第5話 海を越える記録
三月の半ば。事務所のポストに、角形2号の茶封筒が入っていた。差出人は駐日韓国大使館領事部。
角田は封を切った。
中に入っていたのは、除籍謄本の原本と、角田が同封した委任状の控えだった。A4の紙が三枚。ハングルと漢字が混在している。紙は薄く、日本の戸籍謄本より一回り大きい。インクの色が濃い。
角田は机に広げた。
韓国の除籍謄本は、現行のシステムで出力された横書きの書式だった。戸主の欄がある。旧制度では日本と同じ戸主制だった。帰化申請書の控えに記載されていた本籍地で検索をかけてもらい、一件だけ該当した。
戸主の欄。金大植。キム・テシク。本籍:済州道。
その下に、家族の記載。
長男。金哲男。キム・チョルナム。
生年月日の欄を見た。
一九六〇年二月二十九日。
角田はペンを置いた。
一九六〇年。西暦。閏年。二月二十九日は存在する。
外国人登録原票記載事項証明書と同じ日付だった。
つまり、鉄男の本国の記録では一九六〇年生まれ。外国人登録でも一九六〇年。佐伯が帰化申請書に書いたのは一九五八年。二年のずれ。佐伯は本国の記録を見た上で、年だけを変えた。
角田は赤ペンを取った。手帳に書いた。
——除籍謄本(韓国):1960年2月29日。外国人登録と一致。
——帰化申請書:1958年2月29日。2年のずれ。
——母の証言:3月1日。年は不明。
——佐伯のメモ「翻訳文確認済」→本国書類を見た上で1958年を「選んだ」ことが確定。
除籍謄本をもう一度見た。生年月日の欄の下に、小さな文字で備考のような記載がある。ハングルだけで書かれていて、漢字がない。
角田は韓国語を読めない。翻訳が必要だった。
机の脇に積んであるタウンページを開いた。韓国語の法律文書の翻訳を受ける事務所を探した。三件目で、午後に持ち込めるという返事があった。
*
午前十一時。事務所のドアが叩かれた。
美香だった。
前回会った時より顔色が悪い。目の下に隈がある。手にはコンビニの袋を持っていて、中身はおにぎりと缶コーヒーだった。
「先生。父のことで」
「どうぞ」
美香は丸椅子に座った。おにぎりの袋を膝の上に置いたまま、開けなかった。
「銀行から催促が来ました。工場の抵当権の抹消の件です。返済は終わってるのに、手続きが止まってると」
「登記に必要な書類の中に、鉄男さんの戸籍が含まれます。戸籍の生年月日に問題があるため、法務局が登記を受理しない可能性がある。そのことは銀行に伝えてありますか」
「……いいえ。父が自分でやると言って」
角田は手帳を開いた。
「私から銀行に説明します。事情を書面にまとめます。登記の受理が遅れる可能性があること、並行して戸籍訂正の手続きを進めていること。鉄男さんの委任状をいただければ、すぐに動けます」
美香は頷いた。それから少し黙った。
「先生。韓国の書類は届きましたか」
「今朝届きました」
「……何が書いてありましたか」
「お父さんの生年月日は、一九六〇年二月二十九日と記載されています。外国人登録の記録と同じです」
「じゃあ、本当は一九六〇年なんですね。戸籍の一九五八年が間違い」
「年が二年ずれています。月日は同じ二月二十九日ですが、一九六〇年は閏年なのでこの日付は存在します」
美香はおにぎりの袋を握った。
「なんでわざわざ変えたんですか」
角田は答えなかった。答えを持っていなかった。
「父は字が読めないおばあちゃんの言う通り、全部任せたって言ってました。任せた相手が、父をいない日に生まれた人間にしたんですよ」
声が震えていた。怒りなのか疲労なのか、角田には判断がつかなかった。
「佐伯先生がなぜ年を変えたかは、まだ分かっていません。それを確認するために、佐伯先生を探しています」
「生きてるんですか」
「分かりません。転居先は判明しています」
美香は立ち上がった。
「……すみません」
「いいえ。委任状は今日中に鉄男さんに書いてもらえますか。銀行への書面は明日出します」
「はい」
「美香さん。もう一つ、確認させてください。鉄男さんの体調は」
美香は鞄の持ち手を握った。
「食事が減りました。咳は前より少ないんですけど、痩せてきて。工場にはまだ毎日出てますけど、旋盤を回す時間が短くなってます」
