続けた。
「何度か出口を探した。でも同じ道を通ってるはずなのに戻ってこれなくなりそうになって、それから動くのをやめたの」
「だから、ここに集まった?」
「ああ」
それはたぶん、正しい判断だった。
無理に歩き回らなかったからこそ、12人全員が今ここにいる。
「食料は?」
「ほとんどない。水は壁の向こうから流れてくる場所があって、それでなんとか」
「その場所、今もある?」
「昨日までは」
今も、とは言えない。
この迷宮だから。
◇
フィアが俺たちの帰ってきた通路を見る。
「先に帰り道を確認する」
「全員で?」
「まだ動かさない」
「でも」
「12人連れて出て、途中で道が消えたらもっと危ない」
正しい。
嬉しくなった頭で、そのまま連れて帰りたくなる。
でも今は、帰路を確かめていない。
「俺も行く」
「護衛1人も」
「救護は?」
「ここに残る」
救護担当の女性が頷いた。
「こっちは任せて。水と応急処置を続ける」
生存者の男が俺を見る。
「戻ってくるよな?」
昨日も、似たようなことを聞かれた。
「戻る」
すぐに答えた。
ただ。
今度は「絶対」とは言わなかった。
言えない。
保証なんてないから。
「帰れる道を見つけて戻る」
そう言った。
◇
俺とフィア、護衛1人で来た道を戻る。
12人を見つけた安心は確かにある。
でも、そのせいで注意が散れば全部台無しだ。
俺たちは来る時に置いた白い石を1つずつ確認しながら進んだ。
「最初の目印」
「ある」
曲がり角を抜ける。
次の白い石も残っている。
その先へ進んだところで、フィアが足を止めた。
「……ない」
「目印?」
「うん」
胸の奥が嫌な形で沈む。
道を間違えたわけじゃない。
少なくとも、俺の記憶では曲がっていない。
「ここ、さっき通ったよな」
「通った」
護衛も周囲を見回す。
「確か、この先に細い通路があったはずだ」
「うん」
でも今は、その場所に壁がある。
隙間もない。
ただの石壁。
何度見ても。
さっきまで通っていた道は、どこにもなかった。
「塞がってる……」
護衛が低く言う。
フィアはすぐに壁へ近づかず、まず床と風を確認した。
「入口はこの先だった?」
「うん」
「距離は?」
「あと少しだったと思う」
俺も確認する。
間違いない。
この壁の先。
そこを抜ければ、ルーメン側へ戻れるはずだった。
「別の道を探せる?」
俺が聞く。
「探せるかもしれない」
フィアはそこで一度言葉を止めた。
「でも、今ここで広げすぎるのは危ない」
「みんなのところに戻る?」
「うん。先に帰り道が消えたことを伝える」
嫌な判断だった。
せっかく12人見つけたのに、帰る道がない。
でも、ここで俺たち3人まで勝手に別ルートを探して戻れなくなったら、それこそ終わる。
「分かった」
俺たちはすぐに引き返した。
◇
生存者たちのところへ戻ると、何人かが期待した顔でこちらを見た。
その顔を見るだけで、言いづらくなる。
「どうだった?」
最初に話した男が聞く。
フィアは回りくどく言わなかった。
「今まで使ってた帰り道が閉じてる」
その一言で、空気が変わった。
「やっぱりか……」
誰かが小さく呟く。
驚く人は少なかった。
たぶん、似たことを何度も経験してきたんだ。
「でも」
俺は続ける。
みんなの視線が集まる。
「道が1つ消えただけだ」
口にしてから、自分にも言い聞かせていることに気づく。
「俺たちはここまで来れた。だったら、別の道が開く可能性はある」
フィアが補足する。
「可能性はある。でも、今の時点では確認できてない」
「うん」
そこは曖昧にしない。
生存者の女性が不安そうに聞いた。
「じゃあ、どうするの?」
「まず帰れる道を探す」
俺が答える。
「見つけてから、全員で出る」
男が少しだけ笑った。
「全員、か」
「12人いるんだろ」
「いる」
「なら12人で帰る」
フィアが静かに付け足した。
「救助班も含めて」
それを聞いて、俺も頷く。
「そうだな。俺たちも含めて、全員だ」
助けに来た側だけ残るなんて。
そんなのは救助じゃない。
◇
その時。
遠くで低い音が響いた。
ごり。
重い石を削るような音。
昨日から何度も聞いている、あの音だった。
今度は前よりもはっきりしている。
生存者たちの表情が一斉に固くなった。
「……また来た」
男が言う。
「また?」
俺が聞く。
「あの音のやつだ」
「見たことある?」
男は首を横へ振った。
「姿はない。でも、あれが近い時は道が変わることが多い」
フィアの耳がぴくりと動いた。
「道が?」
「ああ。壁の音が増えて、通路が閉じたり、別のところが開いたりする」
俺とフィアは顔を見合わせる。
昨日まで別々に見ていたもの。
壁を削った跡。
消える道。
少ない瓦礫。
そして今、生存者たちが言ったこと。
「関係あるかもしれない」
フィアが小さく言う。
「壁を削ってるやつと、道が変わること?」
「まだ分からない。でも、調べる価値はある」
ごり。
もう一度。
さっきより少し近い。
俺は反射的にベルの位置を確かめ、クロの柄へ手を添えた。
戦いたいわけじゃない。
今は、むしろ逆だ。
12人全員が生きていると分かった。
なら。
優先するべきなのは、あの音の正体を倒すことじゃない。
帰れる道を見つけること。
そして、ここにいる全員をその道へ通すことだ。
「フィア」
「うん」
「まず帰り道を探す」
「うん」
「音のやつは?」
「避けられるなら避ける」
「了解」
俺はもう一度、生存者たちを見る。
12人。
全員、生きている。
それが今日見つけた一番大きな答えだった。
でも。
見つけただけじゃ終わらない。
帰れなければ、まだ救助じゃない。
低い石擦れの音が、迷宮の奥でもう一度響いた。
今度は。
さっきより近かった。




