第23話 壁の中で消えた足跡
4か所。
昨日、俺が見せてもらった記録には、未帰還者の痕跡が消えた場所が4つあった。
泥の足跡。
引きずられた布袋の跡。
靴底から落ちた細かな砂。
床を擦った荷物の線。
残っていた痕跡は全部違う。
なのに。
終わる場所だけが同じだった。
壁。
普通の石壁。
その言葉が、朝からずっと頭に残っていた。
◇
ギルドの扉を開ける。
いつも通りの朝だった。
依頼掲示板の前には冒険者が集まり、受付では職員たちが忙しそうに書類を捌いている。
その中で。
「……あ」
見慣れた栗色の髪が目に入った。
受付の奥。
書類を抱えていた女の人が、こっちを見る。
目が合った。
数秒。
止まる。
「ルカ?」
「ミナさん」
久しぶりに見る顔だった。
俺の担当受付。
ミナさん。
ここ数日は他の街のギルドへ応援に行っていて、ずっと不在だった。
そのミナさんが。
俺を見る。
次に。
右肩。
左足。
腰の黒剣。
左手の大盾。
順番に見る。
そして。
「……ちょっと待って」
嫌な予感。
「はい」
「私がいない間に何やってるの?」
「何って」
「怪我」
「ああ」
「ああ、じゃない」
受付台の向こうから身を乗り出してくる。
「右肩どうしたの」
「灰牙狼に」
「は?」
「あと左足も少し」
「は?」
さっきより低い。
『怒ってんな』
ベル。
『怒ってる』
クロ。
「分かってる」
「何が?」
「あ、いや」
ミナさんの眉がさらに寄る。
「灰牙狼って、あの灰牙狼?」
「たぶん、その灰牙狼」
「何でそんなのと戦ってるの」
「3階にいたから」
「意味が分からない」
それは。
俺もそう思う。
「しかも聞いたんだけど」
「何を?」
「倒したって」
「……うん」
ミナさんが黙る。
こっちを見る。
もう一度。
右肩を見る。
ため息。
「本当に、私がいない間に何やってるの」
「好きでやったわけじゃないよ」
「分かってるけど」
ミナさんは。
まだ少し怒った顔のまま。
「帰ってきてよかった」
小さく。
言った。
「……うん」
その一言だけで。
少し。
気まずくなる。
「おかえり、ルカ」
「ただいま」
『出張から帰ってきたのは向こうだろ』
ベルが余計なことを言う。
確かに。
でも。
いつも俺が迷宮から帰ってくると。
ミナさんはこう言う。
おかえり。
だから。
何となく。
これでいい気がした。
◇
「それで」
ミナさんが仕事用の顔へ戻る。
「今日は迷宮へ行くつもり?」
「行かないよ」
「本当に?」
「昨日も止められたし」
「誰に?」
「受付の人」
「よく止めてくれた」
「信用ないな」
「今のルカにはない」
即答。
「怪我が治るまで探索禁止。治療院からも連絡来てるから」
「もう?」
「担当だから」
ミナさんが書類を1枚持ち上げる。
「ルカのことは、私に回ってくるの」
そこまで言ってから。
少し表情を変える。
「ただ」
「うん」
「今、別件でルカに見てほしいものがある」
声。
少し違う。
さっきまでの。
友達みたいな話し方から。
受付嬢の。
仕事の声へ。
「未帰還者の件です」
「12人の?」
「はい」
完全に。
切り替わった。
「現在、未帰還者は12名。生存・死亡ともに確認されていません。捜索班が追跡を進めていますが、4地点で痕跡が途切れています」
俺は頷く。
「昨日、記録を見せてもらった」
「聞いてる」
ミナさんが受付台の下から資料を出す。
「昨日の夜までに追加報告が上がってる。会議室で説明するね」
そこで。
また少し。
いつもの口調へ戻る。
「その代わり」
「何?」
「勝手に迷宮行かないでよ」
「行かないって」
「絶対?」
「絶対」
「よし」
この切り替え。
久しぶりだった。
◇
会議室。
机の上には。
昨日より。
多くの紙が並んでいる。
4地点。
それぞれについて。
捜索隊が調べたこと。
結果。
簡単な見取り図。
発見された痕跡。
全部。
ミナさんが1枚目を取る。
「ここからは正式な調査情報ね」
「うん」
「第1地点。泥の足跡が壁の直前で途切れています。周囲を確認しましたが、折り返した跡はありません。壁にも破損なし」
「空洞は?」
「打音では確認できていません。簡易魔力検査も反応なし」
「隠し扉とかは?」
「見つかってない」
最後だけ。
少し。
ミナさんに戻る。
次の紙。
「第2地点。荷物を引きずった痕跡が壁際まで続いています。荷物自体は未発見。ただし、壁面から繊維片が1つ見つかっています」
「繊維?」
ミナさんが。
小袋を出す。
中には。
細い茶色の糸。
