第3話 三通目の戸籍
戸籍は二通届いていた。
角田が交付請求を出してから十日。江東区から二通。一通は緒方信一郎の現在の戸籍謄本。もう一通は同じく江東区の除籍謄本。どちらも職務上請求で取得した。角田の行政書士登録番号と委任状の写しを添えた請求書を送り、返信用封筒を同封した。十日で届くのは標準的な速さだった。
角田は封を開けた。赤ペンを手に取った。
現在の戸籍。コンピュータ化された横書きの様式。
本籍地:東京都江東区大島。筆頭者:緒方信一郎。
身分事項欄。出生。昭和三十七年十一月十四日。父・緒方義男。母・緒方節子。出生地:熊本県八代市。
婚姻。平成六年三月十二日届出。配偶者・田中真由美。
死亡。十月三日。死亡地:東京都墨田区。届出日:十月四日。届出人:妻。
配偶者欄。緒方真由美。昭和四十一年二月十日生。
子。緒方彩花。平成八年七月二十二日生。
赤ペンで確認の印をつけていった。出生。婚姻。死亡。配偶者。子。全て真由美の聞き取りと一致する。
従前の本籍地。熊本県八代市。転籍による入籍。平成六年三月十二日。
婚姻と同時に八代から江東区に転籍している。これが一通目から分かったこと。
角田は手帳に赤ペンで書いた。
「八代市の改製原戸籍を請求。出生まで遡る」
十日前にこのメモを書いた。そして八代市に交付請求を出していた。
角田はもう一通の封筒を開けた。こちらは昨日届いていた。不在にしていたので今朝まとめて開封した。
八代市からの改製原戸籍。
*
改製原戸籍は縦書きだった。
B4の用紙。紙が黄ばんでいる。折り目が深い。三つ折りにされて何十年も保管されていた紙の折り目だった。文字は楷書体の手書き。市の戸籍係が一字一字書いたもの。墨の濃さが均一ではない。同じ係員が同じ筆で書いても、一行目と十行目で墨の乗りが変わる。コンピュータ化前の戸籍にはそういう手触りがある。
角田はコピーを取った。謄本は一通しかない。万が一の破損に備える。コピーを机に広げた。赤ペンを持った。端から読んだ。
本籍。熊本県八代市の住所。筆頭者。緒方義男。
義男の戸籍。緒方信一郎の父親が筆頭者の戸籍。信一郎はこの戸籍に子として記載されている。
義男の身分事項。出生。婚姻。死亡——平成十二年。信一郎が三十代後半の時に父親が亡くなっている。
母・節子。義男の死後も同じ戸籍にいる。節子の死亡——平成十八年。
信一郎の欄。出生。昭和三十七年十一月十四日。
身分事項。
角田の赤ペンが止まった。
認知。平成四年六月十五日届出。届出地:八代市。届出人:緒方信一郎。
被認知者の氏名:野中遥。
母の氏名:野中智恵子。
手書きの文字。「認知」の二文字は他の記載と同じ太さで、同じ墨の濃さで書かれていた。戸籍係にとっては日常の記載だった。出生も婚姻も認知も、書式に従って同じ筆で書く。書いた人間に感慨はない。
角田は赤ペンを置いた。
鉛筆を取った。手帳を開いた。
転記した。
認知。平成四年。一九九二年。緒方信一郎、三十歳。野中遥。母・野中智恵子。届出地は八代市。
平成六年に婚姻と転籍。一九九四年。認知の二年後に田中真由美と結婚し、八代から江東区に本籍を移した。
認知が先。婚姻が後。緒方は八代で子を認知してから、二年後に別の女性と結婚して東京に本籍を移した。
転籍すると、転籍前の戸籍の記載は新しい戸籍に移記される。ただし、全てが移記されるわけではない。認知事項は、被認知者の身分事項として戸籍に記載されるが、認知した側(父)の戸籍については、転籍後の新戸籍に必ずしも移記されない。
角田は江東区の戸籍をもう一度見た。
信一郎の身分事項欄。出生。婚姻。死亡。
認知の記載はなかった。
転籍によって落ちていた。江東区の戸籍だけを見れば、緒方信一郎に認知した子がいることは分からない。真由美が夫の戸籍を見たとしても分からない。だから角田は八代まで遡った。出生から死亡までの連続した戸籍を取る。相続人調査の基本。一通でも欠けがあれば相続人を見落とす。全てを取る。取って、端から端まで読む。読めば出てくる。
改製原戸籍の黄ばんだ紙に、手書きの文字で「認知」と書いてある。三十二年前の戸籍係の筆跡。
角田は手帳に赤ペンで書いた。
「相続人 三名」
妻・緒方真由美。子・緒方彩花。認知された子・野中遥。
真由美は言った。「子供は娘が一人です」。
角田は赤ペンの蓋を閉めた。開けた。閉めた。
*
手帳を見た。赤い字。相続人、三名。
やるべきことを書いた。
一、野中遥の現在の戸籍附票を取得する。附票には住所の履歴が記載される。遥が生存しているか。現住所はどこか。
二、八代の不動産の登記を確認する。「処分済み(本人申告)」を検証する。
三、上記二点の結果が出てから、依頼人に報告する。
この順番を守る。
