嫌がらせ
花々の蕾の膨らみが、穏やかな春の到来を感じさせ、朝日と共に鳥の囀りが聞こえるようになってきた。
冬の気配は遠くなっていたが、ロザリンドに対する嫌がらせは終わることなく、日増しに酷くなっていった。
それでも、騎士科での訓練が功を奏しているのか、ロザリンドはまだ大きな怪我をしていない。
先日は大階段から背中を押されたが、運良く踊り場で受け身を取ることができ、大事に至らなかった。
騎士希望の女生徒に比べれば、ロザリンドの身体能力は劣るものの、生粋の貴族令嬢にしては筋が良いらしい。
ベアトリスを除けば、騎士科を専攻している女性たちは、嫡子ではない子爵や男爵家の令嬢である。
とはいえ、ロザリンドも魔法科の生徒に魔法で攻撃されればひとたまりもないが、この学院には結界が張られている。授業ではない魔法はすぐ学院側に感知され、第三者へ危害を加えるものであれば、即退学が言い渡される。そこまで危険を冒して嫌がらせをする者がいないのは幸いと言えようか…。
その事件は、ロザリンドがベアトリスと朝練をした後に起こった。
教室へ戻ると、ロザリンドの机の上に文房具などの持ち物が壊され、教科書が破れた状態で散乱していた。
「誰だ!このような卑劣なことをする者は!」
オーランドーは珍しく大声をあげて非難した。
オーランドーは髪を切ってから周囲の評価が変わっている。整った顔立ちが明らかになり、女生徒からの好感度が上がった。
第四とはいえ、王子であるので、前から令嬢たちに関心を持たれていた。
中性的な柔らかな物腰、何よりも人を惹きつける鮮やかな紫水晶のような瞳…。
だが、彼は以前と態度を変えず、適切な距離を保ちながら生徒たちと交流していた。
「殿下」
ロザリンドは驚いて呟く。
(私のために怒ってくださっているのだろうか?)
自意識過剰とも思ったが、ロザリンドを友人だと認めてくれたオーランドーである。
少し期待してしまったのは仕方ない。
「この教科書は国からの支給品である。それを破損する行為は、ひいては陛下に対しての不敬とみなすが」
(あっ、そちらに対して怒っていらしたんですね…)
オーランドーの矛先は教科書であって、自分ではないとロザリンドは認識した。
「自作自演では?気を引きたいだけなんですよ」
令嬢の一人が嘲笑う。
それが一女性に対しての好意かは判断できないが、オーランドーがロザリンドを意識しているのは、誰もが感じ取れた。
そのため、ロザリンドへのやっかみは増す一方だった。
「ほら?あんな顔だし?誰からも相手されませんでしょう?」
「そうですわ」
横で傍観していた女生徒の数人が次々とロザリンドへの誹謗を口にする。
(いやいや、顔は関係ないだろう?ここで蔑まなくても良くないか?)
表立ってロザリンドの容姿を否定する令嬢の姿は浅ましい。綺麗な顔立ちであるのに勿体無いとロザリンドは思った。
バンッ
オーランドーは机を叩く。いつも穏やかな彼が激しく物に当たるところを、今まで誰も見たことがなかった。
「私は彼女が教科書へもしっかりと要点を書き込み、活用していたのをこの目で見ている。びっしりだ!びっしりだぞ!それだけ努力して積み上げたものを自ら破り捨てることなど、するはずがない!」
(殿下…。論点がずれてますよ)
「私、ロザリンド様が教科書を破るのを見ましたわ!」
「私もです!」
「そのような方、殿下が庇い立てする必要はございませんわ!」
「でっ、それはいつのことだい?」
皆が一斉に教室の扉へと視線を向けると、鮮烈な赤髪が目に飛び込んだ。ベアトリスが仁王立ちしている。
教室の騒ぎにヘレナが機転を利かせて、騎士科の訓練場から内政科の教室へ、ベアトリスを連れてきたのだ。
「この教室に一番最初に入った者は?」
オーランドーの問いかけに誰も挙手しない。
ベアトリスはオーランドーへ目配せをし、一人の女生徒を指差した。
「じゃあ、そこのロザリンドが破るのを見たって主張したご令嬢、そのとき周囲に人はいたかい?」
指名された令嬢は震えながら答えた。目には涙を溜めて、今にも泣きそうだ。
「いっ、いませんでしたわ!」
矢継ぎ早にオーランドーが詰問した。
「じゃあ、君がそれを見たのはいつだい?」
「始業一時間前でございます」
他の令嬢達へ助けを求める視線を投げるも、皆、目を逸らした。
「ロザリンドはいつ学院へ来た?」
オーランドーが尋ねる。ロザリンドはしっかりと顔を上げて告げた。
「二時間前です」
「そうだよな。次の実技試験のために私と自主練してたんだからな」
ベアトリスは耳の穴を小指で掻き、それを目の前へ移動させると息を吹きかけた。
「ちっ、違うわ!にっ、二時間前よ!」
「ふっ…」
鼻で笑うベアトリスへムッとした令嬢は声を荒らげた。
「なっ、何ですの!二時間前よ!気が動転して間違えただけですわ!」
「オリヴァー、確認してくれた?」
息を切らしたオリヴァーが教室へ入ってきた。眉間へ深い皺を刻み、腕を組んで立ち尽くすベアトリスの肩へ手を置く。
ベアトリスはオリヴァーへ衛兵から証言を得るよう依頼していた。
「あぁ、門番に聞いたら、二時間前に確認したのはロザリンドとベアトリスの二人だけだってさ。朝早いからしっかり覚えていたよ。その一時間後くらいに他の生徒も登校してきた、と…」
「で、申し開きはあるか?」
オーランドーの冷ややかな眼差しが令嬢へと突き刺さる。
「だいたい、濡れ衣を着せようとした者が、犯人ってパターンが多いよな?ふぅーーーーっ」
ドンッ!
深いため息を吐いた後、ベアトリスは壁をぶち壊した。
「ベアトリス!」
ベアトリスの突飛な行動に、オリヴァーが驚いて声をあげる。
壁には大きな穴が開いており、それを中心に亀裂が入っていた。
「すまん、弁償はこちらでするから…。私はね。暴力で何とかしようって考えが一番嫌いなんだよね…」
「壁に穴を開けた貴女がそれをおっしゃるの?」
ヘレナが呆れてベアトリスを窘める。ベアトリスはその言葉を無視して続けた。
「暴力って、力任せで…。つまり物理的なことだけじゃないと思うんだ。精神的に追い詰めるのも暴力だろう?なぁ?私は自分の友人を大事に思っててね。騎士の絆っていうのは強いもんなんだよ。だからさ、誰かがロザリンドを傷つけようものなら…」
責められている令嬢は堪えられずに涙を流す。
「それは…脅しですの?」
「後ろめたいことがあるのか?私は戦場における一般論を述べただけだよ。なぁ?ロザリンドは選択とはいえ、騎士科の仲間でもあるしな。戦場では背を任せるかもしれない…」
「まぁ、そう?だな?」
オリヴァーが髪を乱しながら曖昧に頷く。
「もう良い…。私が直そう」
オーランドーの復元魔法で壁は修復され、教科書は真新しくなった。メモのような細かい部分までは元に戻らなかったが、ロザリンドには十分だった。
「殿下、ありがとうございます!」
「証拠隠滅…」
ベアトリスの隣でオリヴァーが小さく呟いた。
脅迫とも捉えかねないベアトリスの暴挙の痕跡を、オーランドーはどさくさに紛れて綺麗に消していたのだった。




