第九十話 破壊屋ウィリー事件
――シア視点。
アイシャがリサさんを連れて魔物討伐へと向かった。
一方私はといえば、昨日ジリーの紹介してくれた仕事をたった一日でクビになり、落ち込んでいる。
「まさかあんなに不器用だとは思わなかったよ。あっはははは!」
「うぅ……我ながら同感……」
やった仕事はビンの回収だったのだが、その三割ほどに損害を出してしまうという不器用さ。報酬は三百ブロンズまで減らされてしまい、モーリスのノート代で全て消えてしまった。
――フューラの工房。
本日は二人揃ったのでバイクの講習を受けに来た。
あの自転車対決もあったので、もうそろそろスクーターに乗れるのでは? と根拠のない淡い期待を抱いている。
「その期待を粉砕します」
「いきなりか!」
「ええ。自転車に乗せたのは二輪のバランス感覚を体に覚えさせるためであり、単に立ちゴケで破壊されるのが嫌なだけですから」
……絶句。まさか基礎にすら辿り着いていないとは……。
まずは座学。だが、走行の仕方と簡単な諸注意だけで終わってしまった。
これに不安を抱いたのは私だけではなかった様子。
「フューラ、もーちょい色々あるんじゃねーの? カナタの乗ってるの見てたけど、結構気をつけてたじゃん」
「それは交通ルールが存在する時代での話です。この時代はそもそも走行車線というものがありませんから」
「そうだけどよー……」
うむ! 不安だ!
「一ついいか? 何処で練習をするのだ? さすがにこのような近代的な物を街中で乗り回す訳には行かないであろう?」
「王宮から承諾はもらっていますから大丈夫ですよ」
「え……いつのまに……」
不安を倍プッシュだ!
――実地。
とりあえず外に出し、跨る前に最終確認。
ジリーはサイドカーを外した状態で慣れ、その後サイドカーを付けた状態で再度練習という事になった。
「今日はこの道を往復します。ただし速度域が違うので慎重な運転をお願いしますね。巡航速度は30キロ。それ以上は出さないようにしてください」
「参考までに、自転車で出していた速度はどれほどだったのだ?」
「あれで15キロくらいですかね」
「いきなり倍だとっ!?」「こええぇー!」
二人で青くなってしまった。
「特にジリーさんのバイクは大きく重いので、難易度はスクーターの比ではありません。それに最高速度は220キロ前後まで出ますから」
「220!?」「は!? いやいやいやいや訳わかんねーんだけど!」
「言い忘れていましたが、ジリーさんのバイクはシフトチェンジがありますので、忙しいですよ」
「うわー……」「……」
もはやジリーは声が出ていない。
そうか、これがカナタの危惧していた、フューラの安全性の欠如か!
しかし練習はしなければいけないので、慎重にスタートを切る事となった。
「まずは発進と停止。アクセルを回して十メートルほど進んでブレーキを握って止まってください」
「待て待ていきなり何個も指示を出すな!」「あーわかんねーっ!」
「自転車で言えばペダルを漕いで進んで、ブレーキを握って止まる。それだけです」
「それだけとか軽く言ってくれるな! こちらは混乱中だ!」「あーまじわかんねーっ!」
私もジリーもパニックで叫んでいる。周囲には視線もあるのだが、もうそんな事に構っていられる余裕など微塵もない。
「あはは、大丈夫ですって」
「フューラの大丈夫は信用できねー!」
ついにジリーは頭を抱えてしまった。
「……よし。私から行くぞ」
「シア、あんた大丈夫かよ?」
「なぁに、カナタから私が先導を取れと頼まれたのだぞ? これくらいで怖気づいていたら、皆を支える事など出来はしまい」
とは言ったものの、私の心臓は今にも口から飛び出しそうなほど脈打っている。
慎重に発進……お、本当に動いた!
動いたはいいが……おぉおぉおぉ……。
「フューラ! 今何キロ!?」
「5キロも出ていませんよ。というかスピードメーターありますから。あー前見て前!」
「んがああああっ!」
頭が追いつかず急ブレーキで停車。
「はあ……はあ……どれほど進んだ? ……あれ?」
息の上がる私だが、振り返ると20メートル程度しか進んでいない。
「うそぉん!?」
思わずハンドルにもたれかかりへたり込んでしまった。私の中ではこれだけでも一時間にも二時間にも感じていたのだ。
これほどの恐怖心の中、カナタは運転していたというのか!?
いや、これは私がおかしな事になっているのだな。それは理解出来る。出来るのだが……怖いっ!
――一方のジリー視点。
シアの運転を見て、どうにか冷静になった。
……んがっ! あんなヘッポコ大魔王に負けるのは癪に障るっ!
