旅立ち
そして、9年の月日が過ぎた。
それまで、ロザリンドはシーリアと共にフレデリック領で過ごしていた。
自然豊かなフレデリック領は、養蚕が盛んな土地だ。北のなだらかな稜線を背に、山々の恵みである湧水が雄大な川の流れを形作り、麓に扇状地を育んだ。そこに我がフレデリックの領都がある。
あの交流会の騒動から、シーリアはこの地へ引きこもっている。
社交界好きなエミリアも我が子可愛さに…。
いや、それだけではないのだが…。
重要な案件がない限り、フレデリック領へ留まっていた。
今秋、ロザリンドは公都エイヴォンにある公国立ストラトフォード学院への入学が決まっている。
それは、ロザリンドがフレデリック伯爵家の跡取り娘だからだ。
アーデン公国は女子も家督を継げる。
爵位を継承する者は、ストラトフォード学院で領地経営学の教育を受けなければならない。未来の領主たちを早い時期から交流させ、公国の発展を促すのが目的でもあるらしい。
この学院には、騎士科・魔法科・内政科が存在しており、受験さえ合格すれば誰もが通える仕組みになっていた。ごく僅かであるが、平民もいる。
ちなみに、領主の次期後継者は実力確認のため受験こそあるものの、合否はなく、漏れなく入学できる。だが、卒業するには難しい試験を通らなければならない。故に卒業が出来なければ領主不適合の烙印を押されてしまう。
「お姉様がエイヴォンへ行かれてしまうなんて、私、寂しいわ」
秋晴れの空のように清らかなシーリアの青い眼差しが、旅立つロザリンドへ訴えかける。
シーリアの背後には、丘一面に広がる秋咲きのラベンダーが紫の波を打つ。花が擦れあい、風に運ばれた爽やかな香りがロザリンドの鼻腔へと広がった。
「あらっ、私だってシーリアと離れがたいのよ。大好きなフレデリック領を出たくもないし、私も出来ることならば行きたくはないわ」
シーリアはロザリンドへ抱きついた。シーリアが堪えきれず泣いてしまったため、ロザリンドのドレスの胸元が湿る。
動きやすさを重視した藍色のコットンドレスは、ハンカチも驚くほどシーリアの涙を吸収していた。
(あっ、鼻水…)
可愛いシーリアがロザリンドのために流した涙と鼻水だ。今日のために下ろした真新しいドレスであったが、文句を言うのをロザリンドは控えることにした。
「ロザリンド、何より一番は体調管理だよ。成績は気にすることはないさ。卒業できればそれで良い。まぁ、それも大変ではあるけどね」
ロザリンドの頭へ、軽く手を乗せたシニアは目尻に皺を寄せる。細い目がますます細くなった。シニアの優しさが滲む。
「はいっ、お父様!」
ロザリンドは元気いっぱいに返事をした。
「……」
エミリアは羨ましそうに、ロザリンドの頭を撫でているシニアの手に注目している。
「もしかしてだけど?君も撫でてほしいのかい?」
エミリアは無言で頷く。シニアはいささか躊躇いはしたものの黙ってエミリアの金髪へと手を伸ばした。
フレデリック伯爵夫妻は、一回り以上、歳が離れてはいるものの関係は良好だ。ロザリンドは少し呆れ顔で、それでいて微笑みながら仲睦まじい両親を眺めた。
背後に並んでいる使用人たちも生暖かい目で様子を見守っている。
いつもと変わらない風景だ。
「それでは行ってきますね」
シーリアがやっとロザリンドの胸から離れたので、ロザリンドは両親を尻目に馬車へ乗り込もうとする。
「ちょっとお待ちなさい!」
エミリアは慌ててロザリンドの腕を掴むと引っ張った。
「先ほどまでシーリアに譲っていたのよ。私もしばらく会えないのだから…」
エミリアはロザリンドを腕の中へ誘い抱擁する。母の体温に包まれて、ロザリンドの目から涙がこぼれた。
(あれっ、泣くつもりなんてなかったのにな)
「あんなに小さかったのに…。こんなに早く成長しなくても」
エミリアが小さく呟くと、シーリアは反対側から、シニアは家族を守るように固く抱きしめた。




