~第331夜~「お金のない世界(その4)」
お金に頼らなくなって、人々は初めて知りました。
「我々は、今までなんと無駄な仕事に従事してきたことだろうか!ほとんどの仕事は、実際には必要なかったのだ!お金を稼ぐために無理矢理に仕事を作っていただけだったのだ!」と。
そもそも世の中に流通していたお金のほとんどは、架空のお金に過ぎませんでした。たとえば、株や為替や債券といった金融商品の取引です。本来ならば必要もない取り引きを「もっとお金を儲けてやろう!」と目論んだ人たちによって、何度も何度も売り買いされていただけだったのです。
服や電化製品を売ったり、家賃を払ったり、電気代や交通費に支払う金額など、現実に使うお金などたかがしれています。金融取引に利用される額の数十分の1とか数百分の1に過ぎませんでした。
お金の価値が限りなくゼロに近づいていくと、株の価値も暴落し、株や為替のトレードなどバカバカしくて誰もやらなくなってしまいました。
そうして、ついに株式市場そのものが消滅してしまいます。証券業界も、銀行業も、不動産業者も、保険屋も、お金の関する職業は全部消えてしまいました。
人々は、余った時間をもっと有意義なコトに使い始めます。
たとえば、歴史の研究とか。あるいは、哲学だったり、芸術だったり、文学だったり。
「自分たちは、どこからやって来てどこへ行こうとしているのか?」
「人が生まれてきた意味とは?」
「未来世界はどうなっているのだろうか?」
「自分はなぜ存在しているのか?この世に存在する理由があるのではないか?」
「死ぬことは悪ではないのか?」
「魂とは何か?」
「神は何のために人間を作られたのか?そもそも神などという存在がほんとうにいるのだろうか?」
疑問は尽きません。
労働時間が激減し余った時間を、思索や討論に使うようになった人間たち。まるで、かつての古代ギリシャ時代のように。
それらの行為は、人類の文明をさらに何段階か押し上げました。おりしも時は大AI時代。人間の尽きぬ疑問に、AIは次から次へと回答を示します。その全てが正解だったわけではありませんが、コンピューターが提示するアイデアの中から、人間は「これぞ!」という答えを見つけ出していきました。
それでもまだ、人々の生活に必要な物はありました。たとえば、自転車。もちろん、この時代も自動車は存在しています。そのほとんどは自動運転になっています。けれども、何百kgもある重い鉄の塊を動かすには、莫大なエネルギーを必要とします。
「たかが人を1人か2人乗せるためだけに、無理をしてあんなに重い乗り物に乗る必要はないよね」と気づいてしまったのです。
そこで、ほとんどの人たちは自家用車など持たず、徒歩か自転車で移動するようになりました。
自動車に乗るのは、重い荷物を運ばないといけない時とか、大雨の日くらいのもの。あるいは、自由に身体が動かせなくなってしまったお年寄りくらいでしょうか?多くの人たちは、自分の足を使って移動しています。
「この方が健康にもいいし、環境にもやさしいし、一石二鳥じゃないか!」というわけです。
それを言えば、健康にも気を使っています。
余暇の時間が増えたことで、心にもゆとりができました。人々は、食べる物を厳選するようになり、野菜中心の食生活へと変化しました。運動の時間を増やし、年を取っても足腰が丈夫な人が大勢います。
加工品ばかりとらず、近所の畑でとれたイモをふかして食べたり、庭に成った柿を干し柿にして食べたりもしています。
この現象は、ある意味で時代を逆行していました。文明は進化したのに、部分的に生活は昔に戻ってしまったのです。
一方で最先端の技術が取り入れられている分野もあります。
再生医療や遺伝子治療が進み、昔よりもケガや病気で死ぬ確立は格段に低くなりました。「培養肉」の開発が進み、肉や魚が工場で作られるようにもなっています。
たとえば、ヒレやロースやタンやホルモンといった食材が、牛や豚を産まなくても、直接工場内で生産されていきます。魚もいきなり切り身で作られ、殻のついていないカニを量産することも可能!
これにより、宗教観も変わっていきます。これまで「動物を殺して食べるのはかわいそうだから」と、食べることを避けていた人々が、工場で作られる擬似的な肉や魚を口にするようになりました(もっとも、相変わらず意地を張って全く食べない人たちも一部には存在し続けていますが…)
こうして、お金の価値はますます下がっていき、最終的にはゼロに達し、世界からお金という概念は消滅します。
もちろん、世界間でその進行スピードに格差はありましたし、完全にお金が消滅するには長い長い時間を要しました。
それでも、「世界からお金をなくそう!」と声を上げたチャルラタンが生きている間に、大まかなレベルにまでは達することができました。
…と、これは未来のお話。ちょっとばかし先の時代まで語り過ぎたかも知れませんね。
それでは、時の針を戻すことにいたしましょう。
この続きは、また明日の夜に。