「ぅおーし、こっちも行くぞ!」
とりあえず右手を捻れば進むんだな……っても慎重第一。
ドドドドドルルルル……。
「……あれ? フューラ、これ壊れてんぞ!」
「違いますよ。クラッチを切ってギアを一速に入れてください」
く、くら……??
「足元のレバーを踏み込んでください」
「あ、これか。えっと、踏み込んで、一速に入れて……で、離せばいいのか」
この時あたしは、やっちまった。目線を足元に落としたせいで右手に力が入って、思いっきりアクセルを回した状態でいきなりクラッチを離しちまったんだ。
ガンッ! ドゥオオオオオオ!!
「んぎゃああああっ!!」
あたしのバイクはまるで暴れ馬の嘶きが如く前輪を高々と天に向け、どう止まればいいのかがよく分からないあたしを連れ、一直線に魔王プロトシアを目指したのさ。
「うおああああ!!」「ああああああっ!!」「あぶなああああい!!」
ああ、それはそれは見事なライディングだった――。
――狙われたシアはというと?
「うおああああ!!」
と叫んだ次の瞬間、私は無意識に急発進し、全速力で逃げた。後方からは突進してくるジリー。
不思議なもので、一度走り出してしまえば運転への恐怖は薄らぎ、それ以上にミラー越しに映る涙目でとんでもなく強張った顔で叫んでいるジリーが迫る事への恐怖が、圧倒的に勝っているのだ。
「何でこっちに来るのだ!」「しらねー! とめてぇー!!」
パニック状態で逃げる私、それを追う暴走したジリー。
もちろんここは広いながらも王都の一般道であり、交通ルールなどない普通の道。そこには地元の人々がいるのだが……もう轢いてもいいよね? というか避ける余裕なんてありません!
「ブレーキだ!」「どれだああああ!!」「レバーを握れ!」「レバーは嫌いだー!」「嫌いじゃなくて握れ!!」
ジリーは完全にパニックで頭が回ってないし、私も頭が回ってない。なぜならばジリーの言うレバーが内臓の意味であるという事に気付いていないのだ。
……ミラーにフューラが映った! 鬼の形相で飛んで追いかけてきて、すぐさまジリーと並んだ!
「アクセル戻して!」「もーどーしゅうううっ!!」
「ブレーキ握って!」「にーぎーりゅうううっ!!」
フューラは指を差して指示。視覚的にも分かりやすいようにであろう。
ジリーは恐らく、恐怖から思いっきりブレーキレバーを握ったのだ。後輪部分が盛大に大暴れし、グルン! と横に一回転。
「いやああああ! ……あ……あ……あ……とまっ……た……」
私は普通に減速、一旦停止し、普通に転回し、普通にジリーの元へ。
そう、怪我の功名か、恐怖から無意識に全速力で逃げ回った事で、いつのまにか運転出来るようになってしまったのだ。
「大丈夫か?」
「……だめぇーもーぉむぅーりでぇーす……」
放心状態で天を仰ぐジリー。
「さすがにこれは僕も怒りますよ」
「……フューラ。私は今貴様に対して怒りたいのだが?」
「え?」
分かっていないのだな。本当にカナタの危惧したとおりではないか。
私は強くではなく、あくまでも落ち着いて叱る事にした。カナタならばこうするであろうという想像から、これが一番であると判断したのだ。
「フューラ、貴様には他者がどう感じるのかという、思いやる気持ちが欠けている。今もそうだ。事前にしっかりと、どう動かすのかという座学をやるべきであった。しかし貴様はさっさと切り上げ、こちらとしても心の準備が出来る前に、動かし始める羽目になったのだ」
「……そう……ですね。はい。理解しました。これは僕のミスです。申し訳ありません……」
少々驚いてしまうほどに素直だ。
「シアさんに怒られると、カナタさんに怒られている気分になりました」
「なるほど。ではジリーへと向けた怒りも筋違いであると分かっているのだな?」
「はい」
ならば私からはもう言うまい。
――工房。
一旦工房へと戻り、フューラから改めて座学の講習を受けた。
「――という事です。機械的な話なので先ほどは省略したんですけど、必要でしたか?」
「むしろ何故必要ないと判断したのかに大いに疑問を持つぞ……」
「あたしもシアに全面的に同意。何さクラッチレバーを踏んでギアを変えてから半クラッチで発進って。さっき何も言わず「はい乗って」だったんだからな? そんなの分かるはずねーじゃん!」
「……すみませんでした」
未だに若干お怒りモードの我々。
「はい、んじゃ今日はここまでにしよう。日も傾いてきたしなー」
「ああ、そうしよう」
「……はい」
という事でジリーの号令で本日の分は終了。全く、とんでもない目に遭った。
――その夜。
「はあ、ただいま」
アイシャとリサさんが帰宅。しかしいきなり溜め息か。
「おかえり。そちらも何かあった様子だな」
「あったよ。依頼主がピグミーの村長ってのは話したよね? んで、行ってみたら状況は最悪で、しかもその村長が原因だったし、その事を隠蔽しようとしてたの。おかげでこっちはとんでもない目に遭ったんだから」
話の途中でドスンとソファに腰掛けるアイシャ。これは中々にお怒りである。
「そうか。こちらもフューラのせいでとんでもない目に遭ったぞ。私もジリーも、一つ間違えば大怪我をしていた」
「……フューラ!」
「はい……」
見事に小さくなるフューラ。
そして事のあらましを説明――。
「――あっはははは!! 笑い事じゃないのは分かるけど……ぶっ、ははは!」
ああ、我らが勇者様はこういう奴であったな。
「あーごめんごめん。はーぁあ。……フューラ、もうそういう事、二度とやらないでよ」
「はい……肝に銘じます……」
まあこれでフューラも反省するであろう。
――翌日。
「うおああああ!!」「ああああああっ!!」「あぶなああああい!!」
悲劇は繰り返されました……。
「あたし諦めたい……」
「私はどうにか乗れるようになったのだぞ。もっと落ち着いてほんの少しずつやればどうにかなる。そのような力加減はジリーが一番得意であろう?」
「……ちっ」
おいっ! そっぽを向いて舌打ちされたぞ!
