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書類は嘘をつかない  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
焼印

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第1話 見積書

 花森がカフェラテを持って来た。


 午前十時。事務所のドアが開いた。花森のどか。グレーのコート。マフラー。カフェラテの紙カップ。二月の冷たい空気と一緒に入ってきた。後れ毛が風で乱れていた。いつもの後れ毛だった。


「角田先生、おはようございます」


「おはようございます」


 花森がコートを脱いだ。いつもの椅子に座った。カフェラテを机の角に置いた。角田の前にもう一つ紙カップを置いた。カフェラテ。角田のぶん。


「ありがとうございます」


 角田は紙カップを受け取った。温かかった。


 花森がバッグからクリアファイルを出した。中に紙が数枚入っていた。花森がクリアファイルを使うようになったのは最近だった。前はバッグの中で紙が折れていた。


「お仕事の相談があるんです」


 角田は赤ペンの蓋を開けた。手帳を出した。


 花森が話し始めた。以前、花森が配偶者ビザの手続きをした依頼人がいる。日本人の女性。名前は高橋美咲。フランスで料理の勉強をしていた時にリュカという男性と知り合った。リュカはフランス人のパティシエ。二人はフランスで結婚した。去年の秋に日本に来た。配偶者ビザは花森が通した。


「リュカさんが日本でケーキ屋を開きたいって。前から準備してたんですけど、物件が思ったより早く見つかって、もう内装工事が始まってるんです」


「物件はどこですか」


 花森がクリアファイルから紙を出した。不動産屋の物件概要書のコピー。角田が受け取った。墨田区内。駅から五分。一階。路面店。十五坪。


 角田は手帳に書いた。「飲食店営業許可。菓子製造及び販売」。住所を書いた。面積を書いた。


「何を売るんですか」


「ケーキです。フランス菓子。アントルメとかタルトとか。リュカさん、パリの製菓学校を出てて、フランスでも何年か修業してるんです。本格派です」


「店舗で製造して販売する形ですか」


「はい。小さいお店です。リュカさんと美咲さんの二人で回すって」


「客席はありますか」


「ないです。テイクアウト専門」


 角田は書いた。「テイクアウト専門。客席なし。従業員二名」。


「内装工事の完了予定日は」


「三月の頭を目指してるって聞きました」


「業者の名前は」


 花森がクリアファイルからもう一枚出した。内装業者の見積書のコピー。角田が受け取った。業者名。住所。工事内容。金額。角田は業者名を手帳に書いた。


「図面はありますか」


「あります。美咲さんに送ってもらえます」


「お願いします。営業許可は保健所への申請です。申請の前に図面を確認する必要があります。保健所の施設基準と照合して、問題がないか見ます。シンクの数、手洗い設備、排水、換気、床の防水。基準を満たしていないと検査で引っかかります」


