第7話 仮登記
朝。ホテルの部屋。角田は手帳を開いて電話をかけた。
八代不動産開発。法人登記に記載されていた電話番号。呼び出し音が三回鳴った。
「はい、八代不動産開発です」
「行政書士の角田と申します。緒方信一郎さんの相続手続きを受任しております。仮登記の件でお話を伺いたいのですが、代表の藤本さんはいらっしゃいますか」
「私が藤本です」
声は五十代くらいだった。落ち着いた声。
「緒方さんの件ですか。お亡くなりになったと聞いて、どうなるかと思っていたところです」
「相続手続きの中で、仮登記の処理を確認する必要があります。経緯をお聞きしてもよろしいですか」
「もちろんです」
角田は赤ペンを持って手帳に書きながら聞いた。
緒方から電話があったのは七月の終わりだった。藤本はその日付を覚えていた。七月二十八日。月曜日。
「東京からお電話をいただきました。ホームページを見たと。八代市内の土地建物を売却したいと」
「現地を確認されましたか」
「八月のはじめに見に行きました。空き家ですね。建物はまだ使えるけど、古い。更地にして売る方がいいと判断しました。緒方さんもそれで了承されて、八月七日に仮登記を入れました」
「売買価格は」
「三百五十万です。更地渡しで。解体費用は緒方さん持ちで、二百万程度の見積もりを出しました」
角田は書いた。三百五十万。更地渡し。解体費用二百万。
「本登記に至らなかった理由は」
「解体業者の手配がまだでした。緒方さんが年内に決済したいとおっしゃっていたので、十月に解体を始めて十二月に引き渡す段取りで進めていたんですが」
「緒方さんが十月に亡くなった」
「はい。こちらとしても手続きが止まっています。相続人の方がどうされるか、待っている状態です」
「承知しました。相続人の意向が固まり次第、改めてご連絡します」
「よろしくお願いします。それと——」
「はい」
「緒方さん、急いでおられました。年内にどうしてもと。理由は聞いていないんですが」
角田は赤ペンの蓋を閉めた。開けた。閉めた。
「売却の理由についてはお聞きにならなかったんですか」
「こちらから聞くことはしません。売りたいとおっしゃれば、それを進めるのが仕事ですから」
「分かりました。ありがとうございます」
電話を切った。
角田は手帳を見た。赤ペンのメモ。
七月二十八日——緒方が藤本に連絡。売却の意思。
八月七日——仮登記。売買予約。
十月上旬——解体着手予定。
十二月——引き渡し予定。
十月三日——緒方死亡。
なぜ急いでいたのか。七月に決断して、年内に決済したいと言った。何が緒方を動かしたのか。三十年間放置していた不動産を、急に処分しようとした。
角田は手帳を閉じた。
*
黒田は朝から八代の寺を回っていた。
八代署で主要な寺院のリストをもらった。宮原修一の名前で供養や墓参りの記録があるか。黒田は一軒ずつ回った。
一軒目。駅の北側の曹洞宗の寺。住職に聞いた。宮原の名前は知らない。
二軒目。球磨川沿いの浄土真宗の寺。受付の女性に聞いた。宮原の名前を聞いたことがある。だが記録は確認できない。
三軒目。市の東側の日蓮宗の寺。小さな寺だった。住職は七十代。
「宮原さん。ええ、よくお見えになります」
黒田は手帳を出した。
「何のお参りですか」
「野中さんのお墓に。野中智恵子さん。三年前にお亡くなりになりました」
「宮原さんと野中さんの関係は」
「同級生だとお聞きしています。中学の。宮原さんと、それから緒方さんも同級生で。三人とも同じ学校だったと」
「緒方信一郎」
「はい。緒方さんもお見えになっていましたよ。智恵子さんが亡くなってから。年に一度くらい。命日の前後に」
黒田は書いた。
「宮原さんはどのくらいの頻度で」
「年に三回から四回。春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、それから命日。律儀な方です」
「二人が一緒に来たことは」
「いえ。別々です。宮原さんは一人で。緒方さんも一人で。時期もずれていました」
「智恵子さんのお嬢さんは」
「遥さん。お墓を守っておられます。お寺にもよくいらっしゃいます」
「遥さんはどちらに」
「すぐ近くです。智恵子さんのお家にそのまま。智恵子さんが亡くなってからも一人で暮らしておられます」
黒田は礼を言って寺を出た。
外に出た。十一月の昼前。空は高かった。雲が少しだけかかっていた。
黒田は携帯を出した。角田に電話した。
「昼飯。駅前で」
*
駅前の喫茶店。ランチメニュー。黒田はカレーを頼んだ。角田はナポリタンを頼んだ。
黒田が先に話した。
「寺で当たった。宮原は野中智恵子の墓に参っていた。年に三、四回。智恵子は三年前に死亡。墓は遥が守っている」
