表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書類は嘘をつかない  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
棚の奥の伊豆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/64

第1話 茶封筒

 棚が軋んだ。


 いつもの音だった。建付けの悪い棚。前の借り主が残していったスチール棚。角田が七年間、自分の書類を詰め込んできた棚。


 朝、ファイルを戻そうとして、奥の側板に指が触れた。


 浮いていた。


 板が一枚、手前に傾いでいる。角田はファイルを机に置き、棚の中身を全て出した。赤ペンを側板の隙間に差し込んだ。板が外れた。


 裏側に茶封筒が一通、貼り付いていた。


 粘着テープで留めてある。テープは黄ばんで、端が丸まっていた。二十年。少なくともそのくらいの時間が経っている。


 封筒の表に手書きの文字。


 「伊豆・天城 横山家 農転+温泉権」


 筆跡は佐伯のものだった。


 角田は封筒を開けた。


 中身は三種類。農地転用許可申請書の控え。温泉利用許可の承継届の下書き。それから、罫線のない便箋に書かれたメモ。


 農地転用許可申請書。日付は二〇〇〇年四月。申請者は横山辰雄。伊豆市筏場の地番が記されている。農地法第五条による転用——農地を宅地に変更し、温泉付き住宅を建てる計画。


 申請書の右上に赤字で「保留」と書かれていた。佐伯の字だ。


 温泉利用許可の承継届は未完成だった。承継元の欄に「横山源蔵」、承継先の欄に「横山辰雄」。源蔵から辰雄へ。親から子への承継。しかし、承継元の住所欄が空白のまま止まっている。


 メモには三行だけ。


 「源蔵の住民票が取れない。届出がされていない可能性。確認中」


 それだけだった。「確認中」のまま、二十年。


 棚の裏に封筒を貼り付けたのは佐伯だ。隠したのか。保管したのか。どちらにしても、佐伯はこの案件を棚に入れなかった。棚の「裏」に貼った。


 角田は封筒の中身を机の上に並べた。赤ペンを取った。



 事務所の引き戸が開いたのは、十一時過ぎだった。


「いるか」


 黒田だった。左手にボトル缶のコーヒー。微糖。ラベルが半分剥がしてある。


「います」


 角田は書類から目を上げなかった。


「飯はまだだろ」


「はい」


 黒田は入口の脇に立ったまま、事務所の中を見回した。棚から出されたファイルが床に積まれている。机の上に古い書類が広がっている。


「何してる」


「棚の裏から出てきました」


「棚の裏」


「側板の裏に封筒が貼ってありました。佐伯さんの案件です。二〇〇〇年の」


 黒田はボトル缶を一口飲んだ。


「佐伯の」


「伊豆の農地転用です。途中で止まってます」


「二十六年前か」


「はい。申請者の父親——地主の住民票が取れないまま放置されています。届出がされていない、と佐伯さんのメモにあります」


「届出って何の」


「分かりません。死亡届かもしれない。転出届かもしれない。佐伯さんのメモはそこで止まってます」


 黒田がボトル缶のラベルをさらに剥がした。


「で、お前はどうする」


「行きます」


「伊豆に?」


「はい。農地転用の申請が保留のまま二十六年残っている。申請者が生きていれば取下届を出す必要がある。死んでいれば相続人が処理する。どちらにしても、放置していい書類じゃない」


「佐伯の尻拭いか」


 角田は赤ペンを置いた。


「佐伯さんが棚の裏に貼ったということは、通常の案件じゃなかったんだと思います。棚に入れなかった。でも捨てなかった」


「二十六年も前の案件を」


「書類には時効がないんです。人は忘れます。でも申請書は保留のまま残ってます」


 黒田は何も言わなかった。ボトル缶を飲み干して、空き缶を窓枠に置いた。


「明日、暇だ」


「別に一人で——」


「聞いてない。暇だって言ったんだ」


 角田は黒田を見た。黒田は窓の外を見ていた。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな、気持ち悪い」



 翌朝。


 錦糸町駅の改札で黒田と合流した。黒田は紺のジャケットにジーンズ。角田はいつものスーツに革鞄。鞄の中に佐伯の封筒と、昨夜のうちに登記情報提供サービスで取った登記情報のプリントアウトが入っている。


