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双醒のアルマ ――最弱の少年と、眠れる二つの古代武装――  作者: 白峰ユウ
双醒のアルマ Ⅱ 重なる迷宮/12人の帰還

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第25話 一人なら帰れる

「……よし」


 治療院の診察室で、俺は右腕をゆっくり上げた。


 肩に違和感は残っている。でも、前みたいに途中で止めたくなるような痛みはない。左足も軽く踏み込む程度なら問題なかった。


 治療師が俺の肩と足首を順番に確認してから、小さく頷く。


「軽い探索なら許可します」


「本当ですか?」


「ただし、戦闘は避けること。右肩へ強い衝撃を受けない。左足も無理に踏み込まない」


「はい」


「痛みが出たら帰る」


「はい」


「本当に帰る」


「……はい」


「今、間がありましたね」


「気のせいです」


 治療師がため息をつく。


「ギルドにも同じ内容を伝えておきます」


『小僧、完全に監視対象だな』


「誰のせいだと思ってるんだよ」


『俺様じゃねえ!』


『半分はベル』


『クロ!?』


 診察室の外から人の足音が聞こえて、俺は慌てて口を閉じた。


 やっと戻れる。


 迷宮へ。


     ◇


「駄目」


 ギルドへ着いて、治療院から探索許可が出たことを伝えた。


 その結果がこれだった。


「なんで?」


「軽い探索って言われたんでしょ?」


「うん」


「戦闘禁止」


「うん」


「じゃあ1人では駄目」


「え」


 ミナさんは俺のギルドタグと治療院から届いた紙を交互に見る。


「フィアさんと一緒なら許可」


「フィアと?」


「今ちょうど、残りの調査地点へ行く予定だから」


 受付の横を見る。


 いた。


 フィアは壁に寄りかかりながら、こっちを見ている。


「治った?」


「一応」


「一応じゃ困る」


「ミナさんにも同じこと言われた」


「正しい」


 フィアが近づいてきて、俺の右肩を見る。


「動かして」


「え?」


「肩」


 ゆっくり上げる。下ろす。


 次に、フィアの視線が左足へ落ちた。


「歩いて」


「ここで?」


「うん」


 数歩歩いて戻る。


 フィアは少し考えてから言った。


「前よりまし」


「合格?」


「まだ」


「まだ?」


「走ったら?」


「走らない」


「戦ったら?」


「戦わない」


「痛くなったら?」


「戻る」


 少しの沈黙。


「ならいい」


「面接?」


「確認」


 ミナさんが横で笑っている。


「じゃあ決まりね」


 次の瞬間、表情と声が少し変わった。


「今回の目的は未帰還者12名の追跡調査。戦闘ではありません。危険を確認した場合は、即時撤退してください」


 そこまで言ってから、俺を見る。


「ルカ」


「なに?」


「無茶しない」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


「なら、行ってらっしゃい」


「行ってきます」


     ◇


 迷宮へ入る。


 今日の調査班は、俺、フィア、ギルド職員、護衛の4人。


 ベルとクロも一緒だけど、もちろん他の人には見えないし、数にも入っていない。


 先頭を歩いていたフィアが、突然足を止めた。


「ここから、全員私が踏んだところだけ踏んで」


 護衛が眉を寄せる。


「何かあるのか?」


「痕跡」


 フィアが床を指す。


 俺も見る。


 でも、ほとんど何も分からない。


「誰の?」


「未帰還者の可能性が高い」


「どうして?」


「靴底」


 フィアがしゃがみ込む。


「右足の外側が少し削れてる」


 昨日見た記録を思い出す。


「第1地点の人?」


「別」


「分かるの?」


「歩幅が違う」


 それだけ言うと、また歩き出す。


 俺たちはフィアが踏んだ場所を選んで、その後ろを進む。


「結構残ってるんだな」


「残ってる」


「でも、俺にはほとんど見えない」


「足跡しか見てないから」


