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書類は嘘をつかない  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
大丈夫じゃない

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第4話 申請理由書

 月曜日。十時。花森がミンを連れてきた。


 ミンが紙袋を持っていた。中身を出した。卒業制作のレポート。A4の冊子。二十ページ。表紙に「在庫管理システムの設計と実装」と書いてあった。日本語。専門学校のロゴが入っていた。


 角田が受け取った。最初のページを開いた。目次。システム概要。要件定義。データベース設計。ER図。画面遷移図。実装。テスト。考察。


 二ページ目。要件定義。ミンが書いた日本語は正確だった。技術用語が適切に使われていた。角田は赤ペンを持っていたが、赤を入れる箇所がなかった。


「これは使えます」


 ミンの顔が明るくなった。花森が「よかったね、ミンくん」と言ってミンの背中を軽く叩いた。ミンが照れた。


 成績証明書を確認した。情報技術概論、A。プログラミング基礎、A。データベース論、A。ネットワーク基礎、A。ウェブアプリケーション開発、A。ソフトウェア工学、B。


 花森が覗き込んだ。「ミンくん成績いいじゃん」。ミンが「ソフトウェア工学だけBです」と小さく言った。角田はソフトウェア工学のBには何も言わなかった。申請に影響しない。


「今日から申請理由書を書きます。数日かかります。書けたら花森先生に送ります」


「はい」と花森が言った。


「お願いします」とミンが言った。


 ミンが帰った。お辞儀が深かった。階段を下りる足音が遠くなった。


 花森が残った。



        *



「見ててもいいですか」


 花森が椅子に座ったまま言った。帰る気配がなかった。


「構いません」


 角田はパソコンの前に座った。デスクトップ。モニターが厚い。キーボードが黄ばんでいた。


「角田先生、パソコン古くないですか」


「動きます」


 角田はパソコンの電源を入れなかった。まだ入れなかった。


 手帳を開いた。見開き。白いページ。赤ペンの蓋を開けた。


 左のページに書き始めた。ミンの経歴。時系列。


 二〇一九年、来日。日本語学校入学。二〇二一年、日本語学校卒業。同年、専門学校入学。情報技術学科。二年課程。二〇二三年、専門学校卒業。卒業制作:在庫管理システム。同年、就職活動。IT企業内定。


 右のページ。内定先の情報。会社名。設立年。事業内容。受託システム開発。社員数三十名。ミンの配属先。バックエンド開発チーム。使用言語。Java。研修制度。三ヶ月。


 角田は左右のページを見た。赤ペンで線を引き始めた。


 左の「Java」から右の「Java」へ。赤い線。


 左の「データベース設計」から右の「MySQL運用」へ。赤い線。


 左の「バックエンド担当」から右の「バックエンド開発チーム」へ。赤い線。


 赤い線が手帳の見開きを横断した。左のページと右のページが赤い線で繋がった。


 花森が角田の隣から手帳を覗き込んでいた。いつの間にか椅子を寄せていた。


「角田先生、それ何してるんですか」


「地図を描いています」


「地図」


「グエンさんの経歴と仕事の関連性の地図です。これが申請理由書の骨格になります」


 花森が手帳の見開きを見ていた。赤い線が何本も走っていた。左から右へ。経歴から仕事へ。ミンの六年間が二ページに収まっていた。


「すごい……私、こういうの書いたことないです」


「書かないとどこを書くか分からなくなります」


 花森が黙った。自分の書いた前回の申請理由書を思い出しているようだった。『ITに関連する業務に従事する予定です』。三行目で角田の赤が入った文。花森はあの時、地図を描かずに書いたのだろう。全体像がないまま書いた。だから抽象的になった。


 角田はパソコンの電源を入れた。


 Wordを開いた。白い画面。カーソルが点滅した。


 角田が打ち始めた。


「申請人グエン・ヴァン・ミンは、○○専門学校情報技術学科において二年間の課程を修了し、在学中にJava、Python、データベース設計等の情報技術に関する専門教育を受けた。」


 一文目。事実。修飾語がない。


「特に、卒業制作として在庫管理システムの開発に従事し、四名のチームにおいてバックエンド(サーバーサイドプログラム及びデータベース設計)を担当した。使用言語はJavaであり、データベースにはMySQLを採用した。」


