断罪劇
ロザリンドは恋を知らない。
小説の中の恋人たちは、いつもハッピーエンドで、ロザリンドは一冊を読み終えるたび、高揚感が湧き幸せな気持ちになっていた。いつしか、自分も主人公たちのような美しい恋をしたいと望むようになっていた。
けど、現実は甘くない。
貴族社会の婚姻は、政略結婚が前提だ。それ故に、貞操観念が希薄で愛人を囲っているという話は珍しいことではない。
フレデリック伯爵家夫妻は例外で、歳の差はあるものの、互いを支えあえる理想の夫婦だった。
シニアとエミリアのような関係を築ける両親をロザリンドは目標としているのだが、それよりも問題は…。
(私は異性から好かれないんだよね…)
だから、所詮…。その希望は夢物語でしかないのだ。
(昨日のことも、何かの罰ゲームのようなものだったに違いないわ…。あんなハイスペック、私には無理…)
あれから、ロザリンドは生徒会の仕事を口実に、その場をそそくさと立ち去った。
ちゃんと事務業務を終えられたのかも定かではない。それだけ、衝撃的な出来事だったのだ。
ロザリンドは途方に暮れながら、学院の門をくぐった。
「お前にはほとほと愛想が尽きた!」
大広間へ響く低い声。生徒たちは一斉に視線を向けた。
二階へと続く中央階段の上で背の高い男性が小柄な女性の肩を抱いている。
階下には泣きそうな面持ちで男性を見上げている令嬢が一人…。
「お待ちください!」
「何故、あのようなことをしでかした?令嬢に危害を加えるなど淑女としてあるまじきことだ!」
級友のヘレナが、ロシリオン伯爵家のバートラムから断罪されている。
この学院では悲しいかな、見慣れた光景である。流行小説の影響か、婚約者がいながらも当たり前のように恋人を作り、婚約者へ罵声を浴びせるいきり立つ貴族令息の多いこと…。
(この国…。大丈夫かな?馬鹿ばかりだよね?これで何度目?入学してから、まだ4ヶ月しか経ってないよね…)
ロザリンドは不敬だと感じつつ、心の中で毒づく。元はと言えば、不貞を働く男が悪いとは思うのだが、ロザリンドは表立ってヘレナを庇うことはしなかった。
ヘレナがかの令嬢を虐げていたことは知っていたからだ。
一昨日、バートラムが胸に抱く女性を目掛けて、バルコニーからヘレナがたらい桶の水をぶち撒けていた。ロザリンドは偶然その場面に遭遇したのだ。
その時、かの令嬢の後ろを歩いていたロザリンドにまで水が飛んだ。
かの令嬢はロザリンドへ被害が及んだことを知り謝ってくれた。
「申し訳ありません。巻き込んでしまいまして…」
ロザリンドは事態を重くみて、学院の教師へ相談してみてはと助言をしてみたが、彼女は軽く横に首を振っただけだった。
「私は男爵令嬢、あの方は伯爵令嬢…。私の言葉は取るに足りません」
(いやいや、学院は平等を謳っているし)
身分階級に萎縮してしまう教師は少なからずいたが、皆が皆そうではない。真摯に対応してくれる教師だっている。
彼女はきっと後ろ暗さを感じて訴えることができないのだ。
「お前とは婚約者破棄だ!俺はこの人と一緒に生きていく!」
(あの、クズ男!自省という言葉は存在しないんだろうなっ!)
「私には貴方だけなのです!」
ロザリンドは不謹慎ながら、顔を歪めて婚約者に泣き叫ぶヘレナの姿を醜いけど、美しいとも思った。
御伽話の魔女のように闇深い黒髪も…。
充血して真っ赤になった黒曜の瞳も…。
真珠のような白肌へ流れる雫も…。
歯を強く噛み締めて腫れてる唇も…。
醜聞など構うことなく、全てはバートラムのために、ヘレナは自分を貶めている。
ヘレナはバートラムを愛しているのだ。誰にも奪われたくないほどに…。
(私はそんな情熱的な愛を知らない。確かに彼女のやったことは罪なんだろうけど…)
バートラムは踵を返してヘレナに背を向ける。傍らには揺れる亜麻色の髪…。
ヘレナは一人残され、その場にへたり込み泣き崩れた。長い黒髪が滑り落ち大理石の床へと散らばった。
しばらく、遠巻きに観察していた生徒も、一向に立ち上がらない彼女へ興味をなくし、蜘蛛の子を散らすように日常へと戻っていった。




