第三話 救う変態 その1
第三話救う変態
世界が明るければ明るいほど空は濁った黒に染められ、世界が暗ければ暗いほど空は深く澄んだ青に染まる。色なんてのは所詮周囲の状況に左右される程度の情報でしかなく、存在を証明するものはもっと別の何かなのだろう。
志摩はたくさんの星が輝く空を眺めながら、そんなことを思った。
久々の深夜徘徊。林間学校の間ずっと禁欲生活を強いられていたため、彼の中の欲望がパンパンに張りつめていた。そこで溜まりに溜まったそれらを抜くため、意気揚々とパンツ以外の衣類を全て鞄に詰め込んで、生ぬるい暗闇に足を踏み出したのである。
自身の下着姿を見てくれる人がいないことに若干の不満と物足りなさを覚えつつ、志摩はあまり明かりのない道を選んで歩む。
暗闇の滑らかな肌触りを全身で感じながら、再び天を見上げた。
――と、そのとき。
「四季志摩君」
暗闇の中から志摩を呼ぶ、凛とした声。
志摩はその聞き覚えのある女性の声を聞いた瞬間、全身が粟立った。
身を百八十度反転させ全力で走り出す。
しかし。
「出会いがしらに逃走とはまた失礼だね。私と楽しくおしゃべりしようじゃないか」
早々に息が切れてきた志摩のそばで、悠然とした声が鼓膜を揺らす。
その言葉に反論しようと口を開いた瞬間。暗闇から伸びた手に押し倒され、派手にアスファルトに倒れこんだ。
膝や腕などを叩きつけられた痛みにうずくまっていると、その隙に背中に勢いよく数十キロがのしかかってきた。
ぐえ。つぶれた蛙のようなうめき声が肺から漏れる。
そのまま抵抗することすら許されず後ろ手に縛られ、反射的にばたばたと動かした足も無理やり押さえつけられ縛られた。ハァハァと荒い息づかいを耳に感じつつ、身動きの取れない志摩はその勢いのままパンツを脱がされ、裸体をそこにさらすこととなった。
「四季志摩君こっち向いてー。はいチーズ!」
パシャッ、という軽い音と同時にまばゆい光が一瞬志摩の視界をふさぐ。
「んー、目つむっちゃったかー。どうしよう、もう一枚撮る?」
「……空亜先輩、涎が俺の身体に垂れてます」
テンション高く尋ねる声の主に対して、志摩はうんざりといった声音で言う。
一方名前を呼ばれた女性――藤空亜は、「ああ、ごめんね。ちょっと興奮してしまって、涎が垂れていることに気が付かなかったよ。はぁはぁじゅるり」とテンション高く反省の意を表した。
「で、どうしよう、せっかくの写真だし、やっぱ綺麗に撮りたいよね。突然の事で心構えができてなかったってのもあるだろうし、やっぱりもう一枚撮ろうか」
デジタルカメラを右手に構え、志摩の意思を尋ねることなく決定する。
冷静さを取り戻す気のない空亜を志摩は「ちょ、ちょっと待ってください。タンマタンマ」とあわてて制止する。
「はい、チーズ!」
しかし止まることを知らない空亜は、志摩の言葉が耳に入っていないのかそもそも志摩の意思を考慮していないのか、迷うことなくシャッターを切る。
「おお、いいねその表情。必死に嫌がっている感じが最高だよ。嗜虐心がくすぐられるね」
楽しげに言う空亜。
一方の志摩は何とか抵抗しようと手足に力を入れるものの、がっちりと隙間なく縛られているため、芋虫のようにうねうねと動くことしかできない。
「空亜先輩、大声で助けを呼びますよ」
「そしたら私はこの写真をばら撒くよ」
志摩のせめてもの抵抗に、空亜はにやにやと口角を上げて平然と脅しかける。
「別にかまいません。俺の世間体なんて既にないも同然ですから。こないだの一件と中学のころの様々な出来事のせいで俺の評価は現在最低ラインです」
実際に撒かれると非常に困るのだが、やられっぱなしというのも癪であったため志摩は強気に出てみた。
「ならばいろいろと脚色してこの写真をばら撒いてあげよう。そうだねえ、たとえば全裸ですき家に強盗しに入ったとか、女性に全裸で襲い掛かって強姦紛いのことをしようとしたとか。それで偶然居合わせた私が君を捕えたっていう設定で。もちろん当事者等はでっちあげるよ。プライバシーを守るため、という大義名分があれば顔も名前も出す必要がないからいくらでも作り放題だ」
