第三話 助平はつらいよ③
“武聖楼”に荷物を預けた寅二郎たちは、
露天風呂へと向かう坂道を上っていた。
夕日がそろそろ落ちようかという頃、
丘の上にある露天風呂前にたどり着いた。
「わあ、水平線近くに夕日が落ちて、すごくいいね」
「ああ、水平線が煌めいてとても綺麗だな」
リラやシドだけでなく、皆感嘆の声を上げた。
しかし、
「ちょっと先行っててくれ。
俺とトンペティは少しこの景色を眺めてから行くからよ」
「うむ、せっかくの絶景じゃからな」
などと言い出す寅二郎とトンペティ。
「分かった。シド、行ってみようよ」
とリラとシドの二人は、
先に露天風呂のある施設へと入って行った。
「さて、トンペティ。今度こそ大丈夫なんだろうな」
「まかせい!儂がこんな時のために、
何度ここへ来たと思っとるんじゃ」
トンペティの謎の自信に、寅二郎が微笑む。
「期待してるぜ!師匠」
こうして二人は意気揚々と施設へと入った。
しかし、男性用の更衣室へと入った寅二郎が言った。
「あれ?シドの奴、来てないじゃないか。どういうことだ?」
「何か他の土産物コーナーでも覗いておるのかのぉ」
寅二郎にはそう答えつつも、トンペティに不安がよぎる。
(シドの奴め、まさか……)
そして女性用の更衣室にはリラと、
そしてシドの姿があった。
「もう、シドったらせっかく水着も買ったのに」
パーカーとカーゴパンツを籠へとしまいながらシドが言う。
「しかしトラジロウに見せる訳にもな」
そういったシドは、さらしの上に紺の競泳水着を着ていた。
ぴったりと密着する紺の水着が、体のラインをすっきりと見せていた。
さらしと水着も籠へと仕舞うと、タオルを取って湯船へと歩き出す。
「今だって、誰に見られるかもしれないと思うと心臓が痛いくらいだ」
「大丈夫だって。ここは男女別だって言ってたでしょ」
そして湯桶で体をすすいだ二人は露天風呂の光景に声を上げた。
「とっても綺麗ね。水平線に夕日が沈むよ」
「ああ、湯煙の向こうに見える夕日。とても素敵だな」
そして湯船につかろうとするリラにシドが言った。
「リラ、とても綺麗だな」
玉の様に汗が浮くリラの体は、シドには煌めいて見えた。
「ふふ、ありがと。でもシドだって綺麗だよ」
リラのセリフに、
湯船につかったシドはそっと腕を湯から上げると、
「駄目だよ、私の体は。ほら傷だらけだ」
リ・エスティーネ王国の密偵として、過酷な任務に就いていたシド。体のあちらこちらに傷跡が浮いている。腕の傷跡を撫でながら、
「これは私の勲章だ。恥ずかしいとは思わない。しかしな……」
そう言ったシドの顔からそっと目を移す。
そして湯気に濡れ夕日を浴び、
蒼く輝く黒髪を見て、リラは言った。
「そんなことない。綺麗だよシド」
それきり、しばらくの間二人は沈みゆく夕日を眺めるのだった。
しかし、そんな静寂を破るひそひそ声が漏れ聞こえてきた。
「おい、トンペティ。こっちで合ってるんだろうな」
「静かにせんか。ここで間違いないわい」
寅二郎たちは女性用露天風呂の裏側、
竹で出来た柵の前にやって来ていた。
「おい、この柵、結構高いぞ?よじ登ろうってのか?」
「そこに大きな木箱があるじゃろ。それを動かすのじゃ」
寅二郎がその木箱に取り付こうとしている。
しかしトンペティは一歩下がっていた。
(何やら嫌な予感がするのぉ。ここは逃げの一手か?)
