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双醒のアルマ ――最弱の少年と、眠れる二つの古代武装――  作者: 白峰ユウ
双醒のアルマ I 始まりの迷宮 ~レベル1の少年と眠れる二つの古代武装~』

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第19話 地上へ

「帰ろう」


 そう言ったものの、すぐには立てなかった。


 短槍を床へつき、身体を起こそうとする。左足首に体重がかかった瞬間、鋭い痛みが走った。


「っ……」


『立てる?』


 クロが俺の顔を覗き込む。


「たぶん」


『たぶんじゃねえだろ』


 ベルの声も、いつもより少し低い。


「じゃあ、立てないかもしれない」


『余計駄目じゃねえか』


「でも帰らないと」


 腰を下ろしたまま、水筒を取り出す。


 残りは少ない。


 一気に飲みたいのを我慢して、口を湿らせる程度にする。喉を通った水が、乾いた身体へ染み込んでいく。


 右肩を見る。


 包帯は赤く染まっていた。


 出血はさっきより落ち着いている。それでも、少し動かすだけで傷の奥が痛んだ。


 背中と脇腹にも浅い傷がある。


 左足首は腫れている。


 何より。


 身体が重かった。


 灰牙狼と戦っている間は、考えている暇がなかった。


 避ける。


 受ける。


 見る。


 動く。


 それだけだった。


 戦いが終わった途端、身体がまとめて文句を言い始めたみたいだった。


『休むか?』


 ベルが聞く。


「少しだけ」


『今度は素直だな』


「もう格好つける相手もいないし」


『俺様がいる』


「じゃあ格好つけない」


『なんでだ!』


 クロが小さく首を傾げる。


『ベルには?』


「必要ない」


『おい!』


 声が響く。


「静かに」


『……すまん』


 少しだけ笑った。


 また肩が痛んだ。


     ◇


 しばらくしてから、俺は立ち上がった。


 短槍を杖代わりにする。


 ベルは完全には持ち上げず、下端を床へつけたまま滑らせる。


 黒剣は腰。


 灯具の火も、できるだけ小さく絞った。


 風は続いていた。


 強くはない。


 頬に触れる程度。


 それでも。


 止まっていない。


「こっちだと思う」


『根拠は?』


「空気」


『それだけか?』


「他にない」


『潔いな』


 歩き始める。


 遅い。


 普段なら何でもない段差にも気をつける。短槍で床を確かめ、左足へかかる重さを減らしながら進んだ。


 少しずつ。


 壁の様子が変わっていく。


「……あれ?」


 足を止めた。


 黒い。


 滑らかな材質だった壁。


 そこへ、普通の石が混じり始めている。


 さらに進む。


 床も変わる。


 白い線。


 読めない文字。


 黒い金属みたいな壁。


 それらが少しずつ減っていく。


 代わりに。


 見慣れた石壁。


 欠けた床。


 迷宮で何度も見た。


 普通の造り。


「戻ってる……?」


『何にだ?』


「ルーメン迷宮」


 壁へ手を触れる。


 ざらついている。


 知っている感触だった。


 黒い場所とは違う。


 どこから変わったのか。


 振り返る。


 暗い。


 灯具の光が届かない。


 さっきまで歩いていたはずの場所が、その奥にある。


 確かめたい。


 どこから違うのか。


 どう繋がっているのか。


 気になる。


 でも。


 今は。


「……後でいい」


『何が?』


「ここ」


 ベルを見る。


「地上に戻れたら、調べてもらえばいい」


『お前が調べるんじゃねえんだな』


「今の俺じゃ無理」


『学習したな』


「今日だけで何回死にかけたと思ってる」


『数えてねえ』


「俺も」


 だから。


 戻る。


 今は、それだけでいい。


     ◇


 どれくらい歩いたのか。


 分からなくなってきた。


 時間を確認するたびに。


 予定を大きく超えていることだけは分かった。


「……まずいな」


『何がだ』


「帰る予定」


 迷宮へ入った時に決めていた時間から。


 もう3時間以上過ぎている。


『じゃあ誰か来るんじゃねえか?』


「たぶん」


 ギルドには予定を申告している。


 初心者が戻らなければ。


