続編 〜君の前から消えた婚約者〜 4
「ヘレナ嬢、おはようございます」
「ごきげんよう」
翌朝、ヘレナは校門で声をかけられた。
声の主を見上げ、ヘレナは眩しさに目を瞬いた。麗らかな日差しが降り注ぎ、春の気配を感じた。
短く刈り上げられた太陽のように輝く黄金の髪、深緑の森を思わせる優しげな眼差し…。
新入生のカイアスだ。
物腰が柔らかく、人好きのする穏やかな面持ちをしているが、ウェストモーランド辺境侯国の侯女の弟である。
そう…。
あの苛烈で勇ましいベアトリスの弟だ。二の腕の筋肉は隆々としており、まさしくウェストモーランドの血脈を物語っている。
カイアスはにこやかに挨拶だけ告げ、颯爽とその場を後にした。
「ヘレナ嬢、悪いな。私はガツンと言っているんだが、聞き分けがなくてな」
ヘレナの背後には、いつの間にかベアトリスが立っていた。気配に気づけなかったヘレナは驚きながらも答えた。
「挨拶を交わすぐらい構いませんことよ。ですが、釣り書きを送られるのは困りますわ」
淑女はいかなるときも平静を保つものだ。
ヘレナは正式に婚約解消を公表していない。けれども、随分と早い段階からウェストモーランド辺境侯からカイアスの釣り書きは届けられていた。
ベアトリスは躊躇いながら口を開いた。
「婚約…解消したんだろう?破棄でないのがヘレナ嬢の優しさか…」
「知ってますの?」
「うちの情報網を舐めないでくれ。けど、今日あたり、みんな知るんじゃないか?そうなると、ヘレナ嬢への求婚は止まないだろう。なぁ?私んとこの弟で手を打たないか?いい奴だし…。私もヘレナ嬢が義妹なら嬉しいんだがな」
ヘレナとカイアスは今年度から始まった生徒会主催の新入生歓迎会の夜会で出会った。
下級貴族、平民たちのドレスアップのために、ロザリンドの実家フレデリック伯爵家が惜しみなく協力して、美容部員たちを貸し出した。
将来の顧客を見越してのことだ。
そのため、夜会は平等に参加が可能となり成功を収めた。
あれは四ヶ月ほど前、夜会でのことだ。
そろそろ閉幕の時間が近づいてきたときであった。生徒会メンバーのロザリンドは結びの挨拶などの準備のため、席を離れた。
ロザリンドと会話を楽しんでいたヘレナだったが、一人きりになり庭園に逃げることにした。
バートラムの婚約破棄宣言後、ヘレナは好奇の目に晒されている。
その渦中の一人であるバートラムは男爵令嬢のディアナを伴って参加していた。
ヘレナのエスコートは、友人であるオリヴァーが引き受けてくれた。
彼の妻シーリアはヘレナの事情を熟知しており快く許してくれたのだ。
だが、オリヴァーも同じく生徒会の一人であり、彼の主人はオーランドーなのだから、始終ヘレナの護衛はできない。
ベアトリスは夜会になど目もくれず、その頃、部屋で高いびきをかいていた。
「ヘレナ嬢!お待ちください!」
ダンスを断った男子生徒が一人、ヘレナの後を追う。
彼は某伯爵家の令息でヘレナに執心していた。ヘレナが一人きりとなった絶好の機会を逃すはずがなかった。
「はっきり申し上げて迷惑ですの!付きまとわないでくださいませ!」
「そうおっしゃらずに…。婚約者殿は他の女性に夢中ではありませんか?」
こんなとき、いつもならばバートラムがどこからともなく現れ、庇ってくれていたが、そのバートラムは件の男爵令嬢とダンスを楽しんでいた。
「だからといって、私、貴方が好みではありませんの。しつこい男は尚更ですわ」
「何だと!紳士的に振る舞っていればつけあがりやがって!」
腕を掴まれ、あろうことかその令息は草むらの陰へ連れ込もうとした。
ヘレナは胸に息苦しさを覚えて呼吸が乱れ、倒れそうになっているにもかかわらず、その令息は乱暴にヘレナの腰へ手を回す。
気を失いかけたヘレナとその令息の間を影が遮った。
「キサマッ!何をしている!彼女から離れろ!」
令息は突然現れた男に手を握りしめられ悶絶する。メキメキと音がした。
「放せよ!」
木の幹に投げつけるように令息は放り出される。
「うっ美し過ぎるヘレナ様が悪いんだ!」
捨て台詞を吐きながら、令息は走り去って行った。
「大丈夫ですか?」
ヘレナが涙で目を潤ませながら仰ぐと、星空の瞬きを背に男性が心配そうに覗き込んでいた。




