第16話 置いていけ
『俺様が残る』
「却下」
考えるより先に、言葉が出た。
ベルは何も言わない。
いつもなら、ここで「話くらい聞け」と怒鳴り返してくるはずなのに。
黙ったまま、俺を見ている。
「お前、自分じゃ動けないだろ」
『だからだ』
「何が」
『ここに置け』
ベルの声は低かった。
『俺様の本体はまだ平気だ。あいつが何回来ようが、そう簡単には壊れん』
「でも動けない」
『動く必要はねえ』
ベルが暗闇の奥を見る。
灰牙狼は見えない。
それでも。
近くにいる。
そんな気配だけが残っている。
『通路に俺様を置け。あいつが来たら受け続ける。その間に、お前はクロを持って逃げろ』
「無理だ」
『何がだ』
「お前を置いていく」
『だから、それでいいって言ってんだろ』
「よくない」
『ルカ』
「よくない」
もう1度言う。
ベルが眉を寄せる。
『俺様は盾だ』
「知ってる」
『守るなら、それでいい』
その言い方が。
妙に引っかかった。
盾だから。
残ってもいい。
壊れなければいい。
俺たちが先へ行ければ。
それでいい。
「それ、帰るって言わないだろ」
『……』
「3人で帰るって言った」
『状況が変わった』
「だからって」
『お前の右肩も、左足も限界だ』
言い返そうとして。
止まる。
図星だった。
『このまま俺様まで運べば、次にあいつが来た時、お前が先に動けなくなる』
「それでも」
『クロなら持って走れる』
「走れないよ」
『なら、歩け』
「そういう問題じゃない」
ベルが俺を見る。
『じゃあどうする』
答えが出ない。
逃げ道はほとんどない。
灰牙狼は速い。
ベルを越える。
壁まで使う。
同じ手も通じない。
俺たちは傷ついている。
向こうは。
まだ動ける。
ベルの案が。
間違っているとは言い切れなかった。
それが一番嫌だった。
◇
低い唸り声が聞こえた。
近い。
さっきより。
『……来る』
クロが暗闇を見る。
「どのくらい?」
『分からない』
時間がない。
俺は通路を見る。
ベルを置く。
クロを持つ。
逃げる。
駄目だ。
なら。
別の方法。
「……俺が残る」
『は?』
ベルの声が変わった。
「俺があいつを引きつける」
『おい』
「ベルとクロは、この辺りに置く」
『ふざけんな』
「俺なら動ける」
『走れねえだろうが!』
「少しなら」
『左足引きずってる奴が何言ってやがる!』
「それでも、お前よりは動ける」
『そういう話じゃねえ!』
ベルの声が響く。
俺は暗闇から目を離さない。
「灰牙狼が追ってくれば、その分だけ時間は稼げる」
『そのあとどうする』
「分からない」
『死ぬ気か』
「そうならないようにする」
『同じだろうが!』
ベルが怒鳴った。
俺も言い返そうとして。
口を閉じた。
同じ。
何が。
ベルは自分が残ると言った。
俺はそれを否定した。
なのに。
今度は俺が残ると言っている。
「……でも」
『でもじゃねえ』
「俺1人なら」
そこまで言って。
止まった。
自分で。
聞いたことがある言葉だった。
俺1人なら。
迷惑をかけない。
俺だけなら。
失敗しても。
巻き込まない。
昔から。
何度も。
そうやってきた。
『小僧』
ベルの声が低くなる。
『それ、俺様と何が違う』
「……」
何も。
違わなかった。
◇
『私が残る』
今度は。
クロだった。
「……え?」
『私が残る』
『お前まで何言ってやがる!』
ベルがすぐに怒鳴る。
クロは表情を変えない。
『ベルも言った』
『俺様の話は今関係ねえ!』
『ある』
「クロ、どういう意味?」
クロが壁を見る。
細い通路。
狭い。
『私を、そこに刺す』
「刺す?」
『黒剣を壁か床に固定する』
クロが淡々と言う。
『道を狭くできる』
「……」
『灰牙狼が避けるなら、その分だけ遅くなる』
確かに。
使い方としては。
あり得る。
黒剣を通路へ固定する。
完全には塞げなくても。
走れる幅を狭くする。
灰牙狼の進路を変えられるかもしれない。
「そのあとクロは?」
『残る』
『だから駄目だっつってんだろ!』
ベルが怒鳴る。
『あいつが来たらどうする!』
『分からない』
『壊されたら!?』
『分からない』
「クロ」
俺は黒剣を見る。
「クロは、それでいいの?」
少し。
間があった。
『……分からない』
「残りたい?」
『分からない』
「残りたくない?」
