第28話 重層迷宮
机の上に、3枚の地図が並んでいた。
1枚目はルーメン迷宮。
2枚目は、黒い石と湿った空気が続く異質な構造。
3枚目は、乾いた砂と黄色がかった石でできた構造。
昨日、俺たちはその3つを別々に書き起こした。正確な測量図じゃない。歩いた距離や曲がった方向を、フィアの記憶と俺たちの記録を合わせて形にしただけの仮地図だ。
それでも、3枚を重ねると明らかにおかしかった。
「ここ、やっぱりぶつかってるよな」
俺が指した場所を、フィアが横から覗き込む。
「うん」
「でも実際には、ぶつかってなかった」
「歩けたからね」
地図の上では、湿った構造の通路とルーメンの既存通路が同じ場所を通っている。
壁を挟んで隣り合っているとか、上下の階層が違うとか、そういう程度じゃない。同じ場所に、別の道がある。
少なくとも、この3枚を普通の地図として考えるなら、そういうことになる。
「やっぱり、繋がってるっていうより……」
「重なってる」
フィアが言った。
「昨日も言ってたな」
「今もそう思う」
向かいに座っていたミナさんが、報告書から顔を上げた。
「待って。そこはまだ確定じゃないからね」
「分かってる」
「ならいいけど」
ミナさんは3枚の地図を引き寄せると、その横に並べてあった小袋を1つずつ確認していく。
黄土色の砂。
乾いた灰色の砂。
植物片。
壁から剥がれた石粉。
どれも、捜索班や俺たちが実際に持ち帰ったものだ。
「地図だけなら測り間違いも考えられる。でも、物証まで違う」
さっきまでの砕けた口調から、少しずつ仕事の声に変わる。
「同じルーメン迷宮内で起きている現象として扱うには、違いが大きすぎる。だからギルドでも、昨日から調査記録を分けて整理してる」
「湿った方と、乾いた方?」
「それとルーメン。3系統」
ミナさんが3枚の地図を指で軽く叩いた。
「正式名称じゃないけど、このままだと報告書が読みにくいから、現象全体に仮の名前をつけることになった」
「名前?」
「《重層迷宮》」
聞いた瞬間、机の上へ目を落とした。
3枚の地図。
別々の道。
でも、同じ場所に重なる。
「重層迷宮……」
「3つの構造が重なっているように見えるから、《重層迷宮》。あくまで現象を説明するための仮称ね」
ミナさんが念を押す。
「名前がついたからって、仕組みが分かったわけじゃない」
「うん」
そこは間違えたくない。
分かったことは少ない。
でも、何が分からないのかは、前よりずっと見えるようになってきた。
◇
会議室の扉が開き、年配のギルド職員が2人入ってきた。
その後ろには見覚えのない男女がいる。
男は30代くらい。使い込まれた革鎧に短槍。立ち方だけでも、迷宮に慣れているのが分かる。
女の方は大きな鞄を背負っていた。武器らしいものは腰の短杖くらいで、鞄の横には包帯や小瓶がいくつも下がっている。
「救護担当?」
俺が小声で聞く。
「たぶん」
フィアが答える。
ミナさんが立ち上がった。
「全員揃いましたね。では、ギルドから正式に説明します」
部屋の空気が変わる。
「これまで、ルーメン迷宮で発生している異常については原因調査を主目的としていました。しかし、現在も12名の冒険者が未帰還です。そして昨日までの調査で、複数の失踪者が異常構造内へ進んだ可能性が高くなりました」
12人。
その数字を聞くと、掲示板に並んでいた名前を思い出す。
「よって本日より、任務の優先順位を変更します」
ミナさんが俺たちを見る。
「最優先は異常現象の解明ではありません。未帰還者12名の捜索、および救助です」
調査から救助へ。
言葉にすると、それだけ。
でも意味は大きく違った。
分からないものを調べるために奥へ行くんじゃない。
人を連れて帰るために行く。
「初動班は少人数で編成します。人数を増やせば安全になるとは限りません。《重層迷宮》内部では道そのものが変化する可能性があります。大人数で動けば、退路の確保も難しくなる」
ミナさんが順番に紹介していく。
経験のある護衛。
救護担当。
フィア。
そして。
「ルカ」
