第十一話:嘔吐
吾輩は猫である。名前はまだない。
――いや、正確に言うならば家族からは「モチ」だの「お猫様」だの、果ては「ダメ猫」などという無礼な呼称で呼ばれているが、吾輩が納得するに足る高貴な名は、まだ授かっていないという意味である。
さて、吾輩の日課の中でもとりわけ重要なものに「毛づくろい」がある。
これは単なる身だしなみではない。体表の清浄を保ち、外界の情報を整理し、精神の均衡を維持する――いわば高度な自己管理行為である。
もっとも、この行為には一つ副作用がある。
舌により丹念に梳かれた毛は、一定量が体内へと取り込まれる。そしてそれらは内部に蓄積され、やがて一つの塊――いわゆる毛玉として形成されるのだ。
ここで重要なのは、この毛玉という存在である。
それは不要物であり、同時に排出されるべき対象である。自然の摂理に従えば、適切なタイミングでこれを外部へと戻す必要がある。すなわち――これは不調ではない。定期的な調整なのである。
吾輩はある種の予兆を感じ取る。腹部の奥にわずかな違和。呼吸のリズムの変化。これは身体が発する、排出準備完了の合図に他ならない。
よろしい。
吾輩は静かに立ち上がり、場所の選定に入る。重要なのは平坦性と安定性、そして適度な吸湿性である。
――絨毯。
柔らかな繊維は衝撃を受け止め、音を抑え、対象を優しく保持する。実に理に適っている。フローリングなる滑りやすい樹脂の床では、排出に際して必要な『踏ん張り』が効かぬ。繊維が足裏をしっかりと捉える絨毯こそが、この神聖なる儀式を執り行うに相応しい祭壇なのだ。
吾輩はそこに陣取り、姿勢を整える。
前肢を揃え、首をわずかに前へと突き出す。呼吸は短く、規則的に。準備は整った。
「ケホッ、ケホッ」
身体の内部より、必要な運動が開始される。これは苦悶ではない。極めて精密に制御された排出プロセスである。世俗の者はこれを無作法な発声と断じるかもしれぬが、吾輩に言わせれば、これは体内を浄化する際に奏でられる、いわば生命のファンファーレに他ならない。
「……オエッ」
そして、完了。
絨毯の上には見事に形成された毛玉が静かに鎮座している。その外観、密度、そして湿り具合。どこをとっても非の打ち所がない。これほどまでに完璧な造形を成し得た事実は、吾輩の体内環境が極めて高い水準で維持されていることの、動かぬ証左に相違ないのである。吾輩は一瞥し、満足げに尾を揺らす。いわゆる「整った」という奴だ。
その瞬間、背後より主人の声が響いた。
「うわ、また吐いた!? しかもよりによって絨毯の上……」
やれやれ。
人間という種は、この一連の行為をいまだに理解していないらしい。彼らはこれを「汚れ」あるいは「失敗」として認識するが、それは根本的な誤解である。これは高度な自己調整機構であり、むしろ称賛されるべき成果物であるというのに。
主人は慌てて何やら布を取り出し、ぶつぶつと不満を漏らしながら処理を始める。その様子は、さながら貴重な標本を無理解のまま廃棄する愚者のようである。
だが、深く追及する気はない。吾輩には次の工程がある。
静かに腰を下ろし、再び毛づくろいを開始する。舌を走らせ、毛並みを整え、外界との接触情報を更新する。この循環こそが、吾輩の存在を最適な状態へと保つのである。
整え、吐き戻し、また整える。
この一連の流れを理解できぬというのであれば、それは人間側の問題であって、吾輩の関知するところではない。吾輩は処理に追われる主人を尻目に、再び陽だまりへと移動し、重くなった眼瞼を閉じることにした。浄化を終えた肉体には、深い休息こそが相応しいからだ。
吾輩は猫である。名前はまだない。