 二文目。具体的。何を作ったか。何を担当したか。何の言語で。


 花森が画面を見ていた。角田が一段落打つたびに読んでいた。花森の目が文字を追っていた。


「角田先生、この文——『Javaを用いたバックエンド開発を二年間学んだ』——私の書いた理由書だと『ITに関連する業務を学びました』って書いてました」


「はい」


「全然違いますね」


「違います。審査官はJavaが分かる。ITは分からない。ITは何でもある。Javaは一つしかない」


 花森が角田の横顔を見た。角田はモニターを見ていた。カーソルが点滅していた。次の文を考えていた。


「角田先生」


「はい」


「私、ミンくんのこと『真面目でいい子なんです』って書いたんです。理由書に」


「はい」


「それじゃだめだったんですね」


「審査官は人柄を審査しません。経歴と職務内容の関連性を審査します」


 花森が少し俯いた。ピンクのペンを手の中で回していた。


「でも——ミンくんは真面目でいい子なんです」


「はい。だから書類に書きます。グエンさんの真面目さは、成績がほぼAであること、卒業制作でバックエンドを担当したこと、N2に合格していること。全部書類で証明できます。『真面目です』と書くより、成績証明書を出した方が伝わります」


 花森がペンの回転を止めた。角田を見た。


「……そういうことか」


「はい」


「人柄じゃなくて、人柄の証拠を出すんですね」


「そうです」


 花森がメモした。ピンクのペンで。「人柄の証拠。成績。制作物。資格。」三項目。花森のメモは短かった。だが核心を掴んでいた。


 角田は打ち続けた。


 次の段落。内定先の会社概要。事業内容。ミンの配属予定。職務内容。研修制度。


 その次の段落。経歴と職務内容の関連性。ここが核心だった。角田の赤い線が文章になる段落。


「申請人が専門学校において修得したJavaによるシステム開発の知識及び技術は、内定先における受託システムのバックエンド開発業務に直接的に活用されるものである。」


 角田が打った。花森が読んだ。


「『直接的に活用される』……強いですね」


「事実です。Javaを学んで、Javaの仕事をする。直接的です」


 角田は打ち続けた。花森は黙って画面を見ていた。口を挟まなくなった。角田の指がキーボードの上を動いていた。速くはなかった。だが止まらなかった。一文ごとに、ミンの経歴が書類の上に現れていった。



        *



 一時半。花森が立ち上がった。


「お昼買ってきます。何がいいですか」


「何でも」


「鮭と昆布どっちがいいですか」


「……鮭で」


 花森が出て行った。角田は打ち続けた。


 花森が戻ってきた。コンビニの袋。おにぎり二つとサンドイッチと唐揚げとお茶。角田の机の横に袋を置いた。


「鮭、ここに置いときますね」


 角田は打っていた。右手でキーボード。左手で鮭のおにぎりのフィルムを剥がした。剥がしながら画面を見ていた。フィルムが途中で破れた。海苔がずれた。角田は気にせず齧った。打ちながら齧った。


 花森が向かいの椅子でサンドイッチを食べながら角田の画面を見ていた。卵サンド。パンの断面から卵がはみ出ていた。花森が大きく口を開けて齧った。卵が少しこぼれた。花森が指で拾って食べた。


 花森が唐揚げの袋を開けた。一つ取った。食べた。


「おいしい」


 もう一つ取った。角田の方に差し出した。


「角田先生、唐揚げ」


 角田は打っていた。両手がキーボードの上にあった。


「手が塞がっています」


「あ、じゃあ——」


 花森がキーボードの横に唐揚げを置いた。紙ナプキンの上に。角田の手が届く位置に。


 角田がしばらく打った。段落の途中で止まった。考えた。唐揚げを取った。左手で。食べた。打ちながら咀嚼した。衣が硬かった。コンビニの唐揚げだった。味はあった。


 花森が見ていた。角田が唐揚げを食べるのを。嬉しそうだった。自分のサンドイッチの残りを食べながら、角田がキーボードを叩きながら唐揚げを噛んでいるのを見ていた。


「角田先生」


「はい」


「食べながら仕事する人なんですね」


「今日だけです」


「嘘。絶対いつもやってますよね」


 角田は答えなかった。おにぎりの残りを食べた。画面に戻った。


 花森が唐揚げをもう一つ、紙ナプキンの上に置いた。黙って。角田は打ちながら、しばらくして取った。食べた。花森は何も言わなかった。嬉しそうに昆布のおにぎりを食べていた。



        *



 四時。角田がキーボードから手を離した。


 プリントアウトした。A4で三枚。


 赤ペンを取った。蓋を開けた。


 自分で書いた文章を自分で読み始めた。赤ペンで。一行目から。


 一枚目。一箇所。「修了し」の後に「卒業証明書記載の通り」を追加。根拠を明示する。赤ペンで書き込んだ。


 二枚目。二箇所。「直接的に活用される」の前に「申請人の在学中の学修内容に照らし」を挿入。論理の補強。あと一箇所、「研修制度を設けている」の後に研修期間の具体的な数字を追加。