「はい」
「今回、ルカにも同行してもらう」
護衛の男が俺を見る。
「灰牙狼を倒したっていう?」
「それは今回の理由じゃありません」
ミナさんがすぐに答えた。
「ルカは異常空間への侵入と帰還を複数回経験しています。それに、現場で通常とは異なる反応を拾える可能性がある」
一瞬、俺の腰のクロと背負ったベルへ視線が向いた気がした。
もちろん、ミナさんは2人が喋ることまでは知らない。
ただ、俺があの2つの古代武装を持って帰ってきたことは知っている。
「強いから連れていくわけじゃない」
ミナさんが俺を見る。
「そこ、勘違いしないでね」
「しないよ」
「本当に?」
「そこまで俺、自信家に見える?」
「たまに無茶する」
「それは……」
「する」
フィアまで入ってきた。
「また2対1」
「今日はもっといるよ」
ミナさんが周囲を見る。
「最悪だ」
護衛の男が少し笑った。
張っていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
◇
出発前。
迷宮入口で、フィアが俺たちを止めた。
「先に決める」
「何を?」
「中での約束」
フィアは俺ではなく、全員を見る。
「私が止まれって言ったら止まる。理由はその場で聞かない」
護衛が頷く。
「了解」
「戻るって言ったら戻る。見つけたものがあっても、追わないことがある」
「それも分かった」
「あと」
一度、俺を見る。
「戦えるから戦う、は無し」
「なんで俺を見るの」
「一番怪しいから」
「昨日も戦ってないだろ」
「昨日は」
「そこ強調する?」
救護担当の女性が少し笑った。
「戦闘が必要なら?」
「逃げるためなら戦う。守るためでも戦う。でも、倒せそうだから倒すのはしない」
短い言葉だった。
でも、今の任務には合っている。
「今日の目的は12人」
フィアが続ける。
「魔石じゃない。経験値でもない」
少し胸に刺さる。
俺が何も言わなかったからか、フィアはそれ以上こっちを見なかった。
「ルカ」
後ろからミナさんの声。
「なに?」
「聞いた?」
「聞いた」
「じゃあ守る」
「分かってるって」
ミナさんは少しだけ俺の右肩へ目を向けた。
傷はもうかなり治っている。
それでも気にしているのは分かる。
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
今度は。
絶対、12人も連れて戻りたい。
そう思った。
◇
再侵入に選ばれたのは、昨日俺たちが最後に戻った壁だった。
ただ、現場へ着いた瞬間にフィアが足を止める。
「違う」
「何が?」
「位置」
俺には昨日と同じ壁にしか見えなかった。
フィアは床へしゃがみ込み、壁際に残した目印を探し始める。
昨日つけた浅い傷。
その横に並べた小石。
小石は残っている。
でも、傷がない。
「こっち」
フィアが数歩横へ移動した。
そこで別の石を指す。
低い位置に、昨日つけたはずの細い傷が残っていた。
「……動いてる」
「壁が?」
「少なくとも、入口の位置は昨日と同じじゃない」
たった数歩。
でも、その数歩が妙に気持ち悪い。
もし壁の向こう側でも同じように位置が変わるなら、昨日の道を覚えていることがそのまま安全には繋がらない。
「印を増やす」
フィアが言う。
入口周辺に新しい目印を残す。
地面。
壁。
曲がり角。
外側に残るギルド職員にも位置を確認してもらう。
そこまでやってから、俺たちは壁の前で待った。
◇
しばらくして、壁の奥から低い音が響いた。
石がゆっくり動く。
開いた隙間から流れてきたのは湿った空気だった。
「湿った方に近い」
フィアが言う。
「同じとは限らない?」
「うん」
「もう覚えたよ」
フィアが少しだけこっちを見る。
「えらい」
「子供扱い?」
「ちょっと」
「ミナさんみたいになってきたな」
「誰?」
「あ」
「知ってるけど」
「じゃあ聞くなよ」
「暇だったから」
こういう冗談も言うんだ。
少し意外だった。
でも、フィアの表情はすぐに入口へ戻る。
「行く」
最初にフィア。
次に俺。
