第1話 レベル1だった少年
《1》
白い測定晶の中に、数字が浮かんだ。
見間違えるような数字じゃない。昨日も1だった。1週間前も、半年前も。
「……やっぱりか」
思ったより普通の声が出た。もっと落ち込むかと思っていたけど、ここまで変わらないと驚く方が難しい。
ただ今日は、表示されるまでほんの少し時間がかかった気がした。手を置き、白く光って、それから数字が出る。いつもなら、それだけだ。
けれど今日は、《1》が浮かぶまでに1拍あった。
「ルカ?」
受付の方から声をかけられ、俺は測定晶から手を離した。
「どうだった?」
「いつも通りです」
「……そっか」
受付嬢のミナさんが、何とも言えない顔をする。励ました方がいいのか、触れない方がいいのか。たぶん向こうも困っているんだろう。
俺は腰に下げていた冒険者証を取り出した。
名前、ルカ。年齢16。冒険者ランクF。
そして、レベル1。
ユニークスキルの欄は空白。半年前から、何も変わっていない。
いや。正確には、その前からだ。
冒険者になったばかりの頃は、俺もそのうち上がると思っていた。最初は誰だってレベル1だ。弱い魔物を倒して、迷宮へ潜って、経験を積む。そうして少しずつ強くなる。
みんな、そうしている。
俺も同じだと思っていた。
「よっしゃあ!」
少し離れたところから大声が上がり、周りから笑い声と拍手が起こった。
「上がった! やっとレベル4だ!」
「お前、昨日まで3だっただろ」
「だから上がったんだって!」
俺と同じくらいの歳の少年が、仲間2人に囲まれて測定晶の前ではしゃいでいる。
顔は知っていた。名前は確か、ニール。冒険者になったのは俺より後だったはずだ。
ニールと目が合う。
一瞬、気まずそうな顔をされた。
だから先に片手を上げた。
「おめでとう」
「え?」
「レベル4。上がったんだろ?」
「あ、ああ。ありがと」
戸惑ったあと、ニールは嬉しそうに笑った。その顔を見て、俺も笑う。
羨ましくないと言えば嘘になる。俺だって上がりたい。いつまでも1のままでいたいわけじゃない。
でも、だからといってあいつのレベルが上がらなければいいとは思わなかった。
強くなったなら、それはいいことだ。迷宮で生きて帰れる確率も上がる。
それでいい。
「ルカ」
ミナさんに呼ばれ、受付へ戻る。カウンターの向こうで、俺の記録票を見ながら眉を寄せていた。
「今日もルーメン?」
「そのつもりです」
「3階まで?」
「はい」
「4階には?」
「行きません」
即答すると、ミナさんが少しだけ安心した顔をした。
リベルの近くにある《ルーメン迷宮》。初心者向けとして知られている迷宮で、F級冒険者も多い。
俺が普段潜るのは3階までだ。そこから下は出てくる魔物も変わる。
今の俺が1人で行く場所じゃない。
「ならいいけど……」
ミナさんは俺の顔を見たあと、何か言いたそうに口を開いた。
「ルカさ」
「はい」
「そろそろ誰かと組んだら?」
「ハンスたちですか」
「そう。この前も声かけられてたでしょ?」
それは知っている。
ハンスたちは、同じF級だった頃から何度か迷宮で顔を合わせている。この前、3人目を探しているから一緒にどうかと誘われた。
嬉しかった。
本当に。
だからこそ、断った。
「今の俺だと、足を引っ張ります」
「そんなの、本人たちが決めることでしょ」
「でも、あいつらもうレベル5ですよね」
「ルカ」
「俺は1です」
口にしてから、少し強く言いすぎたことに気づいた。
「……すみません」
「謝らなくていいけど」
ミナさんはため息をつく。
「迷惑をかけるかどうかまで、あなた1人で決めなくてもいいと思うんだけどね」
返事ができなかった。
たぶん、正しい。
でも、もし俺のせいで誰かが怪我をしたら。俺を庇ったせいで、本来なら避けられた攻撃を受けたら。
その方が嫌だった。
「3階までです。無理はしません」
「……それ、毎回言うね」
「毎回守ってます」
「そこは本当にそうなのよね」
ミナさんが苦笑する。
無茶をして強くなれるなら、とっくにやっている。死んだら終わりだ。
迷宮へ入る前に帰る時間を決める。魔物の数が想定より多ければ引く。傷を負えば帰る。装備がおかしければ、その日は入らない。
それだけは守ってきた。
強くないからこそ。
間違えたら死ぬ。
「今日の帰還予定は?」
「昼過ぎ。遅くても3時間以内には戻ります」
「分かった。記録しておく」
俺は受付を離れた。
◇
ギルドを出る前に、壁際で荷物をもう1度確認する。
水筒。包帯。火口箱。予備の紐。小型の灯り。干し肉。腰の短剣。
1つずつ触れて確かめる。
剣は持っていない。買えないわけじゃない。ただ今の俺なら、狭い迷宮では短剣の方が扱いやすい。
背伸びして長い武器を持ったところで、使えなければ邪魔になる。
最後に靴紐を締め直した。
「また確認してる」
通りすがりの冒険者に笑われる。
「昨日も見たぞ、それ」
「昨日と今日で紐が切れない保証ないだろ」
「真面目だなあ」
笑われたけど、別に悪い気はしなかった。
そのくらいでいい。
ギルドの掲示板を横切る。依頼書、討伐記録、昇格者の名前。その中に、見慣れた名前があった。
ロゼ。
S級冒険者。
俺と同い年で、幼馴染だ。
新しい討伐記録らしく、名前の横には王都近郊での任務達成と書かれている。
「またか」
思わず笑ってしまった。
昔からそうだった。1度走り出したら、あっという間に遠くへ行く。
今では、同じ冒険者と言うのも少し変な気がするくらいだ。
S級とF級。
ロゼと俺。
離れている。
かなり。
それでも、今は自分にできることをやるしかない。
今日、1つでも上手く戦う。昨日より1つ、判断を間違えない。それを積み重ねる。
数字が動かなくても。
俺自身まで、昨日と同じでいる必要はない。
「……行くか」
掲示板から目を離し、ギルドの扉を開ける。
朝の光が目に入った。
始まりの街は、もう動き始めている。露店の声。荷車の音。迷宮へ向かう冒険者たち。
俺も、その中へ混ざった。
目的地は《ルーメン迷宮》。
街から歩いて30分。
初心者向け。
いつもと同じ場所。
いつもと同じ3階まで。
今日も無理はしない。危なければ帰る。
それでいい。
この時の俺は、本気でそう思っていた。
何度測っても変わらなかった《1》が。
もうすぐ、初めて動くことになるなんて。
知るはずもなかった。