 三枚目。角田の赤ペンが止まった。考えた。三行目を消した。書き直した。「以上の通り」から始まる締めの一文を差し替えた。


 花森が見ていた。角田が自分の文章に赤ペンを入れているのを。


「自分の文章も赤ペンで直すんですね」


「書いた直後の文章は信用できません」


「……角田先生でも?」


「誰でもです」


 角田が修正を終えた。三枚を揃えた。花森に渡した。


「読んでください。花森先生の名前で出す書類です」


 花森が受け取った。三枚。読み始めた。


 花森の目が文字を追っていた。一枚目。二枚目。三枚目。花森が三枚を読み終えるまで五分かかった。角田は待っていた。カフェラテを飲んだ。今日のカフェラテはもうぬるかった。


 花森が顔を上げた。


「すごい」


「何がですか」


「ミンくんのこと、全部書いてある。ミンくんが何を学んで、何ができて、何をするのか。全部。でも一行も『真面目です』って書いてない」


「書く必要がありません。事実が証明しています」


 花森が三枚の紙を胸の前に抱えた。大事なものを持つように。


「角田先生」


「はい」


「私にも——こういう書き方、教えてもらえますか」


「花森先生の書類を見ます。赤ペンで。それが一番早い」


「はい。じゃあこれからも赤ペンでよろしくお願いします」


「……はい」


 花森が笑った。大きく。中華屋で餃子を食べた時の笑い方とは違った。嬉しさの種類が違った。


 花森が立ち上がった。ジャケットを着た。マフラーを巻いた。三枚の紙をクリアファイルに入れた。新しいクリアファイル。今日持ってきたもの。花森が事前に用意していた。角田の書類を入れるために。


「翻訳証明書は木曜に届きます。課税証明書は今日の午後に取ってきます。最新年度」


「間違えないでください」


「間違えません。今度は」


 花森がドアのところで振り返った。


「角田先生、お夕飯は」


「長谷川に行きます」


「私も——」


 花森が言いかけた。止めた。


「今日はやめときます。角田先生の場所だから」


 角田は花森を見た。花森が笑っていた。いつもの笑い方だった。だが目が少し違った。花森は角田の仕事を六時間見ていた。手帳の地図。キーボードを叩く指。自分の文章に赤を入れる手。花森は何かを受け取っていた。


「おつかれさまでした。金曜日、入管に出しますね」


「その前に翻訳証明書と課税証明書を揃えてください」


「はい」


「雇用契約書の裏面コピーと、会社の職務内容書類も」


「はい」


「全部揃ったら一度こちらに持ってきてください。最終確認をします」


「はい。角田先生——」


「はい」


「ありがとうございます」


 花森がお辞儀した。深かった。花森のお辞儀がこんなに深いのは初めてだった。ミンのお辞儀に似ていた。


 花森が帰った。ヒールの音が階段を下りていった。


 角田は机の上を見た。コンビニの袋。おにぎりのフィルム。唐揚げの紙ナプキン。サンドイッチの包装。花森のカフェラテの空き容器。角田のカフェラテの空き容器。ミンが朝飲んだカフェラテの空き容器は、ミンが持って帰っていた。今日は二つ。


 角田は全部片付けた。ゴミ箱に入れた。机の上を拭いた。


 コートを着た。赤ペンの蓋を確認した。閉まっていた。鍵をかけた。


 長谷川に行った。


「かけで」


 いつもの席。カウンター。一人。隣は空いていた。


 蕎麦が来た。かけ。三百八十円。


 食べた。出汁の味がした。甘くなかった。辛くなかった。出汁だった。いつもの味だった。


 汁を飲んだ。全部。丼の底が見えた。


 三百八十円を置いた。暖簾をくぐった。


 外は暗かった。一月の夕方は暗い。角田はマフラーをしていなかった。花森に「風邪ひきますよ」と言われたことを思い出した。ひかない。


 事務所に戻った。パソコンの画面を見た。申請理由書のファイルが開いたままだった。修正済みの最終版。


 もう一度読んだ。赤ペンは持たなかった。目だけで読んだ。


 問題なかった。ミンの六年間が三枚の紙の上にあった。何を学んだか。何を作ったか。何をするのか。一本の線。


 角田はファイルを保存した。パソコンの電源を落とした。


 電気を消した。

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