「見てるよ」


「砂。石粉。靴の削れ。歩幅。壁に当たった跡」


 言われて、改めて周囲を見る。


 床だけじゃない。


 壁の裾。


 落ちている砂。


 擦れた跡。


 今までただの通路だった場所が、少し違って見えた。


     ◇


 しばらく進んだところで、フィアがまた止まった。


 耳が少し動く。


「空気」


「また?」


「違う」


「何が?」


「前より湿ってる」


 俺も息を吸う。


 よく分からない。


 でも言われてみれば、少し冷たい気もする。


「前も壁の向こうから風って言ってたよな」


「うん」


「同じ?」


「近い。でも違う」


「難しいな」


「匂いが違う」


「俺には分からない」


「普通」


『狐鼻便利だな』


 ベルの声。


「羨ましいよな」


 フィアの耳がぴくりと動く。


「また誰かと話してる?」


「独り言」


「多すぎる」


「最近よく言われる」


     ◇


 角を曲がったところで、フィアが右手を上げた。


 全員が止まる。


「前に2匹」


 護衛が剣へ手を伸ばす。


「何だ?」


「洞牙鼠」


 低級魔物だ。


 俺も何度か見たことがある。


「倒す?」


「避ける」


 フィアは即答した。


「向こうは?」


「まだ気づいてない」


「回り道になるぞ」


「なる」


「なら」


「戦う意味がない」


 昨日も聞いた言葉。


 フィアが左の細い通路を指す。


「こっち」


 誰も反対しなかった。


 少し遠回りになる。


 でも戦闘はない。俺の肩と左足にとっても、その方がいい。


 それでも、一瞬だけ考えた。


 目の前の魔物を倒せる。


 魔石が手に入る。


 経験が入るかもしれない。


 前なら、そこまで考えていた。


 今も、完全に消えたわけじゃない。


 でも今日の目的は違う。


 12人を探す。


 それだけだ。


     ◇


「止まって」


 フィアが床を見たまま言った。


 今度は長い。


 数歩分の足跡を行ったり来たりしながら確認している。


「ここ、歩き方が変わってる」


「どこが?」


「歩幅」


 フィアが2つの足跡を示す。


「ここまでは一定。ここから少し広がってる」


「走った?」


「違う」


「じゃあ?」


「急いだ」


「同じじゃない?」


「走るほどじゃない」


 細かすぎる。


 でもフィアは真剣だった。


「何か見つけた?」


「たぶん」


「何?」


「空気」


「空気?」


「ここから湿気が強くなってる」


 壁へ近づく。


 鼻が少し動く。


「土」


「土?」


「うん」


 ルーメン迷宮は、ほとんど石と岩ばかりだ。


 土の匂いなんて、ほとんどしない。


「人の足跡は?」


「続いてる」


「壁まで?」


「まだ」


 さらに進む。


 床に黄土色の砂が薄く混じっていた。


 フィアがしゃがむ。


「同じ」


「前の場所にあった砂?」


「近い」


 その少し先の壁には、湿った染みが残っている。


「水?」


「たぶん」


 さらに進むと、俺にも足跡が分かるようになってきた。


「これ?」


「うん。同じ人」


「どうして?」


「右足が外へ逃げる」


「歩き方で追えるんだ」


「今のところ」


「今のところ?」


「痕跡が変わったら分からない」


「ちゃんと言うんだな」


「何を?」


「分からない時は、分からないって」


「普通」


「そうでもないと思う」


 フィアが少しだけ俺を見る。


 でも、何も言わなかった。


     ◇


 通路が狭くなったところで、フィアが急に向きを変えた。


「戻る」


 護衛が聞く。


「何かいる?」


「いる」


「何が?」


「分からない」


「数は?」


「分からない」


「なら確認を」


「しない」


 フィアの声が少し強くなる。


「音が多い」


 狐耳がわずかに伏せられる。


「前。右。後ろ」


「囲まれてる?」


「まだ」


「なら戦えば」


「戻る」


 フィアはもう進行方向を変えていた。


 俺も後ろを見る。