角田は遥の戸籍附票の請求を先に済ませた。認知した子の戸籍は、母の戸籍に記載されている。母は野中智恵子。本籍地は八代市。八代市に野中智恵子の戸籍を請求すれば、遥の記載も出る。そこから遥の現在の戸籍附票に辿り着ける。
請求書を書いた。八代市宛。二通目の職務上請求。封筒に入れた。切手を貼った。机の端に置いた。明日の朝、ポストに入れる。
次に不動産の登記。
角田はパソコンを開いた。登記情報提供サービスにログインした。
八代市の不動産を検索する。問題は地番だった。本籍地の住所が分かっているが、住居表示と登記上の地番は異なる。八代市は住居表示が実施されていない区域が多い。本籍地の住所がそのまま地番である可能性もある。
角田は法務局のブルーマップをオンラインで参照した。八代市の該当住所周辺の地図を見た。公図と照合した。地番を特定した。
二筆あった。
一筆目。宅地。地番を入力した。登記情報を請求した。
画面に表示された。
所有者:緒方信一郎。
処分されていなかった。
角田は赤ペンを取った。手帳の「処分済み(本人申告)」を二重線で消した。横に書いた。「現存」。
二筆目。同じく宅地。隣接地。こちらも入力した。
所有者:緒方信一郎。建物もあった。木造二階建。居宅。
角田は登記情報をスクロールした。甲区。所有権。
乙区。
赤ペンの蓋が手から落ちた。机の上で転がって、手帳の端にぶつかって止まった。
所有権移転仮登記。原因:売買予約。日付——八月七日。権利者:株式会社八代不動産開発。義務者:緒方信一郎。
八月七日。緒方が殺されたのは十月三日。二ヶ月前。
角田は画面を見ていた。乙区の文字を読み返した。もう一度読んだ。読み違いではなかった。赤ペンの蓋を拾った。
手帳に書いた。
「仮登記。売買予約。8.7。権利者:(株)八代不動産開発」
「処分済み」ではなかった。処分しようとしていた。売買予約の仮登記まで済ませていた。だが本登記はされていない。売買は完了していない。
仮登記のまま、緒方は死んだ。
角田は画面をもう一度見た。仮登記の日付。八月七日。緒方が東京から手続きしたのだろう。委任状を不動産業者に送り、業者が八代の法務局で仮登記を入れた。仮登記は本登記の順位を保全するためのものだ。売買の合意はあるが、本登記に必要な条件がまだ整っていない。あるいは代金の決済がまだ済んでいない。仮登記の段階では所有権は移転していない。
緒方信一郎の不動産。
角田はもう一度甲区を見た。所有権の取得原因。相続。取得日——平成十二年。父・義男の死亡による相続。義男が亡くなったのも平成十二年。戸籍で確認した。一致する。
父親から相続した土地と建物。三十年間、緒方の名義のまま八代にあった。真由美には「処分した」と言っていた。処分していなかった。死ぬ二ヶ月前に処分しようとした。
角田は赤ペンの蓋を閉めた。
パソコンを閉じた。
*
角田は机の上に書類を並べた。
江東区の戸籍。八代の改製原戸籍。登記情報のプリントアウト。手帳のメモ。
事実を並べた。
一、緒方信一郎には認知した子がいる。野中遥。母は野中智恵子。八代市。認知は平成四年。
二、八代市に不動産がある。土地二筆と建物一棟。名義は緒方信一郎。処分されていない。
三、八月七日に売買予約の仮登記。相手は地元の不動産業者。本登記未了。
四、緒方は十月三日に死亡。仮登記の約二ヶ月後。
角田は赤ペンの蓋を開けた。閉めた。開けた。
相続人は三名。妻。娘。認知された子。真由美は認知された子の存在を知らない。角田はこれを報告しなければならない。認知された子は法定相続人だから。遺産分割協議には全相続人の参加が必要だから。遥が入らなければ協議書は無効になる。
報告しなければならない。
だがまだ報告しない。遥の現住所が確認できていない。生存の確認もできていない。戸籍附票が届けば分かる。届くまでは待つ。事実が揃ってから報告する。推測では報告しない。書類で確認した事実だけを伝える。それが角田の仕事だった。
角田は赤ペンの蓋を閉めた。
手帳を閉じた。ファイルに書類を戻した。「緒方信一郎 相続」。棚に戻した。
時計を見た。六時を過ぎていた。
黒田には伝えない。まだ伝える段階ではない。遥のことも仮登記のことも、角田の依頼人の相続手続きの中で出てきた情報だ。依頼人の利益を損なわない範囲で——その範囲がどこまでか、角田にはまだ見えなかった。
認知された子が法定相続人であること。これは真由美に伝えなければならない。伝えなければ相続が進まない。伝えれば真由美は夫の過去を知る。知らなかった子の存在を。知らなかった不動産の存在を。
書類は嘘をつかない。角田も嘘をつかない。だが嘘をつかないことが誰を傷つけるのか、角田には分かっていた。
角田は立ち上がった。上着を取った。電気を消した。
今日も長谷川には行かなかった。




