第22話 十二人
翌朝、ギルドの掲示板から帰還遅延の紙が消えていた。
帰ってきたのならいい。
最初はそう思った。
でも、違った。
紙が移された先は、依頼掲示板の隣にある小さな掲示板だった。普段は捜索依頼や迷宮内での落とし物、行方の分からなくなった荷物なんかが貼られている場所だ。
そこに、昨日見た名前があった。
その下にも。
さらに、その下にも。
「……増えてる」
昨日の昼に見た時は、帰還遅延が2件だった。
今は5件。
人数で見れば、もっと多い。
『何人だ?』
ベルに聞かれて、上から順番に読む。
「1人、2人、3人……」
途中で数え直した。
同行人数と未帰還人数が別に書かれている。全員が戻っていない組もあれば、仲間だけが戻っていない組もある。
最後まで確認する。
「……12人」
『多いな』
ベルの声から、いつもの軽さが消えた。
『昨日より増えた』
クロも掲示板を見ている。
「うん」
12人。
それも、1つのパーティじゃない。
入った時間も違う。
潜っていた階層も違う。
組んでいた相手も違う。
ただ1つ同じなのは。
全員、ルーメン迷宮から戻っていない。
◇
「まだ失踪と断定したわけではありません」
受付で尋ねると、職員は最初にそう言った。
「帰還予定を過ぎている冒険者が、現在12名です。一部についてはすでに捜索を開始していますが、生存、死亡ともに確認されていません」
「昨日より一気に増えてますよね」
「はい」
短い返事だった。
それだけで、ギルド側も普通の帰還遅延とは考えていないことが分かる。
俺は受付台の上に置かれた地図へ目を落とした。いつもの迷宮地図とは違い、いくつかの場所に印が付けられている。
「これ、見てもいいですか?」
「簡易版でしたら」
職員が地図をこちらへ向ける。
印は1か所に固まっていなかった。
3階。
4階。
少し離れた別区域。
俺が落ちた場所と、完全に同じじゃない。
でも。
「……近い」
「何がですか?」
「俺が落ちた場所です」
指を伸ばしかけて、止める。
正確な位置を示せない。
俺が戻ったあと、穴も通路も消えていたからだ。
既存の地図にも載っていない。
「この辺だったと思います」
大まかな区域だけ指す。
職員が地図を見る。
「確かに、完全に離れているわけではありませんね。ただ、今回の帰還遅延との関連は確認できていません」
「分かってます」
同じだと言うつもりはない。
穴が開いた。
俺が落ちた。
ベルとクロを見つけた。
今回も同じことが起きたなんて証拠は、どこにもない。
ただ。
偶然と言い切るには、少し近すぎる気がした。
『行くのか?』
ベルが聞く。
俺は右肩を軽く動かした。
まだ痛い。
「……行けないよ」
『珍しく聞き分けがいいな』
「昨日散々言われたからな」
『今日も言われると思う』
「クロまで……」
思わず息を吐く。
でも、本当は。
行きたい。
昨日までなら、迷宮へ戻りたい理由は自分のことだった。
もう一度格上と戦えば、また数字が動くかもしれない。
あの穴のことも知りたい。
ベルとクロが何なのかも。
でも。
今は12人いる。
帰ってきていない人が。
◇
「駄目です」
分かっていた。
それでも一応尋ねた結果が、これだった。
「まだ最後まで言ってないんですけど」
「捜索隊への参加ですよね?」
「……はい」
「駄目です」
今度はさらに早かった。
受付ではなく、奥から呼ばれてきた年配のギルド職員が、腕を組んで俺を見ている。
「右肩」
「治ってきてます」
「完治していない」
「左足はだいぶ」
「捻挫」
「歩くくらいなら」
「探索禁止」
全部返された。
「でも、俺はあの辺りで」
「分かっている」
少し強い声で遮られた。
「だからこそ、話は聞いている。君が遭遇した異常と今回の件に関連がないかも調べている。だが、それと負傷中の冒険者を迷宮へ入れることは別だ」