 捜索が出る。


 それは知っている。


 でも。


 俺がいる場所が。


 本当に普通の3階へ繋がっているのか。


 まだ分からない。


 壁へついた手を離す。


 歩く。


 曲がる。


 また歩く。


 その時。


 何か聞こえた。


「……止まって」


『なんだ?』


「声」


 耳を澄ます。


 遠い。


 何人かいる。


 言葉までは分からない。


 俺はベルの取っ手を握り直す。


『人か?』


「分からない」


 ゴブリンも声を出す。


 別の魔物かもしれない。


 灯具を少し落とし、壁際へ寄る。


 また。


 声。


 今度は。


 聞こえた。


「ルカ!」


 身体が止まった。


「……え」


 もう1度。


「ルカ! 聞こえるか!」


 人の声。


 俺の名前。


 喉の奥が詰まった。


「ここ……!」


 声を出す。


 思ったより小さい。


「ここです!」


 もう1度。


 今度は。


 向こうがざわめいた。


「いたぞ!」


「返事があった!」


「こっちだ!」


 複数の足音が近づいてくる。


 俺はその場で。


 動けなくなった。


『ルカ?』


「……人だ」


『そうだな』


「本当に」


 今まで。


 帰れると思って動いていた。


 それでも。


 どこかで。


 本当はまだ分からないと思っていた。


 でも。


 名前を呼ばれた。


 それだけで。


 初めて。


 帰れるかもしれないと思えた。


     ◇


 灯りが見えた。


 1つ。


 2つ。


 さらに。


 合計で5人。


 装備から見て、冒険者とギルドの救助要員だと思う。


 先頭の男が俺を見つける。


「いた!」


 駆け寄ろうとして。


 俺の姿を見た瞬間。


 表情が変わった。


「動くな!」


「え?」


「そのままでいい!」


 男が近づく。


 右肩。


 左足。


 裂けた服。


 血。


 それを順番に見ていく。


「ひどいな……」


「灰牙狼が」


「話は後だ」


「でも」


「まず身体だ」


「地図にない場所があって――」


「それも後で聞く」


 はっきり言われた。


 俺は口を閉じた。


 別の隊員が肩を支えてくれる。


「歩けるか?」


「左足をあまり使わなければ」


「無理に歩くな」


「でも、ベルが」


「盾ならこっちで持つ」


「それは」


 止める前に。


 男がベルの取っ手を握った。


「……ん?」


 持ち上がらない。


 男がもう1度、力を入れる。


「何だこれ」


 ベルは。


 びくともしなかった。


『当然だ』


 ベルが胸を張る。


 誰にも見えていないけど。


「重いんです」


「重いって……こんなの持ってたのか?」


「俺なら持てます」


「いやいや」


 もう1人が横から手をかける。


「2人ならいけるだろ」


「せーの」


 動かない。


 2人の顔が引きつった。


「……固定されてないか?」


「違います」


「本当に盾か?」


『失礼な奴らだな!』


 ベルが怒鳴る。


 もちろん。


 誰も反応しない。


 クロを見る。


 クロも。


 隊員たちのすぐそばに立っている。


 でも。


 誰もクロを見ていない。


「……見えてない」


 小さく呟く。


「何が?」


「何でもないです」


 クロが俺を見る。


『私も?』


 ほんの少し頷く。


 ベルもクロも。


 やっぱり。


 他の人には見えていない。


「俺が持ちます」


「その肩で?」


「完全には持ち上げません」


 ベルの取っ手を握る。


 下端を床へ。


 引く。


 動く。


 隊員たちが黙った。


「……動いた」


「どうなってるんだ?」


「俺にも分かりません」


 それは。


 本当だった。


     ◇


「ところで」


 先頭の男が聞く。


「さっき、灰牙狼って言ったか?」


「あ」


 忘れかけていた。


 腰の袋を探る。


 取り出す。


 大きな魔石。


 男の顔が変わった。


「……おい」


 隣の隊員も覗き込む。


「これ」


「灰牙狼の魔石です」


「お前が?」


「はい」


 誰もすぐには喋らなかった。


「どこで」


「さっき言った、地図にない場所で」


「……灰牙狼は、こんな浅いところに出る魔物じゃない」


