第三話:コップ
吾輩は猫である。名前はまだない。
―― いや、正確に言うならば家族からは「モチ」だの「お猫様」だの、果ては「ダメ猫」などという無礼な呼称で呼ばれているが、吾輩が納得するに足る高貴な名は、まだ授かっていないという意味である。
吾輩の日常生活において、避けては通れない神聖な義務がある。それは「高い場所にあるものを、重力のなすがままに解き放つこと」である。主人はこれをイタズラと呼ぶが、とんでもない。これは物理学の実験であり、あるいは静寂が壊れる刹那を愛する吾輩の持つ芸術性の発露なのだ。
その日のアトリエはダイニングテーブルであった。主人が大切にしている、透明な液体が入ったガラスのコップ。そしてその横に鎮座する、カチャカチャと音の鳴る金属の束(鍵というらしい)。吾輩はしなやかな跳躍で、その聖域へと降り立った。まずは対象をじっと見つめる。主人は「あ、コラ! モチ、降りなさい!」と蛮声を張り上げるが、そんなものは春風の音にも等しい。吾輩の視線は、杯の縁に固定されている。
前足を極めて慎重に、優雅に伸ばす。肉球の感触で対象の重心を測るのだ。いきなり落としては風情がない。対象をおもむろに、かつ執拗に机上の辺際へと追い詰めていく。吾輩はこの数ミリの移動に、均衡と崩壊の境界、すなわち宇宙の真理を凝縮させているだけなのだ。
そして杯がテーブルの際に達したその瞬間、吾輩は主人の目を見る。これが肝要だ。彼が「やめて!」と叫び、手を伸ばすその刹那の間 ――
「ガチャーン!!」
物理的必然の凱歌と、無情な報い。落下したコップは重力加速度に導かれるまま、床と熱烈な抱擁を交わした。飛び散る水しぶきと砕け散るガラスの破片は、あたかも冬の朝に煌めく霜柱のごとき美を呈している。主人の悲鳴という不協和音さえ、この大いなる物理の交響曲を構成する一要素に過ぎぬ。
「ああああっ! もう、モチ!!このクソネコ!!」
主人の絶叫が響き渡る。彼は慌てて雑巾を持ち出し、膝をついて床を拭き始める。見よ。この瞬間、主人は吾輩の足元に跪いている。主人が床に這いつくばって破片を拾う姿は、さながら落とした真珠を探す貧者のようであり、また失った尊厳を必死に掻き集める迷い人のようでもある。吾輩はこの従順なる僕の後頭部を見下ろしながら、改めて己の支配権を確認する。破壊とは、秩序を再定義する行為に相違ない。そして吾輩は満足げに喉を鳴らし、しっぽを一振りしてその場を立ち去るのだ。
その後、吾輩が「猫用おやつ抜き」という非人道的な刑に処されたことは、語るも涙の物語である。主人は吾輩の胃袋を人質に取ることで、この精神的敗北を糊塗せんとしたのであろう。しかし宇宙の真理を証明した代償が、チュールなる呼称の甘美な練り餌一本に過ぎないのであれば、それは余りに廉価な取引であったと断じざるを得ない。
吾輩は猫である。名前はまだない。




