第6話 人として好き……とは
「ねぇ、じゃあさ」
「なんだ?」
「過去ってどうやって乗り越えたらいいと思う?」
「別に無理に乗り越えないで、踏みつけていけばいいんじゃないか?」
「ふ、踏みつけるって……?」
「過去の記憶を引きずって、次に出会う人間に疑心暗鬼になるのは失礼だろ?」
「……うん」
香織は笑顔を見せつつも、唇と唇を押し合って、悲痛な様子を見せる。
『この切ない感じ、やっぱり既視感があるんだよな……』
「もう、今は昔と違うんだ。北村にも人を見極める力はあるはずだ」
「……そうかもしれないけど、やっぱり私は自分を信用できないわ」
『どいつもこいつも、なんでこんなに自己肯定が苦手なんだよ……』
「良いやつかどうか分からなかったら、すぐに諦めて次の恋に励めば良い」
「たしかに……それはそうね」
「過去は過去、今は今で、未来は未来だ。忘れろとは言わないけど、もう次のステップに進む時期だと思う。違うか?」
香織は僕と視線を合わせて、取ってつけたような笑顔を見せる。まだ胸の内の悲痛は取り切れていないようだった。
「やっぱり、流石は伊賀先生ね」
「いつから僕は北村の主治医になったんだよ……」
香織は氷で上側が透明になったカフェラテを飲む。僕もまたコーヒーを二口、口に含み、一息つく。
「それで、こっちからも質問があるんだけど……いいか?」
そして、ある意味僕にとっての本題に入ることにした。
「なんでもいいわよ」
「お前、兄弟いるか?」
「え、兄弟? 妹がいるけど……それがどうかしたの?」
『……唐突に名前を出すのは気色悪いな』
「い、いや。単に僕は一人っ子だから、兄弟の距離感ってものを知りたいんだ」
香織は人差し指を頬の下にあてて、「うーん」と言いながら考える時間を作る。
「私と妹は比較的良好だと思うわ。妹が受験生っていうのもあるけれど」
『うん、これ、もう美紀さんで確定だな』
僕は本の少し顔を綻ばせる。
「女同士、すごいディープな話とかするの。友達にもできないようなね」
「ディ、ディープって……言い方」
「心の置けない友人みたいで、私は妹がいてくれてよかったと思うわ」
「喧嘩はしないのか?」
「もちろん喧嘩もするけど、自分の方が過失が大きかったら折れるようにしているわ」
「なんか……理想の姉妹像すぎて、逆に参考にならないや」
「つまらない姉妹で悪かったわね」
「そんなこと言っていないだろ……」
すると、香織は突然、笑顔を枯らして困り果てたような顔をする。
「でも……ひとつ悩んでいることがあるの」
『まさか……勉強とか言うんじゃないだろうな』
「受験勉強が全然はかどっていないみたいなのよ……」
『やっぱりな……』
「受験勉強なんて根気でどうにかしないと。未来のため投資なんだから」
「その言葉、そっくりそのまま言ってあげてほしいわ」
『大丈夫だ。たぶんそのうち本当に言うことになるから』
香織は身体を机に乗り上げて、屈託のない笑みをする。
「じゃあさ、今度家に来て、妹に家庭教師してよ」
「ん……ん?」
「勉強というより、受験に必要な根気を教えてあげてほしいの」
「う、うん……うん?」
「な、なに。私、なにかおかしなこと言った?」
「自覚がないなら、最寄りの精神科に行くことを勧めるけど」
「な、なんでよ!? カテキョよ?」
僕は明らかな溜息をついて、香織にそれを見せつける。
「常識的に考えてみろ……。僕はどこの馬の骨かも分からない男だ。それを女子の花園に連れ込むもんじゃないだろ……」
「その骨の原産地は知れているし、第一、伊賀ってスマホでも下ネタ吐かないんだから、家でも何もしないでしょ?」
「もしかしたら、僕がムッツリスケベかもしれないだろ」
「え、そうなの?」
僕は自分の失言に目を四方八方にキョロキョロさせる。
「……少なくともムッツリではない」
「とにかく、何かあったら始末するだけだから大丈夫よ。私も傍にいるし」
「サラッと脅迫するな……」
『まぁ、既に確約しているようなもんだしいいか……』
「分かったよ。ちょうどテストも終わったからな」
「ありがとう。流石はできる男ね」
「褒めても出るのは啓蒙ぐらいだぞ」
そう話している間に時刻は午後3時半を回り、店を出た僕らは最寄りの学園前駅まで歩みを進めていた。
「……私、伊賀のこと、人としてかなり好きだから」
「……へ?」
僕は突拍子もない言葉に、思わず彼女の方を一瞥する。
「それって、告白となにが違うんだ……?」
「いい、伊賀くん」
「は、はい」
「女は振られても、安易に他の男に目移りしない生き物だから」
「主語が大きすぎると思うけど……とりあえず、人として認めてもらったって認識しておく」
「まずまず、私が告白したところで、どうせあなたは断るんでしょ?」
香織は吐息交じりでそう呟く。
「まぁな。僕は高校時代に恋愛をするつもりはないし」
「何回も聞いたわ」
無言の時間が五秒ほど流れると、香織はこう告げてきた。
「だけど……すごく信頼はしているから」
「そうか。よかった」
不意に僕は陽人の顔を脳裏に浮かべる。
『……まぁ、流石に交際関係に至ったら困るしな』