「俺もそう思います」


「本当に3階から落ちたんだよな?」


「はい」


「詳しい話は地上で聞く」


 男は魔石から視線を外し、俺の肩を見る。


「今はこれ以上喋るな」


「でも」


「生きて帰ってから説明しろ」


 短い言葉だった。


 言い返せなかった。


「……分かりました」


     ◇


 帰り道は。


 思ったより長かった。


 隊員の1人に身体を支えてもらう。


 もう1人が前を警戒する。


 後ろにも2人。


 残る1人が灯りと荷物を持った。


 それでも。


 ベルだけは。


 俺が持つ。


 持ち上げられない。


 だから。


 下端を床へ滑らせる。


 少し進む。


 休む。


 また進む。


「一度止まろう」


「まだ行けます」


「止まれ」


「……はい」


 壁へ背をつける。


 呼吸を整える。


 自分では歩けるつもりだった。


 でも。


 誰かに止められると。


 身体がすぐに座ろうとする。


『酷え顔だぞ』


 ベルが言う。


「ベルに言われたくない」


『俺様はいつでも男前だ』


『盾』


 クロ。


『クロ! 人の姿の話だ!』


『見えない』


『お前には見えてるだろうが!』


 2人の声を聞いていると。


 少し安心する。


 俺の隣。


 誰にも見えない2人が。


 ちゃんといる。


     ◇


 階段が見えた。


 上へ続いている。


 何度も通った。


 迷宮の階段。


 その先。


 さらに歩く。


 人の声が増える。


 明かりも。


 空気も。


 変わっていく。


 そして。


 最後の通路を抜けた。


 地上の灯りが。


 目に入った。


「……帰った」


 誰に言ったわけでもなかった。


 気づいたら。


 口から出ていた。


『ああ』


 ベル。


『……うん』


 クロ。


 人がいる。


 ギルドの職員。


 待機していた冒険者。


 治療師。


 誰かがこちらを見て。


「戻ったぞ!」


 声を上げた。


 何人かが動く。


 俺の身体から。


 急に力が抜けた。


「おっと!」


 支えてくれていた隊員が身体を受け止める。


「すみません」


「謝るな。もういい」


 もういい。


 その言葉を聞いた瞬間。


 本当に。


 もう動かなくていい気がした。


     ◇


 治療院へ運ばれた。


 ベルは。


 結局。


 俺が持った。


 途中で何度も止まりながら、下端を引きずる。


 隊員に身体を支えてもらう。


 クロはずっと隣を歩いていた。


 治療院へ着くと、すぐに寝台へ座らされる。


「右肩を見せて」


 治療師が包帯を外す。


「これは……」


「灰牙狼に」


「説明はあと」


「またそれですか」


「今必要なのは説明じゃない」


 傷を洗われる。


「っ!」


「我慢して」


「してます」


「してない顔してる」


「痛いので」


「なら黙ってて」


「はい」


 左足も診られる。


 脇腹。


 背中。


 胸。


 呼吸。


 次々に確認される。


 灯りが。


 やけに眩しい。


 人の声が。


 少し遠い。


「迷宮のことを――」


「あとで」


 また。


 止められた。


「でも」


「まず生きる」


 治療師の声。


 その言葉だけが。


 妙にはっきり聞こえた。


 まず。


 生きる。


 俺は目を閉じかけて。


 慌てて開いた。


「ベル」


『いるぞ』


 壁際。


 大盾のそばに。


 ベルがいる。


「クロ」


『……ここにいる』


 黒剣のそば。


 クロがいる。


 2人とも。


 いる。


 それを確認して。


 ようやく。


 身体から力を抜いた。


「……3人で、帰れたな」


『当たり前だ』


 ベルが答える。


 クロは。


 少しだけ頷いた。


 視界が白く滲む。


 眠い。


 もう。


 起きていられなかった。


『寝ろ』


 ベルの声。


『……ここにいる』


 クロの声。


 目を閉じる直前。


 盾のそばにベルがいて。


 黒剣のそばにクロがいた。


 それを確認してから。


 俺はようやく眠った。

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