 快速ホームで東京行きを待った。


 向かい側のホームに、男が立っていた。各停ホーム。秋葉原方面。


 中華鍋を頭に被っている。


 体にアルミホイルを巻いている。背中に大きなリュック。リュックの中から低い唸り音がしている。脇に厚い雑誌を挟んでいる。


「……角田」


「はい」


「今の見たか」


「何をですか」


 角田はホームの時刻表示を見ていた。


「いや……いい」


 各停が滑り込んできた。男がアルミホイルの肩を揺らしながら乗り込んでいく。ドアが閉まった。秋葉原方面へ走り去っていく。


 黒田は線路の向こうを見ていた。


「……秋葉原か、あっちは」


 角田は何も言わなかった。快速が来た。東京方面。二人は乗った。



 東京駅から特急踊り子。二時間と少し。


 角田は座席に着くなり封筒を開いた。農地転用許可申請書を膝の上に広げ、赤ペンで欄外にメモを入れていく。


 黒田は通路側の席で足を組んだ。


「何が分かってる」


「横山辰雄。申請時の住所は伊豆市筏場。農地法五条の転用許可申請。自分の父・横山源蔵名義の農地を宅地に変更して、温泉付き住宅を建てたかった」


「温泉」


「伊豆は温泉権が土地と別に存在します。源蔵の名義で温泉利用許可が出ている。辰雄はそれも承継したかった。農地転用と温泉権の承継。二つの手続きを同時に進めていた」


「で、止まった」


「止まりました。源蔵の住民票が取れない。佐伯さんのメモによると、届出がされていない可能性。死亡届なのか転出届なのか、メモだけでは分からない」


「源蔵って、生きてたら何歳だ」


 角田は申請書を見た。


「申請書に源蔵の生年月日はありません。辰雄が二〇〇〇年時点で五十代とすると、源蔵は大正末か昭和初期の生まれでしょう。今、生きていれば百歳前後」


「生きてる可能性は」


「低い。ただ、確認するまでは断定しません」


 黒田は窓の外を見た。小田原を過ぎて、車窓に海が見え始めていた。


「佐伯はなんでこの案件を止めたんだ」


「分かりません」


「お前の推測は」


「推測はしません」


「嘘つけ。お前は推測しないんじゃない、言わないだけだ」


 角田は赤ペンのキャップを閉めた。


「……源蔵が亡くなっていて、死亡届が出されていない場合、農地転用は進められません。相続が確定しないと、転用申請の前提が崩れる。佐伯さんはそこで止まったのかもしれない」


「届出を出せばいいだろう」


「届出を出すには、亡くなった事実の確認が必要です。亡くなった場所、日時、届出人。全部揃わないと届出は受理されない」


「つまり」


「誰も届出を出せなかった、あるいは出さなかった可能性がある」


 黒田は腕を組んだ。


「お前の仕事の範囲か、それ」


「農地転用の保留を解消するのは行政書士の範囲です。その前提として相続が必要なら、相続の前提として死亡届が必要。全部繋がっています」


「面倒くさい案件だな」


「はい」


 角田は窓の外に目をやった。熱海を過ぎて、トンネルが増えた。トンネルを抜けるたびに光が変わる。東京の光とは違う。強くて、青い。


 角田は申請書に目を戻した。



 伊豆急行に乗り換えて、伊豆高原で降りた。


 駅を出ると、空気が変わった。潮の匂いがかすかにある。東京の潮とは違う。乾いていて、どこか甘い。山の緑が混じっている。


「飯にするか」


 黒田が言った。角田の腹も空いていた。朝の蕎麦を食べてきていない。


 駅前の食堂に入った。観光客向けの店構え。壁のメニューに金目鯛の煮付け、刺身定食、アジフライ。


 黒田は金目鯛の煮付け定食を頼んだ。千八百円。


 角田はメニューの端を見た。


「わさび丼、ありますか」


「ありますよ。天城のわさびです」


「それを」


 六百五十円。白飯の上に鰹節。おろしたての本わさび。醤油を回しかけるだけ。


「伊豆まで来てそれかよ」


 黒田は煮付けの皿を前に呆れた顔をした。金目鯛は丸ごと一尾。甘辛い煮汁が光っている。


「美味いですよ」


 角田はわさびを飯に混ぜた。鼻に抜ける辛さ。ただし、刺すような辛さではない。甘い。本わさびはチューブとは別の食べ物だった。飯が進む。醤油と鰹節とわさび。それだけで十分だった。


 黒田は金目鯛の頬肉をほじりながら言った。


「この後、どこに行く」


「まず市役所です。農地転用の申請が残っているか確認します。それから筏場の現地。横山家の土地と、温泉の源泉」


「温泉か」


「仕事です」


「分かってる」


 黒田の目が一瞬、光った。角田は気づかないふりをした。



 駅北口のレンタカー営業所で車を借りた。黒田が運転席に座った。


「修善寺からの方が近かったのでは」


「帰りに寄るとこがある」


「どこですか」


 黒田は答えずにエンジンをかけた。


 国道を南に折れ、山側へ入っていく。海が見えなくなった。窓を開けると、空気がまるで違った。潮の気配が消えている。杉と、土と、どこか硫黄の混じった湿った空気。トンネルを一つ抜けるたびに、緑が濃くなった。


 伊豆市役所の窓口は空いていた。


 角田は農林課のカウンターに立った。鞄から佐伯の農地転用許可申請書の控えを出し、クリアファイルごと差し出した。


「この申請について確認したいのですが」


 窓口の女性職員が書類を受け取った。地番を確認し、端末を叩いた。


 画面を見た職員の手が止まった。


「少々お待ちください」


 職員は席を立った。奥のデスクに向かい、上席らしき男性と何か話している。男性がこちらを見た。角田は立ったまま待った。


 三分後、上席の男性がカウンターに来た。


「この申請ですが——」


 男性は声を落とした。


「二〇〇〇年に受理された後、一度も動いていません。申請者の横山辰雄さんとは、こちらからも連絡が取れなくなっています」


「辰雄さんとも連絡が取れない」


「はい。十五年ほど前から」


 角田は赤ペンを取り出した。


「横山源蔵さんについてはいかがですか」


 男性の表情が変わった。


「……あなたは、横山家とどのような関係で」


「行政書士です。この申請書を作成した佐伯誠一から案件を引き継ぎました」


 男性は角田の顔を見た。それから佐伯の申請書を見た。それからもう一度、角田の顔を見た。


「——別室でお話しできますか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
棚が佐伯さんの宝の地図もとい、自動引き継ぎマシーンになってきていますね。心残りだったのでしょうか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