角田は手帳に何も書かなかった。
「分かりました」
美香が出ていった後、丸椅子の向きが少しだけ歪んでいた。机の端に、開けていない缶コーヒーが一本残っている。
*
午後。翻訳事務所に除籍謄本を持ち込んだ。
翻訳者は四十代の女性で、法律文書を専門にしている。除籍謄本を見て少し目を細めた。
「古いですね。手書きの部分がある」
「備考欄にハングルだけの記載があります。それを読みたい」
翻訳者は備考欄を指でなぞった。しばらく黙って読んでから、顔を上げた。
「『出生届は父・金大植の口頭申告に基づく。出生証明書の添付なし』」
角田は赤ペンを止めた。
「出生証明書がない」
「ええ。当時の済州島では珍しくなかったはずです。特に一九五〇年代から六〇年代にかけて、農村部では出生届が遅れたり、医療機関の証明なしで届け出されることが多かった。四・三事件の後、行政機能が回復しきっていない地域もありましたし」
「つまり、生年月日の根拠は父親の記憶だけ」
「この除籍謄本を見る限りでは、そうなります」
角田は翻訳文の作成を依頼した。三日後に受け取る。
*
事務所に戻った。
机の上に、除籍謄本のコピーと、帰化申請書の控えと、外国人登録原票記載事項証明書の写しを並べた。三枚の書類。三つの日付。
一九六〇年二月二十九日。一九五八年二月二十九日。三月一日。
除籍謄本のコピーの上に、外国人登録の写しを重ねた。一九六〇年二月二十九日。同じ日付だ。その上に、佐伯が書いた帰化申請書の控えを置いた。一九五八年二月二十九日。二年の隙間が、三枚目だけ黒い溝のように開いている。
佐伯は本国の記録を知っていた。知った上で年を変えた。
だが「なぜ一九五八年なのか」は分からない。一九五八年の二月二十九日は存在しない。存在しない日付を書けば、将来必ず問題になる。佐伯はそれを分かっていたはずだ。分かっていて書いた。
そして出生届の根拠は父の口頭申告だけで、出生証明書が添付されていない。つまり「一九六〇年二月二十九日」自体が、金大植の記憶に過ぎない。母の金順子は「三月一日」と言った。夫婦の記憶が一致していない。
鉄男の誕生日は、六十六年前の済州島で父親が役場の窓口で言った言葉から始まっている。その言葉が紙になり、紙が海を渡り、別の紙に写され、さらに別の紙に変換された。変換されるたびに、何かがずれた。
書類は記憶の翻訳だ。翻訳されるたびに、ずれる。
ペンを置いた。流しで水を汲んで飲んだ。机の端に美香の缶コーヒーがまだ置いてあった。
電話が鳴った。黒田だった。
「松戸の件。行ってきた」
「早いですね」
「今日が非番だった。佐伯さんの家は空き家だ。表札は出てるが、郵便受けにチラシが溜まってる。近所に聞いたら、半年前から姿を見てないそうだ」
「半年」
「施設に入ったか、入院したか。ただ、隣の家の婆さんが一つ言ってた。『息子さんが時々来て、郵便物を持っていく』」
「息子がいる」
「名前は聞けなかった。月に一度くらい来るらしい。婆さんが『次に来たら声をかけてみる』と言ってた」
「待ってる時間がありません」
「分かってる。だが施設に電話しても個人情報だからな、教えてくれねえよ。婆さんのルートを待つか、お前が書類で辿るしかない」
「附票を取ります。松戸市に職務上請求で戸籍の附票を出せば、佐伯先生が松戸市内で転居していれば追えます。施設に入所して住所を移していれば、そこに出る」
「書類屋の仕事だな」
電話が切れた。
角田は手帳を開いた。
——松戸:空き家。半年不在。息子が月1回郵便物を回収。
——明日、松戸市に職務上請求で佐伯の戸籍の附票を請求する。
——韓国除籍謄本:出生届の根拠は父の口頭申告のみ。出生証明書なし。
——佐伯が1960→1958に変えた理由は不明。
引き出しを開けた。奥に、真鍮の朱肉池がある。蓋の裏に「佐伯」と刻まれている。七年間、角田はこれを使わずにここに入れていた。
朱肉池を手に取った。掌に載せた。重い。真鍮の冷たさが手のひらに伝わった。
鞄に入れた。
*
長谷川に寄った。
「かけ。卵」
四百二十円。
蕎麦を啜った。卵を箸で割った。黄身が汁に広がった。
明日、松戸市に附票を請求する。佐伯の現住所が出れば、会いに行ける。
丼の底まで汁を飲んだ。