「……」
「救助へ行った人間が救助対象になれば、その分だけ人手を取られる」
言い返せなかった。
灰牙狼と戦う前の俺なら、もしかしたら食い下がっていたかもしれない。
自分なら何か分かる。
自分が行かないと。
そう考えて。
でも。
今なら分かる。
正しい。
俺の右肩は、まだベルの一撃すらまともに受けられない。
左足も全力で走れば悪化する。
迷宮で何か起きた時、俺1人の問題では済まない。
「……分かりました」
自分でも驚くくらい、すんなり言えた。
職員が少しだけ目を細める。
「ただし」
「え?」
「地上で協力してもらいたいことはある」
思わず顔を上げた。
◇
昼過ぎ。
俺はギルドの奥にある小さな会議室へ通された。
机の上には、4枚の紙。
どれも迷宮内で発見された痕跡の記録だった。
「これは?」
「現在確認できている、未帰還者の最終追跡地点です」
職員が1枚目を指す。
「こちらは2人組。先行した捜索班が足跡を確認しました」
石床についた泥。
2人分。
そこまでは普通。
「ここで途切れています」
記録された簡単な図を見る。
「壁?」
「はい」
俺は顔を上げた。
「壁の前まで足跡が続いてるんですか?」
「正確には、壁から半歩ほど手前です」
「戻った跡は?」
「ありません」
次の紙。
こちらは1人。
落としたらしい布袋を引きずった痕跡。
線が続いている。
最後。
壁。
「これも?」
「はい」
3枚目。
泥ではなく、靴底についた細かな砂。
壁まで。
消える。
4枚目。
床に擦れた荷物の跡。
やっぱり。
壁。
『……同じ』
クロの声。
俺も同じことを思っていた。
全部違う場所だ。
同じ壁じゃない。
同じ人でもない。
なのに。
痕跡の終わり方が同じ。
「壁の向こうは調べたんですか?」
「もちろんです」
職員は答える。
「打音、簡易魔力検査、構造確認。現時点で空洞は見つかっていません。破壊痕もなし。隠し扉の類も確認されていません」
「じゃあ……」
「普通の壁です」
その言葉が、妙に嫌だった。
普通。
俺が落ちた3階も。
最初は普通だった。
昨日までなかった亀裂を見つけるまでは。
「壁の中に入ったってことですか?」
「それも分かりません」
「でも、跡が」
「そこで終わっている。それしか確認できていません」
職員は慎重だった。
分からないことを、分かったことにしない。
その言い方は信用できた。
だからこそ。
怖い。
「現場、見せてもらえませんか?」
言ってから、さっき自分で納得したばかりだと思い出した。
案の定、職員の眉が動く。
「迷宮には行きません」
「ですよね」
「ただ」
また、その言葉。
「すでに封鎖済みの浅い区域にある1か所だけなら、治療師の許可と護衛付きで確認させることはできます」
「本当ですか?」
「見るだけです」
「はい」
「戦闘になりそうなら即座に戻る」
「はい」
「勝手に動かない」
「はい」
「痛みが出たら戻る」
「はい」
職員がじっと俺を見る。
「返事だけはいいですね」
「守ります」
『本当か?』
『たぶん』
2人とも黙っててほしい。
◇
翌朝。
許可が下りた。
探索ではない。
確認。
同行者はギルド職員1人と護衛の冒険者2人。
目的地も、通常なら初心者でも通る浅い区域だ。
それでも。
久しぶりに迷宮の入口へ立つと、身体が勝手に強張った。
石の匂い。
少し湿った空気。
靴底に返ってくる硬い感触。
数日前まで、何度も歩いていた場所。
なのに。
今は。
壁を見るだけで、何かあるんじゃないかと思ってしまう。
『緊張してんな』
「してない」
『してる』
「クロまで言う?」
前を歩く護衛が振り返る。
「どうした?」
「何でもないです」
危ない。
人前で2人に返事をしないよう気をつけないと。
ベルもクロも、他の人には聞こえない。
