第六話:ねこじゃらし
吾輩は猫である。
名前はまだない。 ―― いや、正確に言うならば家族からは「モチ」だの「お猫様」だの、果ては「ダメ猫」などという無礼な呼称で呼ばれているが、吾輩が納得するに足る高貴な名は、まだ授かっていないという意味である。
近頃、主人は妙な道具を持ち出すようになった。細長い棒の先に、稲穂のような房が括り付けられた、実に安直な構造の物体である。人間はこれを「ねこじゃらし」と呼ぶらしい。なるほど、猫をじゃらすための道具とは、随分と率直で浅慮な命名である。高貴な存在である我ら猫族を、そのような単純な存在と見做している点において実に嘆かわしい。
吾輩は当初、この幼稚極まる試みに対し冷笑をもって応じていた。床に腹ばいになり尾をだらりと伸ばし、半眼でその挙動を観察する。主人は「ほらほら、モチー」と間の抜けた声を上げながら、棒の先を左右に振る。右へ左へ、時にぴょんと跳ね上げ、また床を這うように引きずる。ふむ、確かに獲物の逃走運動を模倣しているつもりなのだろうが、所詮は人間の浅知恵。狩られることに怯える獲物のごとき必死さが、微塵も感じられない。これでは野生の厳しさを再現するには程遠いではないか。
とはいえ、愚昧なる主人に付き合ってやるのも吾輩の務め。
ここはひとつ、人間をじゃらしてやるつもりで付き合ってやるのも一興というものであろう。吾輩の圧倒的観察眼をもってすれば、このような物を屠るのは造作もない。
「ぱしっ」
乾いた音が響き、吾輩の爪が空を切る。獲物はすでにそこにはない。逃げた。いや、逃がされたのだ。主人の腕の動きによって。
……ふむ。流石に手を抜きすぎたか。
吾輩は姿勢を低くする。耳は前方に向き、瞳孔はわずかに開く。先ほどの一撃は、決して衝動的な失策ではない。あれはあくまで、対象の速度と軌道を測るための予備動作に過ぎぬ。そう、これは訓練である。狩猟という古来より我ら猫族に課せられた神聖なる使命、その研鑽の一環なのだ。
主人は再び棒を振る。今度は床すれすれを滑るように移動する。その動き、やや改善されたか。だが甘い、甘すぎる。
吾輩は息を潜める。肩甲骨が波打ち、後肢に力が溜まる。距離、角度、速度――すべてが計算される。次の瞬間、吾輩の身体は弾かれたように宙へと躍り出た。
「にゃっ!」
しまった、声が出た。
だが所詮は些細な問題。空中で身を捻り、獲物の進路を予測し、主人の操る房目掛けて、前肢を振り下ろす。
「ばしっ」
今度は捉えた。ねこじゃらしとやらの先端が、吾輩の掌中に収まる。だが油断は禁物である。獲物はなおも抵抗し、主人の手によって左右に振り回されている。吾輩はそれに食らいつき、噛みつき、後脚で蹴りを入れる。これぞまさしく実戦さながらの格闘である。
やがて、獲物は力尽きたかのように動きを止めた。いや、正確には主人の腕が疲労したのであろうが、そこは深く追及すまい。吾輩はゆっくりとそれを解放し、威厳をもって一歩退く。
ふう、と一息つく。
見れば主人は、額にうっすらと汗を浮かべ、肩で息をしている。なるほど、なかなかどうして骨のある相手であった。吾輩の高度な訓練に付き合うには、相応の体力が要求されるということだ。吾輩はその様子を一瞥し、ゆっくりと尻尾を揺らす。
……まあ、今日のところは評価してやってもよいだろう。
あの拙劣な道具と動作が、幾分か吾輩の本能を刺激したのは事実である。主人もまた、この訓練を通じて多少は成長したに違いない。人間にしては上出来だ。
吾輩は何事もなかったかのように顔を洗い、あくびを一つ漏らす。先ほどの一連の動きなど、ただの軽い運動に過ぎぬという体裁を整えるためである。
もっとも――
あの「じゃらし」が再びひらりと舞うことがあるならば、吾輩は慈悲の心をもって、再び主人の未熟な狩猟訓練に付き合ってやらねばなるまい。やれやれ、主人の成長を促すのも楽ではない。
吾輩は猫である。名前はまだない。




