第24話 狐獣人の斥候
「現場、行くよ」
フィアはそう言うと、机の上の地図を畳み始めた。
あまりにも迷いがない。
「今から?」
「そのために呼ばれたんだけど」
「いや、そうだけど」
俺がミナさんを見る。
ミナさんも俺を見る。
嫌な予感がした。
「ルカは行かないよ」
「やっぱり?」
「やっぱりじゃない」
即答だった。
「右肩。左足。探索禁止。昨日も聞いたでしょ?」
「聞いた」
「じゃあ終わり」
「でも、現場を見た方が説明しやすいと思う」
「昨日見たんでしょ?」
「1か所だけ」
「十分」
取りつく島もない。
『押せ、小僧』
ベルが言う。
『怒られる』
クロ。
俺もそう思う。
フィアは俺たちのやり取りには気づかず、地図を腰の袋へ入れた。
「別にいらない」
「え?」
「案内」
フィアが俺を見る。
「記録がある。場所は分かる」
「でも、俺が落ちた時のことは」
「あとで聞く」
あっさり。
「現場を見る前に先入観を入れたくない」
「先入観?」
「あなたの穴と同じだと思って見たら、同じものしか探さなくなる」
返せなかった。
昨日。
俺自身が言ったことに近い。
同じだと決めつけるな。
今ある壁だけで判断するな。
フィアは最初から、そのつもりらしい。
ミナさんが少し笑った。
「だって、ルカ」
「何か悔しい」
「なんで」
「役に立てると思ったのに」
「治すのも役目」
またそれだ。
◇
結局。
俺は行った。
「どうしてこうなったんだろうね」
迷宮入口でミナさんが呆れた顔をしている。
「俺に聞かれても」
「誰のせいだと思ってるの?」
「調査班?」
「ルカ」
ですよね。
条件付きだった。
昨日確認したのと同じ。
封鎖済みの浅い地点。
戦闘区域へは入らない。
同行はフィア、ギルド職員1人、護衛2人。
そして俺。
ただし。
「ルカは案内と確認だけ」
ミナさんが指を立てる。
「分かってる」
「戦わない」
「うん」
「走らない」
「うん」
「フィアさん」
今度は。
仕事の声。
「ルカが無茶しようとしたら、止めてください」
「分かった」
「そこは俺に言うんじゃないの?」
「自分で止まる人なら頼まないよ」
何も言えない。
フィアはもう迷宮入口の方を見ている。
「行っていい?」
「お願いします」
ミナさんが頷く。
それから。
俺を見る。
「ルカ」
「何?」
「ちゃんと帰ってきて」
「……うん」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
◇
迷宮へ入ってから。
フィアはほとんど喋らなかった。
先頭。
その少し後ろに護衛。
俺は真ん中。
歩く速度は。
それほど速くない。
なのに。
無駄がない。
曲がり角。
フィアが止まる。
耳が少し動く。
数秒。
進む。
また。
止まる。
今度は。
床。
見る。
「何かある?」
「砂」
「砂?」
俺も見る。
何も。
分からない。
フィアがしゃがむ。
指先。
床。
軽くなぞる。
「新しい」
「何が?」
「靴」
「足跡ある?」
「ある」
言われて。
目を凝らす。
やっと。
薄い擦れ。
線。
そんなもの。
「これ?」
「それは昨日」
「分かるの?」
「角が丸い」
次。
少し横。
「こっちが今日」
正直。
ほとんど同じ。
「……全然分からない」
「慣れ」
「狐獣人だから?」
「それもある」
立つ。
「でも、見るのは目だけじゃないから」
「匂い?」
「匂い。音。風。砂。壁の粉」
「壁の粉?」
フィアは。
歩きながら。
壁の下を見る。
「人が通ると、壁に服とか荷物が当たる」
「うん」
「新しく削れた石は色が違う」
言われて。
壁の裾。
白っぽい粉。
少しだけ。
落ちている。
俺1人なら。
絶対。
気にしない。
『細けえな』
ベル。
『斥候』
クロ。
確かに。
同じ迷宮を歩いているのに。
見えているものが。
違う。
◇
「止まって」
フィアが。
右手を上げた。
全員。
止まる。
俺も。
反射で。
足を止めた。
「前?」
護衛の1人が小声で聞く。
「角兎。2匹」
「見えるのか?」
「聞こえる」
少し待つ。
たしかに。
前方。
小さい。
爪が。
石を叩く音。
2匹。
右側の通路へ。
消える。
「行った」
フィアが歩き出す。
護衛の1人が少し笑った。
「倒してもよかったんじゃないか?」
「なんで?」
「魔石になる」
「今日は捜索」
「数分だぞ」
「数分使う意味がない」
即答。
「戦えるかどうかじゃない」
フィアは前を向いたまま続ける。
「戦う意味があるかで決める」
それ。
少し。
引っかかった。
灰牙狼。
剛角猪。
ゴブリン。
俺は。
どうしても。
勝てるか。
逃げられるか。
そこから考える。
でも。
フィアは。
もっと前。
戦う必要があるか。
そこから。
選んでいる。
「それで、戦わない?」
「必要なら戦う」
「必要じゃなければ?」
「避ける」
「経験値とかは?」
フィア。
少し。
振り返る。
「欲しいなら依頼が終わってからやればいい」
「……なるほど」
「変?」
「いや」
むしろ。
分かりやすい。
◇
昨日見た地点へ着く。
