第7話 丸投げ
四日目。午前。ホテルの部屋。
角田はパソコンを開いていた。黒田は隣のベッドで競馬新聞を読んでいた。今日は園田に行かない。「昨日で十分だ」と言った。
角田は昨日の現場看板の三社目を調べていた。会社名で検索した。ホームページがなかった。法人番号検索で調べた。出てきた。設立は三年前。資本金は百万円。所在地は大阪市内のマンションの一室。役員は一名。
角田は手帳に役員の名前を書いた。赤ペンで。聞いたことのない名前だった。
手帳を見返した。初日からのメモを順番に読んだ。
物件の要件不備。岸本の段取り。さく井の許可なし。計画書なし。掘削許可なし。経審の数字。技術者が少ない。大阪にもさく井業者がいる。三社目の許可番号が存在しない。
一つずつ見れば不備や疑い。並べると構造が見える。
浪速建設は自分で工事をやっていない。元請として受注して、下請けに流す。技術者が少ないのは自社で施工しないから。許可番号が存在しない業者を下請けに使うのは、まともな業者が入りたがらないから。丸山建設を東京から呼ぶのは、関西の業者に断られているからかもしれない。
角田は赤ペンで手帳に書いた。「浪速建設——丸投げの構造。元請としての実質的関与に疑義」。
*
「黒田さん」
「おう」
「建設業法で一括下請負が禁止されています」
黒田が競馬新聞から目を上げた。
「丸投げか」
「はい。元請が工事を自分でやらずに下請けに全部流すことです。中間で金だけ抜く。下請けの利益が圧迫されて、手抜き工事になります」
「岸本がそれをやってるのか」
「まだ断定はできません。ただ、技術者が少ない。下請けに許可番号が存在しない業者がいる。大阪にさく井業者がいるのに東京から呼ぶ。並べると構造が見えます」
黒田が角田を見た。角田はパソコンの画面を見ていた。
「丸山に言うのか」
「はい。報告書はほぼできています。結論は東京に戻ってから書きますが、所見は今日伝えます」
黒田が競馬新聞を閉じた。ベッドの上に置いた。
「角田」
「はい」
「お前、丸山が好きだな」
角田はパソコンの画面を見たまま止まった。
「好きとか嫌いの問題ではありません」
「そうか」
「依頼人です」
「そうだな」
黒田はそれ以上言わなかった。缶コーヒー微糖の蓋を回した。今日は全部飲んだ。
*
角田が丸山社長に電話した。
「丸山社長。角田です」
「先生。何か分かりましたか」
丸山社長の声は前回より小さかった。前回の電話で数字を伝えて以来、丸山社長の中で何かが変わっている。
「浪速建設の下請け現場を確認しました。施工体制に問題がある可能性が高いです。下請け業者の許可にも疑義があります。詳細は報告書にまとめます」
「はい」
「現時点での所見として一つお伝えします」
「はい」
「浪速建設との取引は、現時点では推奨できません」
沈黙。三秒。五秒。角田は待った。
「……先生」
「はい」
「岸本さんに、どう言えばいいですか」
「何も言わなくて大丈夫です。報告書を送ります。それを読んでから考えてください」
「先生」
「はい」
「先生が見に来てくれてよかったです」
丸山社長の声が震えていた。角田は「報告書を送ります」とだけ言って電話を切った。
スマートフォンを置いた。手帳を見た。赤ペンの蓋が開いていた。閉めた。
黒田がベッドの端に座っていた。角田の電話を聞いていた。寝たふりはしなかった。
「丸山ってのは、いい奴なんだな」
「はい。だから止めます」
角田の声は変わらなかった。パソコンに向き直った。報告書の本文を読み返した。結論の欄は空白だった。東京で書く。
*
午後。角田と黒田が外に出た。報告書は結論以外できた。明日、東京に帰る。
通りを歩いていた。たこ焼き屋が目に入った。屋台。丸い鉄板。おばちゃんが焼いている。焼ける匂いがした。
黒田が止まった。
「買うか」
「はい」
黒田が八個入りを二つ買った。パック。爪楊枝がついている。角田にも一つ渡した。角田は受け取った。
「歩きながら食うか」
角田は立ち止まった。歩道の端に寄った。鞄を足元に置いた。パックを開けた。
黒田は歩きながら食べ始めた。角田は動かなかった。
たこ焼きが熱かった。角田は爪楊枝で一つ刺した。口に入れた。舌をやけどしそうになった。ふうふう言った。
「はふはふ言え」
「はふはふ」
「……素直だな」
ソースだけだった。マヨネーズはかけなかった。たこ焼きの中は柔らかかった。外がカリッとしている。中がとろっとしている。たこが入っている。当たり前だが、たこ焼きにはたこが入っている。角田はそれを確認するように噛んだ。
八個。全部食べた。最後の一つまで食べた。
「大阪の飯、全部食べてるな」
「出されたものは食べます」
「出したのは俺だけどな」
角田はパックを閉じた。ゴミ箱を探した。見つからなかった。パックを鞄に入れた。黒田が笑った。
「お前、ゴミも持って帰るのか」
「ゴミ箱がありません」
「大阪はそういうとこだ」
角田は鞄を持った。蛸壺とたこ焼きのパックが入っている。たこの章だった。
*
ホテルに戻った。角田がパソコンを開いた。報告書を読み直した。結論の欄は空白のまま。東京で書く。
手帳を見た。赤ペンのインクが減っていた。キャップを外して先を見た。まだ書ける。だが大阪に来てからどれだけ書いたか。手帳の二ページ分のメモ。赤い文字がびっしり並んでいた。
鞄の中を整理した。蛸壺が出てきた。新幹線の中で黒田に言われて持ち帰った蛸壺。四日間、鞄の底にあった。角田は蛸壺をベッドの上に置いた。
黒田が蛸壺を見た。
「まだ持ってたのか」
「持ってました」
「何に使うか決めたか」
角田は蛸壺を見た。口が広い。底が深い。赤ペンが一本、ちょうど入る。
「……まだ決めてません」
角田は蛸壺を鞄に戻した。明日、東京に持って帰る。




