ヒーロー
(んっ痛くない!)
ロザリンドは咄嗟に瞑っていた目を恐る恐る開いた。
「…。紳士としていかがな態度であろう!」
姉妹の目の前には、テーブルでロザリンドと相席をしていた男の子が、頬を赤く腫れ上がらせ尻もちをついている。
「何を!貴様!オレはエスカラス侯爵家の跡取り息子だぞ!」
「何をしているのですっ!」
ようやく、衛兵たちが騒ぎに駆けつけてきた。
(遅いわ!)
状況を見極めた大人たちは青褪めている。衛兵の一人は倒れている子供へと手を伸ばした。
ピシャリ!
衛兵の手を即座に跳ね除けて、ぽっちゃり貴公子はロザリンドを気遣った。
「まずは淑女へと礼儀を尽くすべきであろう?」
貴公子は堂々とした振る舞いだ。金糸でアカンサスの葉が施されている白色の上衣がロザリンドの目に眩しい。
(なんて、良い子!助けてくれただけでなく、私たちのことも気にかけてくれるなんて!)
衛兵はロザリンドを一瞥して、雑に起こしてくれた。やはり容姿は、大人にも反映するらしいとロザリンドは悟った。
「今回のこと、子供の争いとはいえ、度を越している。追って沙汰を待つように」
「偉そうに!何様だよ!」
衛兵に押さえつけられている令息は足をジタバタさせて怒号をあげた。
衛兵は少年へ耳打ちする。少年の顔から血の気が引いていった。
令息は衛兵の腕から解放されると跪いた。
「申し訳ございません」
「謝る相手が違うであろう?貴殿は淑女に暴言を吐き、況してや暴力を振るった!」
「ですがっ!あれですよ!」
(むきっー!私をあれ扱いなわけね。どこまでも失礼だわ)
ロザリンドの憮然とした表情を読み取って、シーリアは令息を睨みつけていた。
鋭い目つきをしていても、全く凄みのないシーリアに、ロザリンドは心が和む。
「あれ?あれとは何だ?ご令嬢は貴殿に対して名を告げたではないかっ!」
貴公子は振り向くとロザリンドの手の擦り傷を察して、胸元のポケットからハンカチを抜きとり、優しく患部を押さえた。
艶めく漆黒が風に遊ばれる。前髪で隠れていた瞳が垣間見えた。アメジストのような綺麗な瞳をしている。
「すまない、私がもっと素早く動けていれば」
ちょっと豊満な身体で咄嗟に動くのは至難の技だ。
(いやいや、あなた様は何も悪くないです)
その姿を見て、エスカラス侯爵家の令息は渋々ながら、物凄く不服そうにロザリンドへ頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
どう見ても行動に心が伴っていない。
「ふぅ……」
小さなため息をこぼして助けてくれた少年はロザリンドへ告げた。
「このハンカチは差し上げよう。このようなもので申し訳ないが、お詫びとして受け取ってほしい…」
ロザリンドはコクコクと頷いた。
(洗濯したのち家宝にして部屋の額縁へ飾ります)
こうして、事態は収束したのだが、帰りの馬車で事の次第を聞いたエミリアは憤慨した。
「エスカラス侯爵家ですって!あのロクでもない髭面の侯爵ね!噂では夫人に暴力を振るってるとかで有名なっ!」
シーリアは泣き疲れてエミリアの膝を枕にして眠っていた。小さな寝息が規則正しく聞こえてくる。
エミリアはロザリンドを隣に呼び寄せて抱きしめる。
「いい!女はね、化粧で顔はどうとでも誤魔化せるの!不細工だっていいじゃない!だって、貴女は私の愛するダーリンにそっくりですもの!みてらっしゃい!新興の伯爵家だとバカにして!私が必ず目にモノを見せてやる!ダーリンにも相談しなきゃっ!」
こんな物言いだが、エミリアはロザリンドを愛している。
エミリアは美しい。社交界の花と謳われる人物だ。社交界の重鎮とも面識があり、縦の繋がりも半端ない。エミリアは親友の公爵夫人へ願いでてエスカラス侯爵家へ抗議しようと目論んでいた。
(おそるべし、お母さま…)
母の陰謀ではなかったであろうが、丁度、その折、エスカラス侯爵の悪事が明るみに出た。夫人への虐待から始まり、悪徳商人からの賄賂、裏金作りに国へ納める税の横領等、数えきれないほどの罪状で、かの家は呆気なく没落してしまった。
だからといって、フレデリック伯爵家が平穏でいたわけではない。その事件がきっかけでシーリアが引きこもりになってしまったからだった。




