第五話 リ・エスティーネ王国はつらいよ③
まるで世界に縛られたかのような聖母マリア。
その姿に誰も動くことが出来なかった。
しかし、ようやくアンナが一人、聖母マリアへと歩き出した。
「マリア様……」
アンナがマリアに掛けられた鎖に触れようとする。
しかし、その手は虚空を掴むのみ。
「この状態のマリアに気付いたのはつい先日でな。
日課である礼拝よりいつまでも戻らぬ彼女を心配した侍女が、
ここへと参ったことで発見したのだ」
「その鎖も国の魔導士たちに解析させたが解けなんだ。
彼らの言うには、これは副産物。
魔王ノクスの術による作用で、こう見えておるだけなのだ」
皆の胸に絶望が広がっていく。
「何か対策は?解決法は無いのですか!」
マリアからレオニス四世へと振り返り、アンナが叫ぶ。
「術者を止める。魔王ノクスを討伐する他、無いようじゃ」
レオニス四世が唇を震わせ、言葉を絞り出した。
「では、魔王ノクスの居場所は!奴は今、どこにいるのです?」
「これほどの術、術者が近くにおらねば理屈に合わん。
そう思い、それこそ国中を調べさせた」
「それでも、分からないと?
世界規模だというこれほどの魔法の震源が分からない!?」
もはや発狂するのではないかという勢いでアンナが叫ぶ。
その言葉に、レオニス四世は沈痛の面持ちで答える。
「世界規模での“スタンビート”、
各地のダンジョンでの異常なマナが渦巻くように集中する場所。
そして人々の絶望が、祈りとなって集まる聖ローマンの大本山。
つまり、奴は。魔王ノクスは――」
レオニス四世はある一点を指差し、睨みつける。
「“英雄召喚”の祭壇、その奥に、奴はいるのじゃ!」
アンナ以下全ての人間が、レオニス四世の指さす先を見る。
“英雄召喚”の祭壇、光る魔法陣の奥に黒く濁ったマナが渦を巻いていた。
「この奥に、魔王ノクスが……」
アンナたち《暁の翼》の面々がその前に立つ。
「王国騎士団の精鋭が、侵入を試みたが、
あまりの負のマナの濃さに誰もが耐えられなんだ」
アンナはごくりと唾を飲みこみ、そっと触れてみた。
渦の中に手が埋もれていく。触れた先から何かが這い寄る感覚。
さらに踏み込み、渦の中へと上半身を預けたが、
「ぐっ」
堪らぬ息苦しさを覚え、渦から身を離す。
「行けないことは無い。だけど……」
《暁の翼》、皆も次々と手を伸ばしたが、
誰一人として、アンナ以上に踏み込める者はいなかった。
場を沈黙が支配する。
「どうする?」ようやくアリアが皆の顔を見回した。
「速攻で魔王を倒しちゃう?」リルルの軽口も勢いがない。
「すぐそこに魔王がいるなら。な」ヤスコは腕を組む。
「急がないと、マリア様が……」ユキナは汗をかいている。
(ここで行かなきゃ!私は“勇者”なんだから……)
無謀は承知。それでもアンナが覚悟を決めた。
しかし、
「待ってください」
そのか細い声に皆が振り返る。
声の主は聖母マリアだった。
アンナたちがマリアに駆け寄る。
「マリア様!」
「大丈夫ですか!気をしっかり」
マリアは祈りの姿勢のまま、弱弱しくも微笑んだ。
「待ってください、アンナ。
あなたの“勇者”としての覚悟、否定するつもりはありません。
ですが、待ってくれませんか」
アンナが膝をつき、マリアと視線を合わせる。
「ですがマリア様、このままでは……」
アンナも手を組み、祈るような姿勢になった。
「私の事はいいのです。
女神はこの世界の歪みを正すため、
“あなたたち”を呼ばれたのですから」
マリアは絞り出すような声を上げた。
「聞こえませんか。“あなたたち”の欠けていたピース。
その最後のピースがやってくる音が」
そして、アンナの耳に聞こえてきた。
こちらへと走りくる、あの男の足音が――。