「フューラ、次あんた乗って手本見せろや!」
「え……まあ、いいですけど」
ほう、そう来ますか。
ジリーのバイクに今度はフューラが跨り、スタート。そして――。
「うおああああ!!」「ああああああっ!!」「あぶなああああい!!」
二度ある事は三度ある。
「はあ……はあ……びっくりしたぁ……」
こんな青ざめたフューラは初めて見たかもしれない。
「なあ、一ついいか? これは本当に正しく作られているのであろうな? 二人の様子を見ていると、バイクの側に問題があるように見えるぞ?」
「……分かりました。一度バラしてチェックします。数日お待ちください」
フューラも不安な顔をした。やはり何かおかしいと思ったのだな。
「その間ジリーはスクーターで練習と行こうか。こちらは難しくはないぞ」
「そうだね。んじゃちょっと借りるよ」
スクーターにジリーが跨り、再度スタート。
ヴゥイイイイィィィン。
「お、普通に乗れているではないか」
「ですね。じゃあ僕は追います」
私はジリーのバイクの監視役という事だな。……乗らないぞ? 四度目はないぞ?
さてジリーの様子だが、これがしっかりと運転出来ている。
お、転回も問題なく出来た。そしてそのままこちらへと……って私を轢くコースではないか? まあどうせギリギリで止ま……らない!? 逃げるぞ!!
「あっはっはっ!」「や、やめっ! あぶなっ!!」
「おらおら逃げろ魔王!」「この悪魔め!!」
足で全速力で逃げるのだが、執拗に追いかけてくる! そのまま角を曲がり……まだ来た!
「おい! 冗談が過ぎる!」「あはははは! ごめんごめん」
ようやくジリーが止まった。
「はあ……はあ……っはあー……。んもう! 謝って済む問題か!」
「いやー正直ちょっと悔しかったからねー。本気じゃねーから安心しな」
「冗談でもやっていい事と悪い事があるであろう! ……カナタならば捨てられているぞ?」
「あはは、否定できねーや」
良い子も悪い子も真似しては駄目だからな! 魔王との約束だからな!
「あのー」
ん? と振り向くと、王宮の衛兵。
「あ、何用でしょうか?」
「……王様が、王宮まで出頭しろと」
「出頭……」
三人声が揃い顔を見合わせ、あーこれは怒られるのだなと一瞬で理解した。
――王宮に出頭。
「言いたい事は分かっていますよね?」
顔には出していないのだが、声が完全に怒っている。
「申し訳ない……」「ごめんなさい……」「すみません……」
「はあ……我が国にはそちらの乗り物に対する法律が存在していないので、今回に限り口頭注意だけで済ませます。しかし! 今度同じ事を仕出かしてくれたその時には! 牢にぶち込みます! 特にジリーさん。覚悟しておいて下さいね!」
「はい……」
結局強く怒られました……。
「話は変わりますが、あれの事はアイシャは何と?」
三人で顔を見合わせ、真ん中のジリーが答えた。
「……あれって?」
「あれ? っていう事はアイシャは話していないんですね。フィノスから夜会の招待状が来たんですよ。十中八九罠でしょうけど」
「あはは、そりゃーあたしでも分かるよ。ぜってー罠だ。行きません!」
笑い、あっさりと拒否をするジリー。だが、私には引っかかった。
「……確認だが、相手はフィノス、でいいのだな?」
「はい」
フィノス……最近どこかでその名を……あっ。
「返事はいつまでなのだ?」
「昨日到着して三日待つと書いてありますので、明後日の昼には返事を出したいところですね」
「……承知した」
フィノスの狙いは私であろう。そして小人狩りなどという外道な戯れを行っていた国だ、恐らくはアイシャ自身もその毒牙にかける腹積もり。
間違いなく罠だ。これは過去、無能さにより黒幕に操られていた私ですら分かる。
しかし、カナタのあの言葉は、もしやこれの事を指していたのではないか?