 何も見えない。


 でも耳を澄ますと、微かに爪が石を擦る音が聞こえた。


 右。


 前。


 確かに1つじゃない。


「フィア」


「なに?」


「俺たちだけなら抜けられる?」


 歩きながら、フィアが答える。


「私だけなら、たぶん」


「1人なら?」


「狭い方へ抜ける」


 護衛が口を挟む。


「なら、お前だけ先に出て外から回れば」


「しない」


 即答だった。


「なぜ?」


「一緒に入ったから」


「危険なら分けた方がいい」


「逃げるなら全員」


 昨日聞いた言葉。


 同じだった。


「それが一番安全?」


 俺が聞く。


 フィアは少し黙った。


「違う」


「え?」


「私1人なら、その方が安全」


「じゃあ、なんで」


「……知らない」


 声が少し硬い。


 これ以上は聞かない方がいい。


 そう思った。


     ◇


 元の通路まで戻ると、魔物の気配も遠くなった。


 フィアが立ち止まって、静かに息を吐く。


「大丈夫?」


「平気」


 護衛が周囲を確認してから、少し気まずそうに言った。


「さっきは悪かった」


「何が?」


「分かれた方がいいって言ったことだ」


「正しい時もある」


「今回は?」


「分からない」


 またその言葉。


 でも。


 さっき、フィアだけなら帰れた。


 それでも戻った。


 理由は気になる。


 でも、まだ聞かない。


     ◇


 フィアが地図を広げる。


「こっちなら行けると思う」


「また、たぶん?」


「絶対って言う人の方が危ない」


「それは分かる」


 少しだけ笑う。


 別方向へ進む。


 今度は魔物もいない。


 しばらくすると、また人の痕跡が見つかった。


「ここ」


「同じ?」


「同じ人」


「繋がった?」


「一部だけ」


「でも進んでる」


「うん」


 フィアが床、壁、天井の順に確認する。


 次の瞬間。


 止まった。


「また壁?」


「違う」


「何が?」


「風」


 フィアが壁へ手を近づける。


「こっちは前より強い」


 俺も真似をする。


 やっぱり分からない。


「本当に?」


「うん」


 フィアが壁際へしゃがみ込み、落ちている石粉を指先で確かめる。


「新しい」


「削れた?」


「たぶん」


「誰かが?」


「分からない」


 今度は床を見る。


「……これ」


「何?」


「植物」


 壁と床の隙間から、短い根のようなものが出ている。


 緑色。


 生きている。


「本物?」


「触らない」


「分かってる」


「ルーメンにはない」


 フィアが言い切る。


 そのまま壁へ耳を寄せた。


 長い沈黙。


「水」


「え?」


「音」


 俺も耳を澄ませる。


 何も聞こえない。


 でも。


『ある』


 クロ。


「クロも?」


『水』


 思わず口に出す。


「……水、ある」


 フィアが俺を見る。


「聞こえるの?」


 しまった。


「少し」


「さっきまで全然聞こえてなかったのに」


「今は分かった」


 怪しい。


 でも、フィアはそれ以上聞かなかった。


 助かった。


「この向こう」


 フィアが壁を見る。


「ルーメンじゃないかも」


 背中が少し冷える。


「どういう意味?」


「そのまま」


「別の迷宮?」


「まだ分からない」


「でも?」


「空気。土。水。植物」


 フィアが1つずつ挙げる。


「ルーメンにないものが多すぎる」


 俺は壁を見る。


 普通の石。


 なのに、その向こうに水と土と植物があるかもしれない。


「……開ける?」


 護衛が聞く。


 フィアは首を横へ振った。


「今日はしない」


「なぜ?」


「帰る道を確認してない」


「ここまで来た道はあるだろ?」


「今は」


「今は?」


「帰る時も同じとは限らない」


 あの穴を思い出す。


 俺が通った道。


 あとから消えた道。


 フィアはそこまで知らない。


 でも、考えていることは同じだった。


「一度戻る?」