「未帰還者が所持していた布袋と、同じ素材だって」
「壁に引っかかった?」
「その可能性はある」
俺は。
小袋を見る。
もし。
壁へぶつかったのなら。
足跡。
方向転換。
何か。
残りそうな気がする。
でも。
ない。
壁に。
糸だけ。
「第3地点」
淡い。
黄土色の砂。
「これ、昨日も見た」
「うん。追加鑑定が出た」
ミナさんが。
小袋を置く。
「ルーメン迷宮内部で一般的に見られる砂とは、少し成分が違う」
「外から持ち込んだ可能性は?」
「ある」
即答。
でも。
それだけでは終わらない。
「第4地点は、荷物が床を擦った跡。これも壁の直前で終わってる。転倒跡、血痕、戦闘痕はなし」
「魔物は?」
「確認されてない」
4つ。
誰かに。
襲われたようには見えない。
逃げたようにも。
戻ったようにも。
転んだようにも。
ただ。
進んで。
そこで。
消えている。
『不自然だな』
ベル。
「うん」
ミナさんが。
こっちを見る。
「今のは?」
「あ」
やった。
「独り言」
「最近増えた?」
「たぶん」
「怪我してから?」
「……たぶん」
ミナさん。
ちょっと心配そうな顔。
『小僧、そろそろ危ない奴扱いだぞ』
「ベルのせいだろ」
「ベル?」
完全に。
言ってしまった。
「何でもない」
「あとで聞く」
「え」
「今は仕事」
逃げられなかった。
◇
「追跡役は?」
「3人入ってる」
ミナさんが。
別の記録を確認する。
「全員別の班。追跡専門の冒険者も含まれてる」
「結果は?」
「壁まで」
やっぱり。
「追跡用の魔道具は?」
「使用済み。反応は同じ場所で途切れた」
「匂いは?」
「それも試してる」
記録。
指。
止まる。
「捜索犬を2頭投入。どっちも壁の前で止まってる」
「怯えたとか?」
「なし」
「吠えた?」
「それもない。周囲を嗅ぎ回って、その先を探してたって」
足跡だけじゃない。
匂い。
魔力。
追跡。
全部。
壁で。
終わる。
「……壁の向こうに何もないなら」
口から。
出る。
「どこに行ったんだ」
ミナさん。
答えない。
答えられない。
俺も。
分かっている。
『消えた』
クロ。
「え?」
『人が』
「……そう見える」
「ルカ?」
「また独り言」
「本当に?」
「本当に」
今度は。
少しだけ。
嘘。
◇
「ミナさん」
「なに?」
「この砂。もう1回見てもいい?」
「いいよ」
小袋。
黄土色。
昨日も見た。
今も。
外から持ち込まれた可能性はある。
でも。
気になる。
「他にも、ルーメン迷宮にないものって見つかってる?」
ミナさんの手が止まる。
「ある」
「やっぱり」
「ただし」
すぐ。
仕事の声。
「今回の失踪事件との関連は未確認」
「分かってる」
紙。
机へ。
「第2地点の近くで植物片が1つ」
「植物?」
「乾燥したものじゃない。比較的新しい」
「ルーメンに?」
「ほとんどないね」
そう。
ルーメン迷宮は。
石。
岩。
湿った空気。
苔すら。
少ない。
「誰かが持ち込んだ?」
「可能性はある」
「他には?」
「第4地点の近くで、未分類の足跡」
「人?」
「違う」
「魔物?」
「まだ分からない」
図。
細長い。
先端に。
爪。
俺が知っている。
スライム。
ゴブリン。
剛角猪。
灰牙狼。
どれとも。
違う。
もちろん。
俺が知らない魔物なんて。
いくらでもいる。
「壁の近く?」
「少し離れてる」
関係があるか。
分からない。
それでも。
違うものが。
少しずつ。
混ざっている。
壁。
砂。
植物。
知らない足跡。
ばらばら。
なのに。
何か。
同じ違和感で。
繋がっている。
そんな気がした。
◇
「ミナさん」
「ん?」
「俺が落ちた穴と、今回の壁」
地図を見る。
「同じだと思う?」
ミナさんは。
すぐには答えなかった。
「分からない」
はっきり。
言う。
「私には判断できない」
だから。
信用できる。
「ルカは?」
「同じだとは思ってない」
「そうなんだ」
「昨日見た壁は、俺が落ちた場所とは違って見えた」
穴。
亀裂。
地図外の通路。
どれも。
ない。
「でも」
一度。
言葉を切る。
「だから関係ないとも言えない」
ミナさんは。
黙って聞いている。
「俺の時も。あとから調査したら、何も残ってなかったよね」
「うん」
「穴も」
「なかった」
「通路も」
「確認できなかった」
「だったら」
昨日の。
普通の壁。
思い出す。
「今ある壁だけ見ても。その人たちが通った時に、何があったかは分からない」
少しずつ。
頭の中で。
形になる。