……だとするのならば、我々はこの罠にかかりに行くべきだ。
「改めてアイシャと協議をし、明日、正式に回答させてもらいたい」
「行くつもりなんですか? 何故?」
「まだ言えない、としか言えない」
「……はあ、分かりました。では明日、お待ちしています」
私のこの発言に驚いたのは、トム王だけではない。フューラもジリーもだった。
――その夜。
私の号令で緊急集会。
「アイシャ、フィノスから夜会の招待状が届いていたそうだが?」
「なんだその事? どう考えても罠だから、さっさと拒否したよ」
やはり普通はそう思う。私ですらもだ。そしてその疑念は間違いない。
「……でもあんたは行きたそうだね。理由は?」
さすがは勇者。私の顔色一つで分かったか。
「詳しくは話さないほうがいいと思うのだが、カナタの夢でフィノスの名が出てきたのだ。これを私は、今回の招待の事であると考えた。……間違いなく罠であろうな。それも、私とアイシャの両方ともを狙っている。だが、私はあえて飛び込むべきであると思う」
「駄目」
至極真剣な声と表情で一蹴されてしまった。
「私だけならばともかく、あんたの命を危険には晒せない。フィノスの事だから、どうせそれをネタに魔族領との戦争を始めるつもりだもん」
「しかしこの好機を逃せば、フィノスの蛮行を止める機会がなくなるかもしれないのだぞ?」
「あんたの言いたい事は分かる。けどね、そんな危険な橋は渡れない」
「それは、アイシャとしての考えか? 勇者としての考えか?」
「……」
私はここで両方、または勇者の考えと言われれば折れるつもりであった。アイシャの持つ勇者のカンというものは、驚くほど鋭い。それを理由に私に行くなと言っているのであれば、従うべきであると思うからだ。
しかしアイシャは口をつぐんだ。私を敵視するように睨みながらだ。
「……はあ。絶対ただでは帰れないよ。それでもってならば、付き合ってあげる。ただし覚えてなさい、私はレイアとの約束で、この後あんたとモーリス連れてダンジョンに潜る予定が入ってる。私の予定を狂わせたら、あんたの角、両方へし折ってやる」
「いつの間に約束を? というか角を折るって……やはり勇者とは怖いものだな」
しかし勇者としての考えでは、ここはフィノスへと出向くのが正解と判断したのだな。
「アイシャ、よく聞け。私はしっかりと貴様を信じている。もちろん皆の事もだ。なので、この先何が起ころうとも私が皆を裏切る事などない」
「もしもそのような兆候が見えた場合、どうするのですか?」
睨むようなリサさんの瞳。ズー教団での事があるので、未だに私に厳しい目を向けているのだな。
「万が一の際には遠慮せずに大穴と共に葬ってくれ。死にたくなどないが、拷問や洗脳で裏切る事になるくらいならば、いっそ殺してくれるほうがマシだ」
「……ええ、分かりました」
これで用事のある二名は確保。
「知らない国ですからね。僕も情報収集のために行きますよ」
「そんじゃーあたしとフューラは連中の武器を粉砕して遊ぼうぜ」
「あはは。確かにレーザーライフルがフィノスに渡っている可能性もありますから、武器は片っ端から破壊しましょうか」
フューラとジリーも乗り気、というか二人も違う意味で怖い。
(――――――、――――)
私が行くならば、モーリスも行くと。
「無理はしてくれるなよ? 私にはモーリスの呪いを解くというカナタとの約束があるのだからな?」
(あはは、うん。――――)
と、ジリーがモーリスに何かを渡した。ちらっと見えたのだが、ブローチのようだった。
「はい、お守り代わり」
(……うんっ!)
やはりジリーからのプレゼントにはこれ以上なく嬉しそうな顔をする。……羨ましいなんて思わないんだからなっ!
結局は全員参加となった。果たして私の判断は、アイシャの勇者としての判断は正しいのであろうか?
……我ながら不安だ。
裏やオマケも含め、これが合計百話目でした。
という事はそれ以外が十話挟まってるって事なんですよねー。
話のパロ元は、かの有名な「水曜どうでしょう」のだるま屋ウィリー事件でした。




