表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書類は嘘をつかない  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
読めない名前

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/64

第6話 だご

 八時。ロビー。


 角田はファイルを持って待っていた。黒田はちょうど八時に降りてきた。ショルダーバッグ。スーツ。ネクタイは曲がっていなかった。出張先の黒田は東京よりも少しだけきちんとしていた。


「俺は八代署に行く。昼に合流する。どこがいい」


「駅の近くで」


「飯を食える店を探しておけ」


「はい」


 黒田はタクシー乗り場に歩いた。角田はホテルの前の通りを歩き始めた。法務局は駅から南に十分ほどだった。


 十一月の朝。空気が冷たかった。東京とは違う冷たさだった。湿気がない。風が通る。山が近い。角田はコートの前を合わせた。



        *



 熊本地方法務局八代支局。


 角田は窓口で申請書を出した。


 一件目。株式会社八代不動産開発の法人登記。履歴事項全部証明書。


 待った。十五分。番号を呼ばれた。証明書を受け取った。


 ロビーの椅子に座って読んだ。


 株式会社八代不動産開発。設立:三年前。代表取締役:藤本幸雄。本店所在地:八代市内。事業目的:不動産の売買、仲介、管理、開発。資本金:三百万円。


 角田は赤ペンで手帳に書いた。設立が三年前。新しい。地場の小さな不動産業者。資本金三百万。代表の藤本幸雄。角田はこの名前を知らない。


 二件目。緒方信一郎名義の土地建物の登記事項証明書。オンラインで確認済みだが、紙で正式な証明書を取った。窓口で受け取った。手帳の内容と照合した。差異なし。仮登記の記載を確認した。紙で見ても同じだった。


 法務局を出た。市役所に向かった。歩いた。


 八代市役所。税務課の窓口。固定資産評価証明書の交付申請。委任状と戸籍のコピーを添えた。窓口の職員が委任状を確認した。戸籍を確認した。


「相続手続きでよろしいですか」


「はい」


 待った。十分。証明書が出た。


 角田はロビーのベンチに座って読んだ。


 緒方信一郎名義。土地二筆。建物一棟。評価額。土地の合計が約四百万円。建物が約百五十万円。合計約五百五十万。


 角田は赤ペンで手帳に書いた。地方の住宅地。三十年前に父から相続した土地と古い木造建物。評価額は高くない。固定資産税は年に数万円程度。緒方が三十年間払い続けていたことになる。東京から。妻には「処分した」と言いながら。


 角田は手帳を閉じた。赤ペンの蓋を閉めた。


 昼前だった。



        *



 駅前の定食屋。火曜日。開いていた。


 黒田が先に来ていた。カウンターの端。メニューを見ていた。角田が入ると黒田は顎でカウンターの隣を示した。


 角田はメニューを見た。だご汁定食。五百八十円。


 黒田は注文していた。だご汁定食と、から揚げ定食。二つ。


「から揚げも食うんですか」


「腹が減ってる」


 角田はだご汁定食を頼んだ。


 だご汁が来た。


 平たい小麦の団子が味噌仕立ての汁に入っていた。根菜が見えた。里芋。大根。人参。ごぼう。湯気が立っていた。味噌と根菜の匂いがした。


 角田は箸で団子を持ち上げた。不揃いだった。厚いのと薄いのがある。手で千切って入れたものだった。口に入れた。熱かった。小麦の弾力と味噌の塩気。出汁は昆布と煮干し。長谷川の蕎麦の出汁とは違った。蕎麦は鰹が効く。だご汁は味噌が主役だった。


 角田は黙って食べた。


 黒田はから揚げを先に食べていた。から揚げを食べ終わってからだご汁に手をつけた。


「どうだ」


「温かいです」


 黒田は角田を見た。「温かいです」。角田の感想はいつもこれだ。うまいか、温かいか。


「それだけか」


「はい」


 角田はだご汁を食べ終わった。汁を飲んだ。全部は飲まなかった。半分くらい残した。


 黒田がだご汁を食べ終わった。汁は全部飲んだ。


「午後はどうする」


「現地確認に行きます。緒方さんの本籍地の土地建物を見に行きます」


「俺は午後も動く。夕方、ホテルで合流する。六時」


「はい」


 会計。各自。角田は五百八十円を払った。



        *



 午後。角田は一人でタクシーに乗った。


 運転手に住所を伝えた。緒方信一郎の本籍地。運転手はカーナビに入力した。八代の住宅地。駅から車で十五分ほどだった。


 車窓の風景が変わった。駅前の商業地区を抜けると、田んぼが広がった。家が点在していた。家と家の間が広かった。東京の住宅地とは違った。塀がない家が多い。庭が広い。柿の木が目に入った。葉が落ち始めていた。十一月。


