第七話 勇者PTヴァルニスへ行く⑨
夜明け前の海は、不気味なほど静まり返っていた。薄く霧が立ちこめるメッシーナ海峡を、大小十数隻の船団が等間隔を保って進んでいく。
先頭には連盟警備団の武装船、左右を固めるのは護衛艦。
中央の船に、アンナたち《暁の翼》が乗り込んでいた。
「……静かすぎるな」
甲板に立つアリアが、海面を睨む。
「波も流れも、止まってるみたい」
アンナは無意識に息を潜めていた。
修行で慣れ親しんだ“海の流れ”が、
ここでは感じ取れない。
それはまるで――
何か巨大なものが、
海そのものを押さえつけているような感覚だった。
「目標海域に入った」
船長の低い声が響く。
その瞬間だった。
船団の進行方向、海面がわずかに盛り上がる。
波紋が同心円状に広がり、霧の下で“何か”が動いた。
「――来るぞ」
トンペティの一言と同時に、警備団の魔導士たちが詠唱を始めた。
「照明弾、投射!」
「魔力収束、目標・海中反応!」
次の瞬間、
空を切り裂くように放たれた、
光の魔法が海へと叩き込まれる。
ドォンッ!!
衝撃と共に、海面が爆ぜた。
白く泡立つ水柱が立ち上り、霧が一気に吹き飛ばされる。
――そして。
海の底から、
異様に太い触腕が一本、
ゆっくりと持ち上がった。
「……嘘でしょ」
続いて二本、三本。
ぬらりとした黒紫の表皮に、無数の吸盤。
触腕が海面を叩くたび、船体が大きく揺れる。
やがて、
島と見紛うほどの巨体が、水を割って姿を現した。
「クラーケン……!」
巨大な頭部、光を失った複眼。
海そのものを縄張りとする、災厄の魔物。
その咆哮が、空気と海を同時に震わせた。
「――総員、戦闘配置!!」
警備団の号令が飛ぶ中、
アンナは剣を握りしめ、荒れ始めた海を見据えた。
(これが……私たちの、初めての“海の戦場”)
波が荒れ、船団がきしむ。
クラーケンは、ゆっくりと触腕を持ち上げ――
戦いの幕が、切って落とされた。
炎、光、氷、様々な魔法がクラーケンに向かう。しかし、その全ては体表を薄く削るのみに見える。そのうち近くの船の一艘に触腕が叩きつけられた。
「総員!退避!」
ドゴン!と、轟く轟音と船長の叫びに兵士たちが海へと飛び込み、ほかの船へと泳いで逃れる。
大破し海に沈む船を見ながら、トンペティが叫ぶ。
「船を寄せろ!わしらも行くぞぃ!」
クラーケンに無数の魔法が叩き込まれ、爆音が海を震わせる。その隙を突くように、アンナたちの乗る旗艦が距離を詰めていった。
「天穹を裂く雷霆よ、嵐を司る精霊の力よ……」
リルルの詠唱が走る。
「女神よ——その慈愛を貸し与えたまえ……!」
ユキナの祈りが重なり、柔らかな光が一行を包み込んだ。
「来るぞ!」
アリアが大盾を構え、衝撃に備える。
その背後で、アンナは剣を抜いた。
(……大きい。でも、やれる)
クラーケンの触腕が振り下ろされる――その瞬間。
「――《サンダー・ボルト》!」
雷光が一直線に走り、触腕を貫いた。
弾ける肉片。海が荒れ狂い、轟音が響く。
「効いてる!」
だが、歓声は長く続かなかった。
クラーケンは苦悶の咆哮と共に、
無差別に触腕を振り回し――
隣の護衛船を、叩き割った。
木片と人影が、海へと吸い込まれる。
「……危ない!」
アンナの叫びと同時に、身体が動いていた。
次の瞬間、彼女は海へと飛び込んでいた。
「アンナ!?」
仲間の叫びが重なる中、
トンペティが歯噛みして前へ出る。
「あの阿呆が……!」
その右手に、圧縮された光が渦を巻き始めていた。
そして、海へと飛び込んだアンナは船の残骸と共に沈んでいっていた。
(昨日までと全然違う。
温かさを一つも感じない、これが淀んだマナ)
優しく包み込むのではなく、激しく纏わりつくようなマナにアンナは息苦しさを感じた。
(それでもやらなくちゃ!
私は“勇者”なんだから)
強く剣を握りしめると、必死にマナの流れを読み、クラーケンへの一撃を思い浮かべる。
(見えた!)
アンナが一撃を繰り出そうとする瞬間、クラーケンの触腕がアンナへ迫る。海中でも速さが落ちず、逆にマナを纏わせ一直線に突いてくる。(それでも!)アンナの一撃が一瞬早かった!迫る触腕ごと本体へと光の線が描かれると、ゴパッと音を立てて線上のすべてを断ち割った。肉片が飛び散り落ちてくる中、それを掻き分けながら海面へと上がるアンナ。
(危なかった。
……一瞬触腕が止まったように見えたけれど…)
「大丈夫かアンナ」
とアリアに手を引かれ、船へと引き上げられたアンナ。
見ると、クラーケンの右側が触腕ごと切り裂かれていた。アンナの一撃によるものだろう。しかし、左側は目の位置も分からない程爆散していた。次々と周りの船から声が上がる。
「さすがは老師トンペティ!」
「ヴァルニスの守り神!」
「あの一撃たまんねぇ」
大歓声に包まれ、右手の汚れを拭きながらトンペティが応える。
「クラーケンは沈黙!みなの勝利じゃ!」
(ああ、クラーケンが一瞬止まったのは老師のおかげなのか…)
未だに大歓声が上がる中、
アンナは一人、心からはこの勝利を喜べないのだった。