護衛。
救護担当。
順番に壁の向こうへ入った。
◇
最初の数十歩は見覚えがあった。
黒っぽい石。
湿った空気。
所々に生える苔。
ただし、道の形は前と違う。
だから地図を頼りすぎない。
フィアは何度も立ち止まり、帰る方向を確認しながら進んでいく。
「足跡」
フィアがしゃがんだ。
床には薄い泥が残っていて、その上に靴跡が続いている。
「何人?」
「1人……いや、2人」
少し先で重なっている。
「新しい?」
「ここ数日だと思う」
「未帰還者の?」
「可能性は高い」
救護担当の女性が小さく息を吐いた。
「生きていてくれればいいけど」
誰もすぐには答えなかった。
分からない。
まだ希望だけで決めるわけにはいかない。
それでも、足跡がある。
壁の前で途切れていた痕跡が、その先に続いている。
それだけで、前へ進む理由にはなった。
◇
数分後。
フィアが壁際へ寄った。
「これ」
石の角に何かが引っかかっている。
細い布。
俺の指の半分もないくらい。
「繊維?」
触らずに見る。
茶色い。
「前に見つかった布袋と同じ?」
「違う」
フィアが匂いを確認する。
「服かも」
護衛が小さく頷いた。
「ギルドへ持ち帰るか」
「位置だけ記録。帰りに回収する」
フィアが答える。
「今取らないの?」
「触ったら、他の痕跡を壊すかもしれない」
言われてよく見ると、布片の下には細かな石粉と擦れた跡が残っていた。
俺1人なら、布だけ見つけてすぐ拾っていたと思う。
でもフィアは、布そのものより、その周りに何が残っているかを見ている。
少しずつ。
人がここを通った証拠が増えていく。
足跡。
服の繊維。
壁の擦れ。
どれも小さい。
でも、全部が同じ方向を指している。
◇
通路が少し広くなった。
そこでフィアが突然立ち止まる。
「止まって」
全員がすぐに足を止めた。
理由は聞かない。
出発前に決めた。
フィアは床ではなく、右側の壁を見ていた。
しばらくしてから、ゆっくり近づく。
「……これ」
俺たちも少し距離を取ったまま見る。
最初は、ただ崩れた跡に見えた。
でも違う。
壁の表面に深い溝が何本も走っている。
斜め。
横。
一定の間隔を空けながら、広い範囲へ伸びていた。
「爪痕か?」
護衛が言った。
「それにしては多い」
フィアが答える。
俺も壁を見上げる。
傷は低い場所だけじゃない。
俺の肩より上にもある。
中には、人の腕が入るくらい深く抉れているところまであった。
「何かが壁に張りついた?」
救護担当の女性が小さく言う。
「それとも、削りながら進んだか」
護衛の男が答える。
その言葉を聞いて、フィアが床へしゃがみ込んだ。
「変」
「何が?」
「石が少ない」
言われて初めて気づいた。
壁はこれだけ削れているのに、床に落ちている瓦礫は少ない。
石粉と小さな欠片はある。
でも、壁から失われた量には到底足りない。
「確かに……これじゃ合わないな」
護衛も周囲を見る。
「誰かが片づけた?」
救護担当が言う。
「この奥で? わざわざ?」
「じゃあ、どこへ行ったんだ」
答えは出ない。
フィアはしばらく壁を見たあと、傷の1つへ顔を近づける。
「同じ方向に削れてる」
「どういうこと?」
「ばらばらに壊れたんじゃない。何かが動きながら削ったみたい」
俺も傷の並びを追う。
1本。
その横にもう1本。
さらにその横。
高さの違う位置にも、似た溝が何列も続いている。
爪が1本や2本じゃない。
もっと多い。
「脚……?」
思わず口から出た。
フィアが俺を見る。
「何本もある何か?」
「分からない。でも、この跡が全部同時についたなら」
大きい。
しかも、脚が多い。
そんな生き物が壁に張りついた。
あるいは。
壁そのものを食うみたいに削った。
考えただけで背中が冷える。
『嫌な跡だな』
ベルがいつになく低い声で言う。
『大きい』
クロも壁を見ている。
「何か分かる?」
『分からない』
一度、黙る。
『でも、石がない』
「やっぱりそこか」
俺も同じことが気になっていた。
削られた石が、どこへ消えたのか。