細い縄。
石壁。
床。
泥の足跡。
その先。
壁。
「ここ」
ギルド職員が言った。
「未帰還者2人の足跡が、ここで途切れている」
フィアは。
返事をしない。
まず。
離れた場所。
しゃがむ。
足跡へ。
触れない。
見る。
次。
少し横。
床。
壁。
天井。
順番に。
見る。
俺たちは。
待つ。
長い。
でも。
誰も。
急かさない。
やがて。
フィアが。
泥の足跡の横へ。
指を向ける。
「2人」
「記録通りです」
「先の人。右足が少し弱い」
「分かるの?」
「歩幅」
俺も見る。
同じような。
足跡。
「右だけ浅い」
言われると。
たしかに。
ほんの少し。
「怪我?」
「分からない。癖かも」
フィアが。
足跡を。
後ろへ辿る。
5歩。
10歩。
もっと。
「ずっと同じ」
「じゃあ怪我じゃない?」
「前からなら、たぶん癖」
次。
もう1人。
「こっちは荷物が重い」
「なんで?」
「左足の外側に体重が寄ってる」
俺には。
ほとんど。
分からない。
でも。
フィアは。
人が。
どう歩いたか。
そこまで。
見ている。
◇
フィアが。
壁へ。
近づく。
ただし。
触らない。
鼻。
少し。
動く。
「……匂い」
「何の?」
「泥」
「床の?」
「違う」
フィア。
壁の下。
見る。
「もっと湿ってる」
しゃがむ。
壁と床。
境目。
そこ。
ほんの少し。
色が。
濃い。
「水?」
「たぶん」
「ルーメンの湿気じゃない?」
「違う」
言い切る。
「なんで?」
「匂い」
「それだけ?」
「それだけで十分な時もある」
フィア。
今度は。
耳。
壁へ。
少し。
向ける。
静か。
長い。
俺も。
聞く。
何も。
聞こえない。
「……風」
フィア。
小さく言う。
「え?」
「向こうから来てる」
「壁の向こう?」
「うん」
ギルド職員が。
顔を上げる。
「昨日の調査では空洞反応は出ていない」
「今も空洞とは言ってない」
フィア。
壁の横。
少しずつ。
移動する。
「ここ」
止まる。
「弱い」
「風が?」
「うん」
俺も。
近づく。
手。
壁。
触れない。
でも。
何も。
分からない。
「俺には感じない」
「普通」
「ちょっと悔しいな」
「知らない」
冷たい。
『気に入ったぞ』
ベル。
「なんでだよ」
また。
フィアの耳。
ぴく。
「また独り言?」
「気にしないで」
「変」
「昨日も言われた」
◇
フィアは。
壁の前。
さらに。
床。
見る。
「ここ」
「何?」
「砂が違う」
昨日。
資料で見た。
黄土色の砂。
ほんの。
数粒。
泥の脇。
混じっている。
「記録にあった砂?」
「たぶん」
「持ち込んだんじゃなくて?」
「可能性はある」
その言い方。
ミナさんと。
同じ。
決めつけない。
「でも」
フィア。
壁。
見る。
「この2人。壁に向かって歩いてる」
「うん」
「止まってない」
「昨日もそう見えた」
「ぶつかってもない」
「……うん」
「なら」
フィア。
少し。
目を細める。
「歩いた時は、壁じゃなかったのかも」
胸の奥。
何か。
引っかかる。
俺が。
昨日。
考えたこと。
道が。
あとから。
消えた。
人が消えたんじゃない。
俺たちが。
その先を。
追えない。
「俺も、そう思った」
フィア。
俺を見る。
「思っただけ?」
「証拠ないから」
一瞬。
フィアの表情が。
変わる。
少しだけ。
「それでいい」
「え?」
「分からないものを、分かったことにする方が危ない」
俺も。
似たことを。
考えていた。
たぶん。
この人は。
慎重なんじゃない。
帰るために。
必要なものだけを。
選んでいる。
◇
別の地点も。
確認する。
今度は。
植物片が見つかった場所。
フィアは。
それを。
一度。
匂う。
「新しい」
「種類は?」
「知らない」
「ルーメンにある?」
「私は見たことない」
「外から?」
「分からない」
また。
それ。
でも。
何も分からないわけじゃない。
知らない。
分からない。
それでも。
どこまで分かっているか。
ちゃんと。
線を引く。
俺。
少し。
好きかもしれない。
いや。
考え方が。
「何?」
「え?」
「見てた」
「考え方がいいなって」
「……変な人」
「また?」
フィアは。
前を向いた。
尻尾。
少し。
揺れた。
でも。
それが。
どういう意味なのかは。
分からない。
◇
帰り。
別の通路。
前方。
低い唸り声。
護衛。
剣へ。
手を掛ける。
フィア。
止める。
「待って」
「何だ?」
「灰爪犬。1匹」
「倒せる」
「知ってる」
「なら」
「左」
フィア。
別の通路。
指す。
「遠回りだけど、そっち」
「5分は増えるぞ」
「戦ったら?」
「それくらいだ」
「怪我したら?」
護衛。
黙る。
「今日の目的は?」
「調査」
「なら左」
それで。
決まり。
誰も。
反対しない。
俺も。
左へ。
ついていく。
灰牙狼を倒したあと。
もし。
前に。
格上の魔物が出たら。
また。
数字が動くかもしれない。
俺は。
そう考えた。
でも。
フィアなら。
きっと。
最初に。
こう聞く。
戦う意味はある?