 タクシーが止まった。角田は降りた。


「待っていてください。三十分ほどで戻ります」


「はい」


 角田は住所の場所に立った。


 木造二階建。築四十年以上。瓦屋根。外壁のモルタルが一部剥がれていた。窓は全て閉まっていた。カーテンが引かれている窓と、雨戸が閉まっている窓がある。玄関の引き戸は閉まっていた。ポストがある。郵便物は入っていなかった。表札はなかった。外されたのか、最初からないのか。


 庭。手入れはされていない。草が膝の高さまで伸びていた。植木が伸び放題だった。ただし建物は崩れていなかった。屋根は落ちていない。窓も割れていない。放置されているが、廃墟ではなかった。


 角田はスマートフォンで外観を撮影した。正面。側面。庭。相続財産の現況確認。報告書に添付する。


 敷地の周囲を歩いた。裏に回った。裏庭。物置小屋が一棟。物置の扉は閉まっていた。鍵がかかっていた。


 表に戻った。道を挟んで隣。


 小さな家。緒方の実家より一回り小さい木造平屋。だが手入れされていた。外壁は塗り直されている。庭に花が植えてあった。洗濯物が干してあった。白いシャツと薄い色のタオル。人が住んでいた。


 表札。


 角田は表札を見た。


 「野中」


 角田は動かなかった。立ったまま表札を見ていた。


 野中。緒方の認知した子の母の名字。野中智恵子。改製原戸籍に書かれていた名前。角田が赤ペンで手帳に書いた名前。


 緒方の実家の隣に、野中が住んでいた。


 角田はインターホンを押さなかった。書類が先だった。遥の戸籍附票がまだ届いていない。この家に住んでいるのが野中智恵子なのか、遥なのか、別の野中なのか、書類で確認していない。表札だけでは確認にならない。


