続編 〜君の前から消えた婚約者〜 5
「どうして、お一人でこのようなところにいらっしゃるのです。学院とはいえ、あのような輩はどこにでもいる」
その男に窘められヘレナは思い知った。
今までバートラムを頼っていた分、ヘレナは気が緩んでいたのだろう。
来るはずのないバートラムが必ず守ってくれると心のどこかで信じていたのだ。
本来であれば、ヘレナでなくとも、貴族令嬢は一人で出歩くなどあってはならないことだ。
ヘレナは警戒を怠った。こんな事態に陥れば、バートラムが救い出してくれると…。
ヘレナは自嘲した。
いつまで彼の方に囚われているつもりか…。
今でもヘレナはバートラムの横顔を眺めているだけで、胸が苦しくなる。
幼い頃、邪な視線を向けられたヘレナを庇ってくれていた小さな背中。バートラムの広げた腕は短かったけど、凛とした表情は誰よりも逞しく見えた。
バートラムにとって、自分は守らなければならない妹のような存在だったのだろうと今更ながらにヘレナは自覚した。
身内であれば、嫌っていても庇うしかないのだから…。
初対面の男性の前で泣くつもりはなかったのだが、ポロリと涙がヘレナの頬を伝う。今になって震えが止まらない。
男性は手を伸ばしたが、ヘレナは咄嗟に身構えた。
「まだ、名乗っておりませんでしたね。俺はカイアス。カイアス・ウェストモーランドです」
カイアスはヘレナの身体に一切触れることなく、自ら外套を脱ぐとそっとヘレナの肩にかけた。
「エドガー!マーガレット!そこにいるか?」
「「はい!」」
カイアスと旧知の仲である側近の二人が姿を現した。
カイアスよりも二学年上であるエドガーだが、彼は将来仕えるべきカイアスへ忠誠を誓っていた。
エドガーは憎々しそうに口を開く。
「ベアトリス様のおっしゃるとおりでしたね」
騎士科の女生徒のマーガレットは肩をすくめた。眉を顰めて顔に怒りを滲ませている。
名門であるアーデン公国立ストラトフォード学院といえども、雰囲気に酔って羽目を外す人間はいるものだ。
現に前年度、ロザリンドに悪意を向けて虐めを行っていた碌でもない連中もいる。
ベアトリスは生徒会へ有志の生徒で見回り隊を組んではどうだと提案していた。
「面倒だからと全てをこちらに任せましたけど…。それでカイアス様は夜会に参加できず…。良かったですね」
含み笑いのエドガーはカイアスを見た。
カイアスもベアトリスと同じく社交界が嫌いだ。新入生歓迎会を辞退できたのは幸いであった。
「俺はもう少し奥の方も見回ろうと思う。エドガーはあの逃げた男の身元調査を…。学院に報告して然るべき処置を…」
カイアスはエドガーを一瞥して指示を出す。ニヤけていたエドガーは表情を引き締め返事をした。
「はい、すぐに確認いたします!」
「マーガレットはこの方を送って差し上げろ!」
「かしこまりました!さぁ、お嬢様。私に寄りかかってくださいませ」
マーガレットはヘレナが怯えないように優しく手を取った。
「あの…」
「なんですか?お嬢様」
マーガレットはヘレナの顔を覗き込み、息を呑む。女性のマーガレットでさえ、ヘレナの美貌に心奪われそうだ。
「私の名前はヘレナ・ナルボンと申します。この度は危ないところを助けていただき…ありがとうございます」
ヘレナの指先は未だ震えが止まってはいない。それでも、ヘレナは凛と姿勢を正し一礼する。
カイアスが微笑むと、頬に小さな笑い窪ができる。
「良いのです。騎士として当たり前のことをしたまでです。お気をつけてお帰りくださいね」
名残惜しそうな眼差しが垣間見えたが、カイアスはすぐに踵を返す。星明かりに浮かび上がるカイアスの背中は逞しかった。




