第4話 串カツ
新世界。
黒田が地図を見ずに歩いていた。角田がついていった。浪速建設のビルを出てから十五分。地下鉄に一駅乗って、あとは歩いた。
通天閣が見えた。角田は見なかった。黒田の背中を見ていた。
派手だった。看板が多い。ネオンが点き始めている。フグの提灯がぶら下がっている。ビリケンの像が店の前に立っている。人が多い。声が大きい。東成区より騒がしい。角田は鞄の紐を握り直した。
黒田が一軒の店に入った。迷わなかった。カウンターだけの店。八席。油の匂い。換気扇の音。壁に短冊メニューが貼ってある。黒田が奥から二番目に座った。角田が隣に座った。
「生。おまかせで」
黒田が店員に言った。角田はメニューを見ていた。短冊の文字が手書きだった。値段は一本百二十円から百八十円。角田は値段を確認してからメニューを置いた。
「同じで。ウーロン茶をお願いします」
*
目の前にソースの容器があった。ステンレス。長い。浅い。共用。隣の客との間に一つ。角田はソースの容器を見ていた。
「二度漬け禁止だ」
黒田が言った。
「一回しかソースに漬けちゃいけない。ルールだ」
角田がソースの容器をもう一度見た。共用。衛生上、同じ串を二度浸けるのは問題がある。一度で必要な量のソースをつける。二度目はない。
「合理的です」
「お前は何でもそう言うな」
「合理的なものは合理的です」
黒田がビールを飲んだ。角田はウーロン茶を飲んだ。
*
串が来た。
一本目。豚。衣が薄い。揚げたて。角田はソースに一度漬けた。食べた。熱い。衣がサクッと鳴った。中の豚が柔らかい。ソースが甘い。大阪の味だった。
二本目。海老。角田は同じようにソースに一度漬けた。食べた。海老の尾まで食べた。
三本目。茄子。油を吸っている。ソースと合う。
黒田はもう五本目を食べていた。ビールが半分なくなっていた。角田は三本目。
四本目が来た。れんこん。
角田はソースに一度漬けた。食べた。
止まった。
れんこんの輪切り。衣がサクッと割れて、中がほくほくしている。れんこんの穴に油が入っている。ソースの甘さとれんこんの歯触りが合っていた。
「おいしい」
黒田が角田を見た。角田は二口目を噛んでいた。
「れんこん、もう一本お願いします」
角田がカウンター越しに店員に言った。黒田が角田を見ていた。
「お前、大阪の飯好きか」
「れんこんがおいしいです」
「れんこん限定かよ」
れんこんが来た。角田はソースに一度漬けた。食べた。同じ味だった。同じようにおいしかった。
角田は串を皿に置いた。串が六本並んだ。等間隔。角田は串の間隔を揃えていた。
「お前、串まで整列させてんのか」
角田は串を見た。等間隔だった。意識していなかった。
*
黒田が二杯目のビールを頼んだ。角田はウーロン茶のおかわりを頼んだ。
串が続いた。アスパラ。うずら。紅しょうが。角田は一本ずつ食べた。ソースに一度漬けて、食べて、串を皿に置いた。
黒田が紅しょうがを食べながら言った。
「岸本の会社、どうだった」
「事務所は立派でした。受付がいて、応接室に花が活けてありました」
「花じゃなくて、中身の話だ」
角田はウーロン茶を一口飲んだ。
「計画書がありません。温泉開発と言いながら、掘削許可を申請していません。業者を先に押さえると言っています。順序が逆です」
「それはさっき聞いた」
「経審を明日確認します。公開情報なので、ホテルで見られます」
「経審ってのは」
「経営事項審査です。公共工事の入札に必要な審査で、結果が公開されます。完成工事高、技術者数、経営状況が分かります」
「それで何が分かる」
「浪速建設が看板通りの会社かどうか」
黒田が串を止めた。角田を見た。
「看板通りじゃない可能性があるのか」
「まだ分かりません。明日、数字を見ます」
黒田がビールを飲んだ。グラスを置いた。
「岸本」
黒田の声が変わった。低くなった。カウンターの油の音に紛れるような声だった。
「……聞いたことがある名前だ」
角田は黒田を見た。黒田はグラスの泡を見ていた。
「知っている人ですか」
「いや。名前を聞いたことがある気がしただけだ。気のせいかもしれん」
黒田はそれ以上言わなかった。串を食べた。角田も聞かなかった。串を食べた。
油の音。換気扇。隣の客が笑っている。角田は串を皿に置いた。等間隔。
*
串を全部食べた。二人で二十四本。角田が十一本。黒田が十三本。
角田はカウンターの上の伝票を見た。一本ずつの値段が書いてある。暗算した。
黒田が財布を出した。
「俺が出す」
「出張の経費です。自分の分は自分で払います」
「堅いな」
黒田が笑った。角田は笑わなかった。岸本が同じ言葉を言った。「堅いなぁ」。黒田の「堅いな」と岸本の「堅いなぁ」は同じ言葉だった。だが同じではなかった。
岸本の「堅いなぁ」には隙間があった。角田を動かそうとする力が入っていた。黒田の「堅いな」にはそれがなかった。ただの感想だった。
角田は千三百二十円を払った。黒田は千五百円を払った。ビール三杯分。
*
店を出た。新世界の夜。ネオン。通天閣が光っていた。
角田は通天閣を見た。三秒。富士山より長かった。
「明日はどうする」
「ホテルで書類を確認します。浪速建設の経審を調べます」
「俺は午前中、出かける」
「園田ですか」
黒田が止まった。角田を見た。
「なんで分かる」
「新幹線で競馬新聞を読んでいました」
「……お前、書類しか見てないと思ったら」
「書類も見ていました」
黒田が歩き出した。笑っていた。角田もついていった。大阪の夜。人が多い。騒がしい。角田は鞄の紐を握っていた。鞄の中で蛸壺が重かった。
ホテルに戻った。エレベーター。角田がポケットから手帳を出した。赤ペンの蓋を開けた。
串カツ屋では出さなかった。黒田との飯は仕事ではない。
一行書いた。
「岸本——黒田が反応」。
蓋を閉めた。エレベーターが五階に着いた。