 角田はスマートフォンで表札を撮影しなかった。隣家の表札を撮るのは角田の仕事ではない。


 だが角田は見た。洗濯物が干してあることを。花が植えてあることを。人が生活していることを。緒方の空き家の隣で。


 角田はタクシーに戻った。


「駅までお願いします」


 タクシーが走り出した。角田は窓の外を見ていた。田んぼ。柿の木。家。空が広かった。



        *



 六時。ホテルのロビー。


 黒田が降りてきた。ネクタイを外していた。


「飯だ。店を見つけた。歩いて五分」


 外に出た。十一月の夜。昨夜と同じ通り。だが今日は明かりがついている。火曜日。店が開いている。


 黒田が入ったのは小さな居酒屋だった。引き戸。暖簾。カウンター六席と小上がり二卓。地元の客が二人、カウンターの端にいた。


 カウンターに並んで座った。


「球磨焼酎あるか」


 店主が頷いた。銘柄を二つ言った。黒田は一つ選んだ。ロックで。


「角田は」


「ウーロン茶で」


「飲まないのか」


「明日も仕事があるので」


 黒田は角田を見た。何か言いかけた。やめた。


 つまみが出た。お通し。里芋の煮物。それから黒田が馬刺しとからし蓮根を頼んだ。


 焼酎が来た。黒田は一口飲んだ。


「で、午後は」


 角田が報告した。法務局の結果。八代不動産開発。設立は三年前。代表は藤本幸雄。資本金三百万。小さな会社。


 黒田は聞いた。馬刺しを食べた。


「藤本幸雄。知らない名前だ」


「私も知りません」


「八代署で聞いてみる。明日」


 角田は続けた。固定資産評価証明。土地と建物で約五百五十万。高い金額ではない。


 黒田は焼酎を飲んだ。


「故郷を捨てたはずの男が、五百五十万の土地を三十年持ってた」


「固定資産税を払い続けていたことになります」


「年にいくらだ」


「概算で六万から七万程度です」


「三十年で二百万か」


「概算ですが」


 黒田はからし蓮根を食べた。


「それで、現地は」


 角田が報告した。空き家。草が伸びている。建物は崩れていない。人は住んでいない。


 角田は一瞬、間を置いた。


「隣の家に表札がありました。野中、と」


 黒田の箸が止まった。


「野中」


「はい。手入れされた家でした。洗濯物が干してありました。人が住んでいます」


「緒方の実家の隣に、野中が住んでいる」


「はい」


 黒田は焼酎のグラスを置いた。


「……お前はインターホンを押したか」


「押していません。書類の確認が先です」


「書類の確認」


「遥の戸籍附票が届いていません。この家に住んでいるのが誰か、まだ確認できていません」


 黒田は角田を見た。角田はウーロン茶を飲んでいた。表情は変わらなかった。


「お前は」


「はい」


「……いい。分かった」


 黒田は焼酎を飲んだ。


 角田はもう一つ伝えた。


「黒田さん。緒方さんの八代の不動産に、売買予約の仮登記が入っています」


 黒田が顔を上げた。


「日付は八月七日。緒方さんが亡くなる二ヶ月前です。権利者は八代不動産開発。さきほどお伝えした藤本幸雄の会社です」


「緒方が、死ぬ二ヶ月前に、この不動産を売ろうとしていた」


「売買予約です。仮登記の段階なので、売買は完了していません。本登記に必要な条件が整っていなかったか、代金の決済が済んでいなかったか」


「緒方が死んだから止まった」


「はい」


 黒田は焼酎のグラスを持ったまま動かなかった。


「故郷を捨てた人間が、三十年持ち続けた土地を、死ぬ二ヶ月前に処分しようとした」


「そうなります」


「なぜ今なのか」


「分かりません」


 黒田はグラスを置いた。


「俺の方も一つ。八代署で地元を当たった。宮原修一の名前を出した。宮原は年に何度か八代に来ていた。ここ数年」


 角田の手が止まった。ウーロン茶のグラスを持ったまま。


「目撃情報は断片的だ。近所の人間が何度か見かけている。タクシーで来て、しばらくして帰る。何をしていたかは分からない」


「墓参りですか」


「墓参りだと思った、と言っていた。だが墓地で見たわけじゃない。宮原がこの辺りを歩いていたのを見た、と。それだけだ」


 角田は黙った。宮原が八代に来ていた。緒方の実家の隣に野中が住んでいる。宮原は野中に会いに来ていたのか。あるいは緒方の空き家を見に来ていたのか。


「明日、もう少し詰める」


「はい」


 馬刺しの皿が空になった。黒田が追加を頼んだ。焼酎の二杯目。角田はウーロン茶のおかわりを頼んだ。


 仕事の話が途切れた。しばらく黙って食べていた。店の中は静かだった。カウンターの端の客は帰っていた。店主がカウンターの中で洗い物をしていた。水の音だけが聞こえた。


 黒田が焼酎を一口飲んだ。


「お前の事務所は静かでいいな」


 角田は何も返さなかった。


 黒田は焼酎のグラスを回した。氷がぶつかる音がした。


「日向は元気にしてるか」


 角田はウーロン茶のグラスを置いた。


「最近は会っていません」


「そうか」


 黒田は焼酎を飲んだ。


「飯をうまそうに食う女だった。動き回る。暑苦しい。刑事に向いてた」


 角田は何も言わなかった。


「今は変な探偵のところにいる」


 黒田の声は平らだった。怒りはなかった。諦めでもなかった。事実を言っているだけだった。日向が辞めたことを黒田は受け入れている。受け入れた上で、角田に近況を聞いた。自分からは連絡していないということだった。


 角田はウーロン茶を飲んだ。


 店の中は静かだった。


「佐野はどうですか」


「佐野か。真面目だ。ネクタイが曲がってる」


「……」


「日向とは違う。日向は雑だった。報告書に誤字が多かった。だが勘が利いた。佐野は丁寧だ。報告書に誤字がない。マーカーを引く。日向は引かなかった」


 角田は黙って聞いていた。黒田が部下の話をするのは珍しかった。東京の事務所では聞かない話だった。


「佐野で十分だ」


 黒田はそう言って、焼酎を飲み干した。氷だけがグラスに残った。


 角田は何も言わなかった。「十分だ」は黒田の本音だった。佐野で十分だと思っている。だが日向の名前を出したのは黒田の方だった。


 黒田は会計を済ませた。角田が自分の分を出そうとした。黒田が手で制した。


「出張先くらいおごる」


「……ありがとうございます」


 外に出た。十一月の夜。風が冷たかった。八代の夜は暗かった。街灯が少ない。星が見えた。東京では見えない数の星だった。


 黒田は空を見上げた。角田も見上げた。


 何も言わなかった。


 ホテルに戻った。エレベーターに乗った。同じ階で降りた。


「明日は朝八時」


「はい」


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 ドアが閉まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