それが分からない。
「ルカ?」
フィアがこっちを見る。
「俺も、瓦礫が少なすぎると思ってただけ」
「うん」
フィアも頷いた。
それ以上は言わない。
分からないものを。
分かったことにはしない。
◇
「足跡は?」
護衛が聞く。
フィアは壁から離れ、再び床へ視線を戻した。
「続いてる」
未帰還者らしい2人分の足跡は、削れた壁の前を通り、そのまま奥へ伸びている。
「この傷ができる前に通ったのか、あとに通ったのかは?」
「分からない」
「追える?」
「今のところは」
フィアはそこで一度、帰ってきた道を見る。
それから壁の傷。
奥の通路。
もう一度、足跡。
「もう少しだけ行く」
「大丈夫?」
俺が聞く。
「今なら戻れる」
「入口の位置は?」
「覚えてる。途中の印も確認できてる」
「分かった」
前なら、ここで俺は壁の傷をつけた魔物の方を気にしていたと思う。
何がいる。
どれくらい強い。
倒せるか。
倒したら、またレベルが動くのか。
そういうことが、頭のどこかに浮かんだかもしれない。
でも今は違った。
あの傷をつけた何かが強いかどうかより。
その先に12人がいるのか。
そっちの方が先に気になる。
それでいい。
今日は救助に来た。
◇
さらに奥へ進むと、人の痕跡が少し増えた。
2人分だった足跡が何度か重なり、壁際には手をついたような汚れも残っている。
「ここで止まってる」
フィアが言う。
「何が?」
「人」
床の跡を見る。
「2人とも、ここで少し止まった。たぶん壁を見てる」
目の前には、さっきと同じような削れ跡があった。
でも今度は、さらに深い。
壁の一部が大きく抉られ、その奥に黒い隙間が見えている。
「穴?」
俺が近づこうとすると、フィアが手を出した。
「そこまで」
「分かってる」
止まる。
隙間は人が通れるほど広くない。
でも、あと少し削れれば通路になりそうだった。
「この傷をつけた何かが、壁を掘ってる?」
護衛が言う。
「可能性はある」
フィアが答える。
「でも、なんのために?」
「それは分からない」
俺は暗い隙間を見る。
向こう側は見えない。
風も。
匂いも。
ほとんどない。
ただ。
足跡はここで少し乱れてから、隙間を避けるように奥へ続いていた。
「未帰還者も、これを見たのかな」
「たぶん」
「それでも先へ進んだ」
「うん」
怖かったはずだ。
もし俺なら。
知らない壁の向こうへ落ちて。
帰る道が消えて。
さらに巨大な何かが壁を削った跡まで見つけたら。
それでも進むしかなかった。
戻れなかったから。
「……帰る場所、なかったのかもな」
口に出すと。
少し重かった。
フィアは返事をしなかった。
でも、否定もしない。
◇
フィアはその場でしばらく周囲を調べた。
人の足跡。
壁の傷。
石粉。
空気の流れ。
何度か確認したあと、立ち上がる。
「ここで止める」
「もう少し先は?」
「行ける」
「じゃあ」
「でも帰りが分からなくなる前に戻る」
俺は奥を見る。
足跡は続いている。
その先に。
もしかしたら。
人がいる。
あと少しだけ。
その気持ちは確かにあった。
でも。
「分かった」
今回はすぐに答えられた。
「戻ろう」
フィアが一瞬だけ俺を見る。
「何?」
「いや」
「前なら行きたいって言ってた」
「俺だって学ぶよ」
「少し」
「少し?」
「まだ少し」
「厳しいな」
それでも。
フィアの声は少しだけ柔らかかった。
◇
帰り道。
入口へ近づいたところで、また違和感が出た。
「止まって」
フィアが壁際へ寄る。
「位置、ずれてる」
「また?」
「3歩くらい」
最初につけた印と、今見えている石の切れ目が合わない。
完全に別の場所になったわけじゃない。
でも。
少しずつ。
動いている。
「これ、毎回続いたら地図使えなくなるな」
護衛が言う。
「完全には使えなくならない」
フィアが答える。
「固定されてる場所もある。変わる場所だけ覚える」
「それ全部覚えるの?」
「できる範囲で」
「やっぱ斥候って大変だな」
「今さら?」
そんな話をしながら進んでいると。
『右』
クロの声。