「うん」


「せっかく見つけたのに?」


「見つけたから戻る」


「……なるほど」


 見つけたから進む。


 じゃない。


 帰れることを確認してから進む。


 この人は本当に。


 最初から帰ることを考えている。


     ◇


 帰り道。


 フィアが先頭を歩く。


 俺はその少し後ろ。


 しばらく無言だった。


 でも、やっぱり気になる。


「フィア」


「なに?」


「さっき」


「何」


「1人なら帰れたって」


「うん」


「それでも戻った」


「うん」


「なんで?」


 少し長い沈黙。


「一緒に入ったから」


「それだけ?」


「それで十分」


 それ以上は聞かなかった。


 でも。


 フィアは1人なら判断が速い。


 1人なら逃げられる。


 なのに、誰かと入れば全員で帰る。


 だから1人が楽。


 その言葉が、少し違って聞こえた。


     ◇


 ギルドへ戻ると、ミナさんがすぐに俺を見る。


 最初に右肩。


 次に左足。


「怪我」


「増えてない」


「痛み」


「ない」


「走った?」


「走ってない」


「戦った?」


「してない」


 ミナさんが満足そうに頷く。


「よし」


「そこからなんだ」


「そこが一番大事」


 少し笑う。


「おかえり」


「ただいま」


 フィアはもう気にしなくなったらしく、そのまま受付へ向かう。


「新しい痕跡を確認した」


 ミナさんの表情が仕事のものへ変わる。


「内容をお願いします」


「未帰還者と思われる足跡。歩行癖が一致。黄土色の砂。壁際の湿気。土の匂い。それから生きた植物の根」


 ミナさんの手が止まる。


「生きた植物?」


「うん」


「ルーメン迷宮内で?」


「少なくとも、私は見たことない」


「他には?」


「水音」


「壁の向こうから?」


「たぶん」


 ミナさんが記録へ書き込む。


「結論は?」


 フィアは少し考えた。


「まだ分からない。ただ、壁の向こうに今のルーメンとは違う環境がある可能性は高い」


 ミナさんが俺を見る。


「ルカは?」


「同じ」


「根拠は?」


「俺には風も匂いもほとんど分からなかった。でも、フィアが見つけたものがルーメンにないものばっかりだった」


 少し考えて続ける。


「それと、無理に壁を開けなかった」


「なぜ?」


「帰る道を先に確認するため」


 フィアが短く頷く。


「正しいと思う」


 ミナさんが少し安心したように息を吐く。


「じゃあ次は?」


 フィアが地図を広げた。


「戻れることを確認してから、ここの先を調べる」


「ルカは?」


 ミナさんが俺を見る。


「行く」


「フィアさん?」


 フィアは俺の肩、足、それから目を見る。


「条件付き」


「また?」


「私が危険って言ったら止まる」


「うん」


「戻るって言ったら戻る」


「うん」


「自分で判断しない」


 そこだけ引っかかった。


「それは無理」


 フィアの眉が動く。


「なんで?」


「フィアが全部決めたら、フィアだけが責任持つことになる」


「……」


「だから、どっちが危険か。何が見えたか。それを教えて」


「その後は?」


「俺も考える」


「判断が遅くなる」


「全部任せるよりはいい」


「なんで?」


「一緒に入るから」


 さっきフィアが言った言葉。


「一緒に入るなら、判断も一緒でいいだろ」


 フィアはしばらく黙っていた。


 そのあと。


「……変な人」


「またそれ?」


「でも」


 地図を畳む。


「分かった」


 ミナさんが横で少し笑っている。


「いい感じじゃん」


「何が?」


「別に」


 絶対何か思ってる。


 でも今は聞かない。


 壁の向こう。


 水。


 土。


 植物。


 今までのルーメン迷宮にはなかったもの。


 明日。


 その先を見る。


 でも今度は。


 進むことより。


 帰ることを先に決めてから。

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