空亜の口からあまりに自然に出てきたその下衆な発言。志摩が思わず閉口したのを話し合いの終止符と見たのか、空亜は再びカメラを構えた。
「はいチーズ。いいねいいね。あ、そういえば以前トリビアの泉で一番いい笑顔になるのは『はいチーズ』じゃなくて『はい本気』だってやっていたね。覚えているかい? 面白い番組だったね。じゃあ次はそれでやろうか。はい、ほんきー」
志摩が抵抗しなくなったのをいいことにパシャパシャと連写する。
それから十分ほどすると、ようやく志摩の手足を縛っていたひもがほどかれた。鞄の中からタオルを取り出して、太ももや腰に大量に降った涎をふき取る。そしてパンツをはき、しぶしぶといった様子でズボンとTシャツを身に着ける。
「とりあえず今日撮ったものは公開しないことにしておくけれど、次何か風紀を乱すようなことがあれば私は迷わずこれをネット上にばら撒くよ」
空亜は彼が正しい身なりになったことを確認すると、悠然と去っていった。
それを見送ると志摩は、涎に濡れたタオルの入った鞄を手に、とぼとぼと帰宅路を歩いた。
翌日の放課後。
「てめえのパンツは何色だああああああああああああああああああ!!」
部室棟の端。志摩はバンッ、と風紀警察本部のドアを勢いよく開け、中へ一歩踏み出すと全力で叫んだ。
その彼の奇行に、しかし部屋の主たる風紀警察長官、藤空亜は全く動じない。彼女は部屋の奥のパイプ椅子に座ったまま、涼しい顔で鞄の中に手を突っ込んだ。そして中から一枚の写真を取り出し、志摩のもとへ立ち寄る。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、ひらひらと眼前にかざした。
そこに映っているのは、裸にひん剥かれた志摩の姿である。
驚愕の表情を浮かべる彼に、空亜はそれをかざしたまま携帯電話を取り出し、口角を吊り上げた。
「一本電話を入れるとこれが百枚になり、もう一本電話を入れると明日の朝には学校中に貼りだされるんだけれど――」
「すみませんでしたああああああああ!!」
皆まで言う前に全力で土下座する志摩。そんな彼をうっとりと恍惚の瞳で見つめながら、彼女はなお言葉を続けた。
「本当に謝りたい気持ちでいっぱいならば、どこでも謝れるよね? たとえ肉を焦がし骨を焼く鉄板の上だろうと」
「無茶言うな!」
思わず顔を上げてツッコむ。空亜は「冗談だよ」と嘆息して写真を鞄の中へしまった。
「非常に残念ながらここには鉄板がないからね。せいぜいローリング土下座程度しかさせることができないんだよ。さあ頑張れローリンボーイ」
「全然冗談じゃないじゃないっすか」
ローリング土下座までならさせる気満々の空亜。嗜虐的な表情を浮かべる彼女に、志摩は慌てて「そ、それよりっ」と話題の転換を図った。
「空亜先輩。今日は重要な話があってきたんです」
先までと打って変わって真剣な表情の志摩。彼のまとう雰囲気が変わったことを感じ取ったのか、空亜は悠然と腕を組んだ。
「ほう。聞こうじゃないか。とはいえ立ち話というのもなんだし、とりあえずお茶を入れるよ。そっちのパイプ椅子に座って待っていて」
彼女は興味深げにそう言うと志摩に背を向け、やかんの乗ったガスコンロに火をつけた。
志摩は指示されるままにパイプ椅子に座る。先まで空亜が座っていたパイプ椅子と、長机を挟んで対面である。手持無沙汰になった彼は、失礼だと承知しながらもきょろきょろと部屋の中を見回してみた。
部屋に入った時の第一印象でもそうだったのだが、非常に簡素な部屋である。コンクリート造りの六畳の部屋の中に配置されているのは、奥に設置された彼女専用の長机とパイプ椅子と、本がぎっしりと詰まっている本棚程度である。あとはせいぜいポットとやかんとコンロを乗せた小さなテーブル。非常に無機質で冷たい雰囲気の部屋であるが、それを和らげるためなのかか、ところどころに可愛らしいぬいぐるみが配置されているのが妙な違和感を放っていた。
「四季志摩君。何が飲みたい? コーヒーと紅茶と緑茶なら用意できるけれど」
部屋の観察に気を取られていた志摩の耳に、空亜の声が届く。コーヒーはインスタントだけれどね。そう続ける空亜の方を向くと、しゅー、という音とともにやかんがコンロの上で盛んに湯気を放っていた。