俺は足を止める。
「右?」
『うん』
「何がある?」
『分からない。でも、右』
前。
見える道。
左。
細い通路。
右。
少し暗い。
「フィア」
「なに?」
「右を確認してみてほしい」
「理由は?」
「……勘」
「また?」
「また」
怪しまれる。
でも。
フィアは文句を言いながらも、右側の通路へ近づいた。
耳を立てる。
手を少し前へ出す。
「風がある」
「帰り道?」
「たぶん」
数分進むと。
見覚えのある石の傷が出てきた。
その先。
外へ残した印。
「戻れた」
護衛が息を吐く。
フィアはまだ気を抜かない。
全員がルーメン側へ抜けるまで確認し、最後に自分が出る。
壁が閉じたあと。
そこでようやく。
俺も肩の力を抜いた。
◇
ギルドへ戻った頃には、外はもう夕方だった。
ミナさんは俺たちの姿を見ると、まず人数を数えた。
俺。
フィア。
護衛。
救護担当。
全員いる。
「怪我は?」
「なし」
俺が答える。
ミナさんの視線がフィアへ移る。
「本当です」
「よし」
そこでようやく少し息を吐いた。
「おかえり」
「ただいま」
その後。
すぐに会議室へ移った。
今度は仕事の時間。
フィアが順番に説明する。
入口の位置が変わっていたこと。
内部で未帰還者らしい2人分の足跡を確認したこと。
衣服らしい繊維。
そして。
削られた壁。
「かなり大きく削られていた?」
ミナさんが確認する。
「うん」
フィアが答える。
「場所によっては、人の腕が入るくらい深い」
「魔物によるもの?」
「断定できない。ただ、人が道具で壊した感じじゃない」
「削れた石は?」
護衛が答える。
「ほとんど残ってません」
ミナさんの筆が止まった。
「ほとんど?」
「壁の削れ方に対して、明らかに少なかった」
俺も補足する。
「傷の数も多かった。爪で何回か引っかいたって感じじゃない」
「数が多い?」
「うん。何本も、同じ方向へ削った跡が並んでた」
少し考える。
言葉を選ぶ。
「何本も脚がある大きな生き物が、壁に張りついて削ったみたいに見えた」
ミナさんの表情が少し固くなる。
「巨大な多脚生物?」
「そう見えただけ」
すぐに付け足す。
「姿は見てない」
「分かった。それで記録する」
ミナさんは報告書へ書き込んでいく。
推定。
大型。
多脚。
壁面を削る可能性。
未確認。
最後の言葉には、しっかり線まで引いた。
「それから」
フィアが続ける。
「人の足跡は、その傷の先まで続いてた」
ミナさんの手が止まる。
「まだ?」
「うん」
「つまり」
俺が言う。
「少なくとも2人は、あの場所を通った可能性が高い」
「生存しているかは?」
「まだ分からない」
答えると。
部屋が少し静かになった。
分からない。
そればっかりだ。
でも。
前よりは進んでいる。
昨日は。
壁の向こうに道があると分かった。
今日は。
その道の先に、人の痕跡がまだ続いていると分かった。
なら。
明日も追える。
◇
報告が終わったあと。
俺は机の上に広げられた《重層迷宮》の仮地図を見ていた。
入口。
足跡。
布片。
削られた壁。
今日見たものが、少しずつ書き足されている。
「ルカ」
ミナさんが呼ぶ。
「なに?」
「今日はここまで」
「うん」
珍しくすぐ答えたからか、少し驚かれた。
「素直」
「さすがに疲れた」
「なら帰って寝る」
「はいはい」
ミナさんが少し笑う。
俺はもう一度だけ地図を見る。
12人。
まだ誰も見つかっていない。
声も聞いていない。
姿もない。
でも。
足跡はある。
服の繊維もある。
そして、その先には。
巨大な何かが壁を削った跡。
「フィア」
「なに?」
「明日も行くよな」
「行く」
「壁の傷の先?」
「帰れる範囲で」
「了解」
フィアが地図を見ながら言う。
「今日は調べに行ったんじゃない」
「うん」
「12人を探しに行った」
俺も地図を見る。
「分かってる」
だから。
明日も。
あの足跡を追う。
壁を削った何かを倒すためじゃない。
強くなるためでもない。
その先にいるかもしれない誰かを。
連れて帰るために。