それ。
少し。
覚えておこうと思った。
◇
地上。
ギルド。
戻る。
扉。
開く。
受付。
ミナさん。
すぐ。
こっちを見る。
右肩。
左足。
最初に。
確認。
「怪我増えてない?」
「増えてない」
「本当に?」
「戦ってない」
「よし」
安心。
分かりやすい。
「おかえり」
「ただいま」
フィアが。
少し。
俺とミナさんを見る。
「毎回それ?」
「何が?」
「おかえり」
ミナさん。
笑う。
「担当だから」
「関係ある?」
「あるの」
フィアは。
よく分からない。
という顔。
そのまま。
受付へ。
調査結果。
報告。
ミナさん。
今度は。
仕事の声。
「では、確認できた内容をお願いします」
「4地点のうち2地点を確認」
フィア。
淡々と。
「足跡は記録と一致。壁の前で歩行が途切れてる。でも、歩いた時点で壁だったとは限らない」
「理由は?」
「衝突痕なし。方向転換なし。歩幅も変化なし」
次。
「壁際に微弱な空気の流れ。ルーメン内部とは異なる湿った匂い。黄土色の砂。別地点で新しい植物片」
ミナさん。
書く。
「結論は?」
「まだ出せない」
フィア。
即答。
「でも」
一拍。
「今の捜索方法じゃ、その先は追えない」
ミナさんが。
顔を上げる。
「では、どうします?」
「もっと調べる」
「単独で?」
「その方が早い」
フィア。
迷いなく。
言う。
「1人なら判断が遅れないから」
その言葉。
少し。
引っかかった。
「ずっと1人でやってるの?」
俺が聞く。
「だいたい」
「パーティは?」
「組まない」
「なんで?」
「判断が遅くなるから」
危険。
退く。
進む。
誰かがいると。
その人の分まで。
考える。
だから。
1人。
それは。
効率だけなら。
正しいのかもしれない。
「じゃあ、誰かと一緒の時は?」
フィア。
少し。
黙る。
「一緒の時?」
「危険になったら。フィアだけ逃げられる状況とか」
質問した瞬間。
フィアの目が。
少しだけ。
変わった。
空気。
わずかに。
冷える。
聞いてはいけないことだったかもしれない。
「……逃げるなら」
フィア。
低い声。
「全員」
「え?」
「一緒に入ったなら、全員で帰る」
短い。
でも。
迷いがない。
さっき。
1人なら判断が遅れないと。
言った人。
同じ人とは。
思えない。
「だから」
フィア。
俺を見る。
「基本は1人が楽」
それ以上。
聞けなかった。
たぶん。
理由が。
ある。
◇
「次は?」
ミナさんが聞く。
フィアは。
地図。
広げる。
「残り2地点」
「いつ?」
「明日でもいい」
「待って」
ミナさん。
俺を見る。
「ルカは行かないよ」
「まだ何も言ってない」
「顔」
「また?」
「また」
フィア。
俺の肩を見る。
「その身体じゃ邪魔」
「はっきり言うな」
「事実」
『いいぞ、狐娘!』
「ベルは黙ってて」
「またベル?」
ミナさん。
忘れてなかった。
「……あとで話す」
「絶対ね」
フィア。
俺を見る。
「治ったら」
「え?」
「一緒に来てもいい」
少し。
意外。
「いいの?」
「条件付き」
「条件?」
「私が止まれと言ったら止まる」
「うん」
「戻ると言ったら戻る」
「うん」
「敵がいても、必要なければ戦わない」
「分かった」
フィア。
少し。
俺を見る。
「本当に?」
「俺だって、勝てないなら逃げるよ」
「勝てる時でも」
「え?」
「意味がなければ戦わない」
今日。
何度も。
見た。
それ。
「……分かった」
「なら」
フィア。
地図を畳む。
「治して」
「そこから?」
「そこから」
ミナさんが。
隣で。
満足そうに。
頷く。
「いい人呼んだなあ」
「ミナさんまで」
「私は最初から言ってるでしょ。治してから」
逃げ場が。
なくなった。
でも。
嫌じゃない。
壁の向こう。
まだ。
何も。
分からない。
12人も。
見つかっていない。
それでも。
昨日までと。
1つだけ。
違う。
普通の壁の前で。
全員。
止まっていた。
今日。
初めて。
その壁の向こうから。
風が来ていると。
言う人がいた。
フィア。
狐獣人の斥候。
俺とは。
違うものが見えている。
なら。
その目を。
借りればいい。