 花森がメモを取っていた。角田の話を聞きながら、自分の手帳に書いていた。花森の手帳はピンクだった。ペンは黒いボールペン。赤ペンではなかった。


「事前に保健所に相談して、図面の段階で問題を潰します。申請後に施設検査があります。検査に合格すれば許可が下ります。申請から交付まで二週間から三週間です」


「間に合いますか。三月中に開店したいって」


「二月中に図面を確認して、三月の頭に申請すれば間に合います」


 花森がほっとした顔をした。カフェラテを一口飲んだ。


「あと、食品衛生責任者の資格が要ります。リュカさんは持っていますか」


「分からないです。聞いてみます」


「持っていなければ講習を受けてもらいます。一日で取れます。申請までに取ってもらう必要があります」


 角田は手帳に書いた。「食品衛生責任者。要確認」。赤ペンの蓋を閉めた。開けた。もう一行書いた。「開店希望:三月中」。蓋を閉めた。


 花森が角田を見ていた。


「あの、角田先生」


「はい」


「ちゃんとお支払いしますから」


 角田は花森を見た。花森は真っ直ぐ角田を見ていた。目が真剣だった。カフェラテの湯気が花森の顔の横を通っていた。


「前回は……ミンさんの時は、見積書もなしにお仕事お願いしちゃって」


「あの件は」


「分かってます。でも今回はちゃんとしたいんです。正式に。お願いします」


 角田は引き出しを開けた。見積書のテンプレートを出した。パソコンを開いた。


 宛名を打った。花森のどか様。件名。飲食店営業許可申請手続き一式。


 内訳を打った。申請書類作成。保健所への事前相談及び申請代行。施設検査立ち会い。合計金額を入力した。印刷ボタンを押した。プリンターが動いた。


 見積書が出てきた。角田は見積書を取って、花森に渡した。


 花森が見積書を見た。金額を見た。


「安くないですか」


「通常の金額です」


 花森が角田を見た。角田は手帳を見ていた。花森は何か言いかけた。言わなかった。


「これでお願いします」


「はい」


 花森が見積書を折った。丁寧に折った。クリアファイルに入れた。バッグにしまった。


 前回は見積書がなかった。花森がミンを連れてきた時、角田は見積書を出さなかった。金額の話をしなかった。角田は請求しないまま仕事を終わらせた。花森が後から自分で相場を調べて、封筒に入れて持ってきた。正式な依頼の形ではなかった。


 今回は見積書がある。花森が最初に「お支払いします」と言った。角田が金額を出した。花森がクリアファイルにしまった。正式な依頼。仕事として成立している。


 角田はカフェラテを一口飲んだ。甘かった。



        *



「図面が届いたら連絡ください。それから食品衛生責任者の件も」


「はい。今日中に美咲さんに聞きます」


 花森がコートを着た。マフラーを巻いた。ドアの前で振り返った。


「角田先生」


「はい」


「ありがとうございます」


「仕事ですから」


 花森が笑った。小さく。ドアが閉まった。階段を降りる足音が聞こえた。


 角田は手帳を見た。赤ペンのメモ。新しい案件のメモが半ページ。花森が出した物件概要書と内装業者の見積書が机の上にある。クリアファイル入り。


 机の上にカフェラテの紙カップが二つ。一つは花森のもの。飲み終わっている。もう一つは角田のもの。半分残っている。角田はカフェラテを飲み切った。甘かった。紙カップを二つともゴミ箱に入れた。



        *



 昼。角田は長谷川に行った。


 かけ。三百八十円。カウンター。いつもの席。


 丼が来た。湯気。鰹出汁の匂い。さっきまでカフェラテの甘い匂いが事務所にあった。長谷川は鰹と醤油だった。


 一口食べた。いつもの蕎麦。いつもの温度。いつもの量。


 汁を飲んだ。全部飲んだ。丼の底が見えた。甘くない底だった。


 三百八十円を出した。


「ごちそうさまでした」


 店を出た。二月の風が冷たかった。事務所に戻った。


 パソコンを開いた。墨田区保健所のウェブサイト。飲食店営業許可申請。施設基準。必要書類。手数料。


 手帳を横に置いた。赤ペンの蓋を開けた。画面を読みながら手帳にメモを取った。


 シンクは二槽以上。手洗い設備は調理場内に専用のものが必要。自動水栓が望ましい。床は耐水性。排水溝にはグレーチング。冷蔵庫に温度計。換気設備。


 角田は一項目ずつ書いた。赤い字が手帳に並んでいった。図面が届いたら、この項目と照合する。一つずつ。全部。


 スチール棚のファイルが見えた。ミンのファイル。「グエン・ヴァン・ミン 在留資格変更」。花森からの最初の仕事。


 今度は二つ目。ケーキ屋の営業許可。花森からの仕事が増えていく。見積書がある。正式な仕事。


 赤ペンの蓋を閉めた。インクの残りを確認した。まだ書ける。


 仕事が始まった。

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