「痕跡が消えたんじゃなくて」
ミナさんを見る。
「俺たちが、その先を追えなくなってるだけかもしれない」
人が。
壁の中へ。
消えた。
それなら。
分かりやすい。
でも。
俺は。
通った。
あとから。
消えた道を。
あの時。
俺の前には。
確かに。
道があった。
あとから来た人には。
なかった。
「その考え」
ミナさん。
紙へ。
書き込む。
「残しておくね」
「ただの思いつきだけど」
「今はそれでも必要」
顔を上げる。
「分からないことの方が多いから」
「……そっか」
「でも」
ミナさん。
少し。
笑う。
「変なことに気づくのは昔から得意だよね、ルカ」
「褒められてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「心配」
やっぱり。
◇
午後。
ギルドでは。
追加の捜索班が組まれていた。
剣士。
魔法使い。
斥候。
治療役。
人数。
朝より。
増えている。
「また増やすんだ」
受付へ戻ったミナさんに聞く。
「別区域も確認しないといけないからね」
「……」
「なに?」
俺は。
捜索班を見る。
「人を増やしても」
「うん」
「みんな同じ壁で止まるなら。意味ないよね」
ミナさん。
少し。
黙る。
『人数の問題じゃない』
クロ。
「うん」
「ルカ」
「ごめん。独り言」
「あとで本当に聞くからね?」
忘れてなかった。
「必要なのは」
続ける。
「その先を見つけられる人だと思う」
「その先?」
「俺たちが見落としてるものを拾える人」
床。
壁。
空気。
匂い。
石。
砂。
魔物。
人が。
歩いた跡。
ほんの少しの。
違い。
それを。
全部。
拾える人。
「普通の追跡じゃ足りない」
ミナさん。
少し考える。
「実は」
「うん」
「調査班からも同じ意見が出てる」
「やっぱり」
「追跡役を追加する予定」
「誰?」
「まだ正式に受けてもらえるかは分からないけど」
ミナさんが。
受付台の下。
紙。
1枚。
取り出す。
「候補は決まってる」
「どんな人?」
「狐獣人の斥候」
「狐獣人……」
街で。
見かけたことはある。
話したことはない。
「名前は?」
「フィア」
短い名前。
でも。
なぜか。
耳に残った。
◇
翌朝。
ギルドへ入る。
ミナさんが。
受付の奥。
手を上げる。
「ルカ。こっち」
「来た?」
「来た」
それだけで。
分かった。
会議室へ。
右肩。
まだ。
完治していない。
左足も。
本調子じゃない。
だから。
迷宮へ行くつもりはない。
今日は。
話だけ。
会議室。
机。
4地点の地図。
昨日までの記録。
ミナさんが。
資料を整えている。
その時。
扉が開いた。
「この人?」
女の声。
振り返る。
最初に。
目へ入ったのは。
頭の上。
狐の耳。
次。
腰の後ろ。
揺れる尻尾。
年は。
俺より少し上くらい。
軽い装備。
背中。
弓。
腰。
短剣。
女は。
部屋へ入る。
俺を見る。
顔。
手。
足。
一瞬。
視線。
動く。
右肩で。
止まる。
「怪我してる」
いきなり。
言われた。
「……分かる?」
「肩。動かし方が変」
次。
左足。
「足も」
「そこまで?」
「庇ってる」
ほんの。
数秒。
何も話してない。
なのに。
見抜かれた。
ミナさん。
少し笑う。
「やっぱり分かるんだ」
「分かりやすい」
「ほら」
ミナさん。
俺を見る。
「私も言ったでしょ」
「同じこと言われた」
『小僧、観察され放題だな』
「うるさい」
狐耳が。
ぴく。
「今、誰に言ったの?」
「……独り言」
「変な人」
「初対面で言う?」
フィアは。
答えない。
机の上。
地図。
近づく。
「これ?」
ミナさん。
今度は。
仕事の声。
「はい。未帰還者12名のうち、現在確認できている4つの最終追跡地点です」
フィアの目。
細くなる。
「壁の前で消えたって話」
「正確には」
ミナさん。
資料を見る。
「痕跡がそこで途切れています」
「同じ」
フィア。
すぐ。
言う。
ミナさん。
少し。
首を傾げる。
「何が?」
「今は」
フィア。
4地点。
1つずつ。
見る。
「見れば分かる」
その言い方には。
妙な自信があった。
『面白そうなのが来たな』
ベル。
クロは。
何も言わない。
俺は。
フィアを見る。
普通の追跡役が。
何人行っても。
壁で止まった。
なら。
必要なのは。
壁を見る人じゃない。
壁まで。
何が続いていたのか。
それを。
拾える人。
フィアは。
地図から。
顔を上げる。
「現場、行くよ」