俺にだけ。
そこは変わっていない。
しばらく進んだところで、先頭の職員が止まった。
「ここです」
何の変哲もない通路だった。
左。
石壁。
右。
石壁。
正面。
緩やかな曲がり。
「……ここ?」
「はい」
壁の前には、細い縄が張られている。
床には、まだ薄く泥の跡が残っていた。
1歩。
2歩。
3歩。
壁へ向かって。
そして。
消えている。
俺は縄の手前でしゃがんだ。
右肩が少し痛んだので、左膝だけを曲げる。
「触るなよ」
「分かってます」
泥の跡を見る。
普通の足跡。
誰かが歩いた。
壁へ向かって。
でも。
最後の足跡は、不自然に途切れていない。
滑った跡も。
急に踏み込んだ跡も。
方向転換も。
ただ。
歩いていた途中で。
その先だけなくなっている。
「戻った跡、本当にないんですね」
「ああ」
護衛が答える。
「周囲も見た。別方向へ抜けた痕跡もなしだ」
俺は壁を見る。
灰色。
表面の細かな凹凸。
古い擦り傷。
何もない。
穴も。
亀裂も。
白い線も。
『ルカ』
クロ。
小さい声。
いや。
いつもと同じなのに。
なぜか小さく聞こえた。
「……」
『嫌な感じはしない』
クロは、あの地図外の空間で何度か妙な反応をしていた。
でも。
ここでは何も感じない。
『俺様も分からんな』
ベルも。
俺は立ち上がった。
「俺が落ちた場所とは違う」
「そう思うか?」
職員に聞かれる。
「分かりません」
すぐ訂正した。
「違うように見えます。でも、あの時も最初は普通に見えました」
自分で言って。
背中が少し寒くなる。
あの穴は。
調査隊が行った時には消えていた。
なら。
ここも。
誰かが通った時には壁じゃなかったとしたら。
今見ている普通の石壁が。
その時も普通の石壁だったとは限らない。
「他の場所も、こうなんですか?」
「似た状態だ」
「何か共通点は?」
「現在調査中だ」
職員が地図を開いた。
4か所。
点。
俺はその位置を見る。
完全に集まってはいない。
でも。
散らばっているようで。
妙な偏りがあった。
「この辺……」
「気づいたか?」
俺が落ちた場所。
正確な地点は分からない。
それでも。
4つの点は、全部そこから極端には離れていない。
迷宮全体から見れば。
同じ側。
「偶然ですかね」
「分からない」
また。
その答え。
でも。
今はそれでいい。
分からないなら。
分からないまま。
痕跡を拾うしかない。
俺はもう一度、壁を見る。
何もない。
本当に。
ただの壁。
その向こうに人がいるようには見えない。
それなのに。
12人が。
帰ってきていない。
◇
地上へ戻る頃には、右肩が少し重くなっていた。
戦っていない。
走ってもいない。
それでも、この程度。
やっぱり捜索隊へ行かなくて正解だった。
悔しいけど。
認めるしかない。
ギルドへ戻ると、朝より人が増えていた。
受付前。
掲示板。
仲間を待っている人。
何度も扉を見る人。
その中に。
見覚えのある受付職員がいた。
「ルカさん」
「何か分かりました?」
職員は一瞬だけ迷った。
それから。
首を横に振った。
「まだ、誰も戻っていません」
12人。
朝と。
同じ数字。
増えていない。
でも。
減ってもいない。
俺は掲示板を見る。
12人分の名前。
昨日までは。
ただの帰還遅延だった。
今日は。
ギルドが正式に捜索を始めた。
そして。
4つの場所で。
人の痕跡が。
普通の石壁の前で消えている。
「……壁の向こう」
『いると思うか?』
ベルが聞く。
俺は、すぐには答えられなかった。
「分からない」
でも。
もし。
俺が落ちた時と同じように。
今見えているものと、その時そこにあったものが違うのなら。
探す場所は。
壁の手前だけじゃない。
俺は12人の名前を見上げた。
まだ。
死んだと決まった人は。
1人もいない。




