第六話 解放はつらいよ③
ファルディーンに会うため世界樹の下へと降り立った寅二郎一行。
そこはとても静かな場所だった。時折風に揺れる草の音と、自らの足が踏みしめる音しか聞こえない。その雰囲気に誰も口に出すことさえ忘れてただ歩いていた。
しかし、
「あちらがファルディーン卿です」
案内してくれたエルフ兵はそう言い手を向けると、
「それでは」と言い残し帰って行った。
「あの人が」リラはその不思議な感覚に声を漏らし、
「圧とも違うこの雰囲気は……」シドもその感覚に戸惑っていた。
深緑のとんがり帽子と法衣に身を包み、世界樹の下で胡坐をかいて座っている。横に伸びた耳。白く長い顎髭や髪はその胡坐にまで伸び広がっている。鋭いその視線は、三人がその前に立つまでずっと寅二郎の手を見続けている。
「あんたがファルディーン卿だね?
俺は寅二郎。実はお願いがあって……」
「おい、失礼だぞ」寅二郎の物言いに慌てるシドとリラ、
それらを無視するようにファルディーンは言った。
「その手は、……解放を望むのかね?」
いきなりのファルディーンの問いに寅二郎が口を閉じた。
「今のままでも“勇者”として力を振るえる。
……それでも、解放を望むのかね」
寅二郎は開閉させた自分の手を見ながら考え込んでいた。
「俺は……」
そう言ったきり黙り込む。誰も何も言わず、ただ風の流れる音が聞こえる。
そして、
「分からねぇ」と寅二郎がポツリと言った。
「分からぬ、と?」ファルディーンの瞳が寅二郎の瞳を見据える。
「“勇者の在り方”?そういうのはまだ分からねぇ。だけど――」
寅二郎がファルディーンの瞳をまっすぐ見返す。
「だけど、俺は目に映る奴らを“守りたい”。
そのためには、この手が、必要なんだ」
拳を強く握りしめ、血の滴るままにファルディーンに向けた。
そしてまた睨みあう二人。
風が草花を揺らす音がしばらく鳴り、
「では、世界樹に触れてみよ」ファルディーンが言った。
寅二郎は言われるままに世界樹へと近づき、その幹に触れた。
そっと目を閉じる。
何かが流れている。自分だけでなく周りの全てが。
上か下かもわからない感覚に陥る。
それでも流れの中にいることが感じられた。
しかし、
その流れが避けている。
いや停まっている部分がある。
それは両手だった。
初めてこちらの世界でスライムと対峙したとき。数々の魔物や魔族と戦った瞬間。魔弾銃を放ち光の柱が貫いたこと、ベルゼと斬りあったあの時。それらが頭を駆け巡った。
それだけでは無かった。マリアやアンナ、シドにリラ。こちらの世界で知り合った人々。それらの顔が浮かび、最後には前世のあの瞬間、走ってくるトラックから突き飛ばした女性の顔が浮かび――(俺は!)
「トラジロウ!」シドの声で目を開いた寅二郎。
見ると、寅二郎のその両手は傷だらけのままだ。
しかし、分かった。空間魔法、《キープ》が解けていることが。
「保存されたものが解けても、保存された“事実”までは消えん」
ファルディーンは静かに言った。
しかし、その顔は少し、目元だけだが笑って見えた。
シドはその手を見て、息を呑んだ。
治っていない――そう理解した瞬間、胸の奥が冷えた。
(代償、か……)
解放された。それだけで十分だと、頭では分かっている。
それでも、その傷が“戻らないもの”であることを悟ってしまった。
そして、リラは一歩、寅二郎に近づきかけて、止まった。
触れてはいけないものを見ている気がした。
治った、と言えなかった。
代わりに、唇を強く噛みしめる。
そんな二人の姿を見つめ、寅二郎を見つめ直してファルディーンが言った。
「その痕が疼く時、君は“守る理由”を選ばねばならんだろう」
そして、皆、自然と世界樹を見上げていたのだった。