『……分からない』
クロが自分の胸元を見る。
『でも、使える』
その言葉。
何の迷いもなく出た。
自分を。
道具として。
使える。
だから使えばいい。
それが普通みたいに。
「駄目」
『なぜ』
「駄目だから」
『理由になってない』
「ベルと同じだよ」
『俺様を巻き込むな!』
「巻き込まれてる」
『ぐっ……』
「俺も同じ」
言ってから。
やっと。
はっきり見えた。
◇
ベルは自分が残ると言った。
俺は自分が囮になると言った。
クロは自分を通路へ固定すると言った。
3人とも。
同じだった。
他の2人が助かるなら。
自分だけならいい。
それだけ。
「……馬鹿じゃん」
『誰がだ』
「3人とも」
『俺様まで入れるな』
「入るよ」
『……』
「誰かを置いていくのは嫌なくせに」
自分なら。
いいと思ってた。
ベルも。
クロも。
たぶん。
俺も。
暗闇の奥で。
何かが動いた。
カリ、と。
爪が石を擦る音。
『来る』
クロ。
近い。
もう。
考えている時間も少ない。
『決めろ』
ベルが言う。
俺は目を閉じない。
右肩が痛い。
左足も。
怖い。
勝てると思えない。
それでも。
「誰も残さない」
『じゃあどうする!』
ベルの声が飛ぶ。
「勝つ」
一瞬。
ベルが黙った。
『今の俺たちでか?』
「今のままじゃ無理」
『じゃあ同じだろうが!』
「だから作る」
『何を』
「勝てる形」
灰牙狼は強い。
速い。
正面からじゃ勝てない。
逃げても追いつかれる。
なら。
俺たちが勝てる場所と動きを。
作るしかない。
◇
今までの動きを思い出す。
真っ直ぐ走る時は速い。
ベルの正面は避ける。
上を越える。
横へ回る。
壁を蹴る。
同じ手は2回使わない。
攻撃した後は。
必ず少し距離を取る。
そして。
1度だけ。
壁際で姿勢を崩した。
傷も入った。
倒せない相手じゃない。
少なくとも。
刃は通る。
「ベル」
『なんだ』
「受ける以外にできること、ない?」
『どういう意味だ』
「お前を見たら、あいつは避ける」
『……ああ』
「なら、避ける方向を決められないかな」
ベルが黙る。
俺は大盾を見る。
真正面へ出せば。
灰牙狼は正面から来なくなる。
右へ寄せれば。
左へ回るかもしれない。
高くすれば。
下。
低くすれば。
上。
「受けるだけじゃなくて」
ベルを見る。
「動かすんだ」
『俺様で、あいつを?』
「できるかもしれない」
確証はない。
でも。
今までの動きを見る限り。
灰牙狼はベルを避けている。
なら。
それを使う。
「クロ」
『何』
「一瞬なら届くんだよな」
『うん』
「俺が遅いから、今までは間に合わなかった」
『……うん』
「なら、その一瞬を作る」
クロが俺を見る。
少しだけ。
間があった。
『……分かった』
それ以上は言わない。
黒剣を握る。
残るのは。
地形。
俺は周囲を見る。
壁。
狭い通路。
床。
亀裂。
そして。
右手に持っていた短槍。
「……これも使える」
『槍で刺すのか?』
「いや」
灰牙狼へ当てる。
それじゃ。
たぶん遅い。
それより。
別の使い方。
短槍を見る。
壁を見る。
亀裂。
細い。
でも。
石突きを押し込めそうな場所がある。
「固定……」
『何をだ?』
「まだ分からない」
ここで決めつけるのは危ない。
灰牙狼は学ぶ。
1回見せた手は。
次に使えなくなるかもしれない。
なら。
最初に出す手を。
本命にはできない。
◇
また。
足音。
今度は隠していない。
ゆっくり。
近づいてくる。
灰牙狼も。
こっちがもう逃げられないと分かっているのかもしれない。
『ルカ』
ベル。
「何?」
『……死ぬなよ、小僧』
「ベルも」
『俺様は壊れん』
「そういう話じゃない」
『……ちっ』
クロを見る。
少女は暗闇の向こうを見たまま。
『三人で帰る』
俺は。
少しだけ目を見開いた。
前に。
俺が言った言葉。
クロは覚えていた。
「ああ」
短槍。
壁の亀裂。
ベル。
クロ。
それから。
灰牙狼。
使えるものを。
もう1度頭の中へ並べる。
1回じゃ駄目だ。
あいつは学ぶ。
同じ手には乗らない。
なら。
最初から。
次まで考える。
暗闇の中。
2つの眼が開いた。
近い。
今までより。
ずっと。
俺はベルの取っ手を握る。
黒剣へ手を添える。
逃げるためじゃない。
今度は。
倒すために。




