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吾輩は飼い猫である。名前はー  作者: めるのすけ


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8/12

第八話:宅配便

吾輩は猫である。名前はまだない。


――いや、正確に言うならば家族からは「モチ」だの「お猫様」だの、果ては「ダメ猫」などという無礼な呼称で呼ばれているが、吾輩が納得するに足る高貴な名は、まだ授かっていないという意味である。


さて、吾輩の存在価値については今さら論じるまでもない。優美なる毛並み、均整の取れた体躯、そして何よりもこの知性。これらを総合すれば、吾輩がこの住居における最重要構成要素であることは自明の理である。


その日も吾輩は窓辺にて日光浴に勤しみつつ、己の価値について静かに思索を巡らせていた。すると突如として、空間を切り裂くような鋭い電子音が鳴り響いた。


「ピンポーン」


来訪者である。


吾輩はゆっくりと頭をもたげる。この住居に出入りを許される存在は極めて限定されている。ゆえに、ここに現れる者は必然的に「審査対象」となる。吾輩は音もなく床へと降り立ち、玄関へと向かう主人の後を追った。


扉が開かれる。


外界の空気と共に現れたのは、紺色の衣を纏った労働者であった。手には直方体の箱。なるほど、これは物資の搬入を担う者であろう。彼は手際よく署名を求め、主人はそれに応じる。ここまでは特筆すべき点はない。問題は、その直後である。


「……あ、猫ちゃん。かわいいですね」


来訪者の視線が吾輩に向けられた。


ほう。


吾輩はその場に静止し、ゆるやかに尾を一振りする。軽挙妄動は慎むべきである。かかる評価は、安易に受け取るものではない。まずはその言葉の真意を測らねばならぬ。


だが、その声音には偽りがなかった。媚びもなければ、過剰な誇張もない。純粋な感嘆。すなわちこれは、外部観測者による客観的評価である。『ちゃん』などという愛玩対象であるかのような接尾辞を付されたのは不本意であるが、その声音に含まれる敬虔な驚嘆は、しかと吾輩の心へと届いていた。


ならば結論は一つ。当然である。


吾輩の美質は、私的な領域の中でのみ通用する類のものではない。外界の者にとってもまた、明白に認識され得る普遍的価値なのだ。いわばこれは、吾輩という存在が持つ美の客観的証明に他ならない。


「でしょ? かわいいでしょー」


主人が妙に得意げな声を上げる。

……待て。何故そこで、お前が誇らしげなのだ。

吾輩は一瞬、その発言の構造を分析する。来訪者の放った賞賛の矢は、一点の狂いもなく吾輩の眉間に命中しており、そこには主人が介在する余地など微塵もないはずである。にもかかわらず主人はあたかも己がその美を鍛錬し、造形したかのような悦悦たる表情を浮かべている。これは明白なる手柄の横取りであり、論理の飛躍を通り越した厚顔無恥な盗用であると言わざるを得ない。


だが――


吾輩はここで思考を一段階深める。

主人は日々、吾輩に食を与え、寝床を整え、この環境を維持している。その結果として、吾輩の美が最適な状態で保たれていることもまた事実である。すなわち主人は、吾輩という至高の存在を支えるための基盤を担う、いわば管理者の役割を果たしていると言える。


ならば主人がその栄誉の一端を、ささやかながら享受することを完全に否定するのは、やや狭量というものかもしれぬ。


吾輩はゆっくりとその場に腰を下ろし、わずかに顎を上げる。これは許可である。自らの価値を外部に示す機会を与えたことに対する、寛大なる恩赦だ。

来訪者は「お利口ですね」と言い、軽く会釈をして去っていった。


扉が閉まる。

しばしの静寂。


主人は満足げに「いやー褒められちゃったな、モチ」と呟きながら、箱を抱えて部屋へと戻る。その足取りはどこか軽い。実に分かりやすい反応である。


吾輩はその後ろ姿を一瞥し、ゆっくりと尾を揺らす。


人間という種は単純だ。他者からの評価を、自身の価値と容易に結びつける。だが、それも無理からぬことかもしれぬ。吾輩のような存在と日常を共にしていれば、その影響を受けぬ方が難しいというものだ。


結論として――


今回の来訪者は、最低限の審美眼を備えた個体であったと評価できる。そして主人もまた、その評価を通じて己の立場を再確認したことであろう。すなわち、自らがどれほど素晴らしい存在に仕えているのかを。


もっとも。


その後、吾輩に対する待遇が特段向上することはなかった点については、いささか遺憾の意を表明せざるを得ない。評価とは本来行動を伴ってこそ意味を持つものであるはずだが、この点において人間の理解は未だ浅い。

やれやれ、教育にはまだ時間がかかるようだ。嘆かわしい事である。


吾輩は猫である。名前はまだない。

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