第九話:段ボール
吾輩は猫である。名前はまだない。
――いや、正確に言うならば家族からは「モチ」だの「お猫様」だの、果ては「ダメ猫」などという無礼な呼称で呼ばれているが、吾輩が納得するに足る高貴な名は、まだ授かっていないという意味である。
さて、先日来訪した外界の運搬者が置いていった直方体の箱――段ボールなる物体は、その後の展開において極めて重要な意味を持つこととなった。
主人はそれを机上に運び、刃物を用いて上部を切り裂く。テープが剥がされる際の、あの乾いた音。封印が解かれ、内部構造が露わになる。これは単なる開封作業ではない。未知の領域が顕現する瞬間である。
吾輩はその一部始終を、やや距離を置いて観察していた。
重要なのは、時機である。
人間が中身に意識を集中し、「箱そのもの」への関心を失った瞬間――そこにこそ介入の余地が生まれる。吾輩は床に伏し、尾をゆるやかに揺らしながら、その機を待つ。
やがて主人が中身を取り出し、「あーこれこれ」などと間の抜けた声を上げたその刹那。
――侵入。
吾輩の身体は音もなく跳躍し、開口部を正確に捉える。前肢、頭部、胴体と順に滑り込み、最後に尾がするりと吸い込まれる。これにて接収は完了した。
だが、むむ…内部空間が、やや狭い。
吾輩は一度体勢を整えようと身じろぎをする。するとどうだ。側壁がわずかに軋み、吾輩の身体に対して過剰な圧迫を加えてくるではないか。これは想定外である。通常、かかる容器はより余裕をもって設計されるべきである。
しかし、ここで退くという選択肢は存在しない。
吾輩は慎重に四肢を折り畳み、尾を巻き込み、重心を中央へと集約する。必要なのは、空間に適応する柔軟性である。近頃の理学者によれば、猫とはすなわち宇宙でも稀有な、液体の如き固体物質であると定義されているようだが、その真価が今まさに試されているのだ。
……みちっ。
箱の側面が、わずかに外側へと膨らむ。
よろしい。これは敗北ではない。設計上の欠陥を吾輩の肉体が補完し、空間のポテンシャルを極限まで引き出した証左である。側壁が悲鳴を上げているのは、未だかつて経験したことのない高密度な知性に触れた、歓喜の震えに相違ない。
「ちょっとモチ、それ入るサイズじゃないでしょ」
主人が呆れた声を上げる。
何を言うか。入ることが適った以上、それは適正サイズである。否、本来ならば到底収まらぬ物を入れてこそ、真の空間支配者と言える。四方から迫り来る圧迫感は、不快どころかむしろ慈愛に満ちた抱擁に近く、外界の不確定要素を遮断する堅牢な要塞としての機能を果たしているのだ。
吾輩はゆっくりと顎を引き、目を細める。先ほどまで内部に収められていた物資の残り香が、ほのかに漂っており、それもまた吾輩の精神を静謐へと導く。新しき領域に相応しい、実に良質な環境である。
主人はしばしその様子を眺め、「……まぁ、気に入ったならいいか」と呟いた。
その判断は妥当である。
この箱はもはや主人の所有物ではない。吾輩が内部に存在しているという事実そのものが、所有権の完全なる移転を意味する。人間がこれを再利用しようと試みるのであれば、それは明確な領域侵犯として断固たる対応を取らざるを得ないであろう。
吾輩は内部で微動だにせず、ただ静かに喉を鳴らす。
この振動は単なる満足の表現ではない。空間と存在の調和を確認し、支配構造が安定していることを宣言する高度な信号である。すなわち、この段ボールは完全に吾輩の領域として確立されたのだ。
もっとも――
長時間この姿勢を維持した結果、いざ外へ出ようとした際に、やや身体が引っかかるという事態が発生したことは、遺憾ながら事実である。主人が「ほら、出ておいで」と言いながら箱を傾けるという余計な世話を焼いたのは、重力の法則を借りねば吾輩を排出できぬほど、この空間と吾輩の細胞があまりにも最適化されすぎていたが故である。決して自力で脱出不能に陥ったわけではない。
だがそれもまた些細な問題に過ぎぬ。
重要なのは、この箱が吾輩にとって極めて価値の高い空間であるという事実である。多少の出入りの不便など、完全なる安息の前には取るに足らぬ瑣事であると言えよう。
吾輩は猫である。名前はまだない。