角田はナポリタンのフォークを止めた。智恵子の死亡。角田は遥の戸籍附票を請求していたが、智恵子の除籍は取得していなかった。智恵子の生死は書類で確認していない。
「緒方さんもですか」
「ああ。緒方も来ていた。年に一度。命日の前後に。智恵子が死んでから毎年」
「別々に」
「別々だ。一緒には来ていない」
角田はフォークを置いた。
「角田の方は」
「藤本に電話しました。仮登記の経緯です。緒方さんから連絡があったのは七月二十八日。売却の意思を示して、八月七日に仮登記。年内に決済したいと急いでいた」
「七月」
「はい。急いでいた理由は藤本も聞いていません」
「三十年放置して、七月に急に動いた」
「はい」
黒田はカレーを食べた。角田はナポリタンを食べた。しばらく黙って食べていた。
黒田がカレーを食べ終わった。水を飲んだ。
「並べてくれ」
角田は手帳を開いた。赤ペン。テーブルの上に手帳を置いた。
「平成四年。緒方さんが遥を認知。母は野中智恵子。八代市」
「三十歳の時だ」
「はい。平成六年。田中真由美と結婚。八代から江東区に転籍」
「認知の二年後」
「はい。平成十二年。父・義男が死亡。緒方さんが八代の土地建物を相続」
「妻には処分したと言った」
「本人の申告です。処分されていませんでした」
「三十年間持ち続けた」
「はい。三年前。野中智恵子が死亡。遥が家と墓を守っている。宮原さんが墓参りを続けている。緒方さんも年一回来ていた」
黒田は水のグラスを置いた。
「今年の七月。緒方が不動産業者に連絡。売却。年内決済」
「はい」
「八月七日。仮登記」
「はい」
「十月三日。緒方が宮原に刺されて死亡」
角田は手帳を閉じなかった。赤ペンを持ったまま黒田を見た。
黒田は窓の外を見ていた。駅前のロータリー。タクシーが一台止まっていた。
「宮原は智恵子のことが好きだったんだろう」
角田は何も言わなかった。
「同級生。三人で一緒にいた。緒方が智恵子との間に子を作って、認知して、別の女と結婚して東京に出た。宮原は——」
黒田は止まった。
「宮原はずっと智恵子の傍にいた。年に何回も墓に参っていた。緒方は年に一度。その差だ」
角田は赤ペンの蓋を閉めた。
「私には分かりません。書類から読めるのは事実の順番だけです」
「事実の順番で十分だ。俺は人を読む。お前は書類を読め」
角田は手帳を閉じた。
「ここまでは筋が通る。だが動機はまだ出ない。宮原が智恵子のことを思っていたとして、それだけで三十年来の友人を刺すか。智恵子が死んで三年経っている。今さら恨みで刺すのは遅い」
角田は黙った。
「七月だ。何かが七月に動いた。緒方が土地を売ろうとしたことと、宮原が緒方を刺したことは繋がっている。間に何があった」
「宮原さんは年に数回八代に来ていました。黒田さんが昨日言った通り」
「ああ。宮原が八代に来ていて、緒方が七月に土地を売ると決めた。宮原がそれを知ったか」
「仮登記は八月です。登記は公開情報です」
黒田は角田を見た。
「宮原が登記を見るか」
「見ないと思います。宮原さんは不動産の専門家ではありません。ただ——」
「ただ」
「仮登記の前に、藤本さんが現地を見に行っています。八月のはじめに。空き家を確認しに来た。隣に野中が住んでいます」
黒田が止まった。
「藤本が現地に来た。隣の野中がそれを見た。野中が宮原に連絡した」
「推測です」
「推測だ。だが筋は通る」
黒田は立ち上がった。
「宮原は知った。緒方が土地を売ろうとしていることを。野中から聞いたか、別のルートで知ったか。それが口論の原因だ。十月三日の夜。宮原は緒方に言った。あの土地を売るなと」
角田は立ち上がらなかった。
「推測です」
「分かってる。だが調べられることがある。藤本に確認する。現地を見に行った時、隣の住人と話したか。野中と宮原の連絡手段。宮原の携帯の通話記録を検察に請求する」
黒田は会計を済ませた。
「午後は俺が動く。お前は」
「遥さんの戸籍附票を取ります。本籍地が八代市なら、こちらの市役所で取得できます」
「市役所に行くのか」
「はい。午後に」
黒田は出口で振り向いた。
「書類が届いたら教えろ」
「はい」
黒田は出て行った。
角田は一人で残った。ナポリタンの皿。ケチャップの赤が少し残っていた。カレーの皿は空だった。
角田はコーヒーを追加で頼んだ。ブラック。手帳を開いた。赤ペンで時系列の横に線を引いた。
七月二十八日——緒方が売却を決断。
八月上旬——藤本が現地確認。
八月七日——仮登記。
十月三日——緒方死亡。
この間に何があったか。角田の仕事は書類を読むこと。書類の外にあることは黒田の仕事。
コーヒーを飲んだ。苦かった。長谷川の蕎麦湯とは違った。