「おお!これだな。トンペティ!」寅二郎は小さくガッツポーズ。
しかし、トンペティに振り返るとトンペティは困惑顔だ。
「おい、そこじゃ見えないぞ。俺から行っていいんだな?」
好きにするがええ、と言うトンペティの気も知らず寅二郎が言った。
「へへ!それじゃぁ俺から先に“もっこり”いただくとしよう」
寅二郎が柵の穴を覗き込む。
しかし湯煙のためか奥がよく見えない。
「何だ、目の前に何かあるのか?」寅二郎が目を凝らす。
すると、
「おろ?誰かの顔に見えるぞ」焦点が合ったのか、見えたのはシドの顔だった。
「シ、シド!?何で?」次の瞬間、穴から熱湯が噴き出した。
「ぎゃぁぁ!」寅二郎は熱湯の勢いに吹き飛ばされた。
すかさず逃げようとするトンペティには詠唱する声が聞こえた。
「敵を打ち落とせ!《ライトニング・アロー》!」
ずぶ濡れの二人に雷の矢が落ちる。
「ほぎゃぁぁ!」
二人はお互いの骨が透けて見えるほど、雷に打ち据えられた。
「シドに護衛依頼を出していて正解だったね」
タオル一枚で倒れている寅二郎とトンペティ。
リラとシドはいつもの装備で二人の傍に立っていた。
「あれだけ騒いでいてはバレバレだぞ。馬鹿ども」シドは呆れ顔で言った。
「爺ぃ、お前逃げようとしてただろ」
「馬鹿もん、不穏も感じ取れんくせによく言うわ」
“武聖楼”への帰り道、“もっこり同盟”は不協和音が響き渡っていたのだった。
閑話:“助平爺ぃ”も、つらいのじゃよ
その夜、“武聖楼”の道場では寅二郎たちの送別会。
という名の宴会が開かれていた。
「ぎゃはは!トラジロウ、いける口だな」
「おい、こっちにも来いよ。話聞かせてくれ」
門下生たちとどんちゃん騒ぎ。リラも楽しそうに笑っている。
そんな中、シドは「酔い覚ましに風に当たってくる」といって浜辺に来ていた。
静かに聞こえる波の音、月明かりの下立っていたシドに声がかかった。
「こんな所に一人で、どうした?」声はトンペティだった。
「少し、考え事をしていただけです」
「ふむ、シドよ。いいのか“そのまま”で」
「“そのまま”とは?」
「それは自分の胸に聞いてみるのじゃな。自分の“胸”に」
トンペティは微笑みながら言った。
シドは胸がどきりと鳴った。ばれているのか、と口を噤む。
しかし、次にトンペティの口から出たのは違う言葉だった。
「実はな、国主のマルセロからは『もう一人の“勇者”、その資質を見極めて欲しい』と、そう言われておったのじゃ。そしてわしは奴を、トラジロウを……」
トンペティが月を見上げ、つられシドも月を見上げる。
「それで、シド、お前はそれでいいのか?」
シドが言いあぐねていると、続けて言った。
「昼の報酬な、“答え”が欲しいか?」
「!?」シドの体が硬直する。
漣が、沈黙する二人の間に横たわる。
(私の思いは、トラジロウに対する私の……)
シドはそっと目を閉じ言った。
「いえ、“答え”はもう少し自分で考えます。私自身で出すべきだと思うので」
シドの姿は見ずに、月を見上げたままでトンペティは言った。
「あいつは“自由”。それこそが奴の資質、儂はそう見た」
シドも微笑みを浮かべた。「そう、ですよね」
(国王レオニス四世もそう言った。トラジロウは自由が似合うと)
シドは震えそうになる体を、自分で抱きしめると、
「俺、いや私も同じ考えなんです。トラジロウには自由が似合う。
だからあいつには自由でいて欲しい。それは間違いない私の思いです」
まっすぐ見返すシドの眼を見て、トンペティが微笑んだ。
「ほっほ。どうやらとんだおせっかいだったようじゃな。
助平爺はこれだから。――夜風は体を冷やす、ほどほどで戻るんじゃぞ」
シドには目を向けず、トンペティは帰って行った。
しばらくシドはそのまま月を眺め続けるのだった。