「フォアグラがいいです」
「なるほどこの熱湯を口の中へ直接注いでほしいと」
「すみませんでしたああああああ!」
ゴロゴロドタンと、即座にローリング土下座をかます。
空亜はそんな彼をうっとりと眺めつつ、茶葉を取りだした。急須に緑茶の葉を丁寧に入れ、お湯を注ぐ。
葉のうまみがしっかりと出るまで待ち、湯飲みに注ぐ。
「はい、どうぞ」
志摩の前にそっと、湯気の立ち上る湯飲みが置かれた。
「ありがとうございます」
感謝の言葉を述べてそれを手に取る。熱くて飲めそうにないため息を吹きかけて冷ましていると、残ったお湯をポットに入れた空亜が、自分の湯のみを手に対面に座った。
「――それで、四季志摩君。話ってなんだい?」
湯飲みを机に置いて尋ねる空亜。志摩は緑茶を少し口に含み、まだ飲める熱さでないことを確認するとそれを机に置いた。そして皮肉気な表情で口を開く。
「昨晩あれだけのことをしておいて心当たりがないんですか?」
対する空亜はきょとんとして「え、なにを怒っているんだい?」と不思議そうに尋ねた。
「あれは君が風紀を乱す行為をしていたから取り締まっただけだよ? 悪いのは君じゃないか」
彼女の口をつく、その悪びれることのない言葉。志摩は思わず語気を荒くする。
「それはおかしいです。先輩はあの時明らかに『風紀を守るため』という名目で自身の欲望を満たしていました。あなたの言う『風紀を守る』は目的ではなく手段である風に見えます」
厳しい口調で指摘する。すると空亜は大仰なそぶりで「心外だね」と嘆いた。
「私はあくまで風紀を守るために風紀警察を組織し、運営している。君には私がドS心を満足させたいがために行動しているように見えるかもしれないが、それはあくまで付加要素……というか、風紀を守るための道具として扱っているものだ」
「……昨日のあの興奮具合を見た俺にはその言葉は全く信用できません」
志摩は冷たい声音で突き放す。
そんな彼に空亜は、ずずっと緑茶をすすって、「そうかい。それは残念だ」と気にした風もなく言った。
「それで、君はどうしたいんだい?」
目をじっと見つめながら悠然と尋ねる彼女に、志摩は表情をかたくして口を開いた。
「あなたが本当に私利私欲のためではなく風紀を守るために風紀を守っているのか、監視したいです。――だから風紀警察に入れてください」
はっきりと目を見つめながら本題を切り出す。空亜はやや目を見開くも、想定の範囲内であったのだろうか。すぐに平静の表情へと戻した。
「風紀を乱す者が風紀警察に所属すると風紀警察全体の信用性が落ちるんだ。人を裁いてよいのは、裁かれる側の人間が納得できる人だけ。つまり何が言いたいか、分かるよね?」
諭すような、空亜の言葉。
「あれについては反省しています。もう二度と風紀を乱すような真似はしません」
「一度目は、誰であろうとその反省の言葉を信用するよ。過ちを一度もしない人などいないからね。でも、だからこそ私は、一度反省の念を述べたにも関わらず二度目の過ちを犯した人には厳しい罰を与えるようにしているんだ。――それが昨晩のあれだよ」
表面だけ取り繕った志摩の言葉を、空亜は冷たい表情で切り捨てる。
数秒間の沈黙。
「分かりました。風紀警察に入ることはあきらめます。……ですが、先にも言った通り俺は空亜先輩のことも風紀を守る人として信用できません。――ですから、俺を風紀警察の見習い的な立場にしてもらえませんか?」
空亜の瞳をしっかりと見つめながら提案する。空亜はふぅむ、と呟いて顎に手をやり考えるそぶりを見せる。
「ま、風紀を守る立場として裁く者の心に不平感を持たせるのは好ましくないしね。妥協点か」
ずずっと再び緑茶をすする。
「それじゃあ四季志摩君、君を風紀警察見習いとして採用することにするよ。活動には外側だけ参加してもらうことになるけれどそれでいいかな?」
「はい。よろしくお願いします」
志摩はそう言って頭を下げると、思い出したように緑茶をすすった。
「あ、それと」
緑茶を半分ほど飲んだところで、携帯電話を取り出した空亜に向けて、真剣な表情で切り出した。
「昨晩俺の裸見られたんで、空亜先輩の下着がみたいです」
「ちょっと言っている意味が分からないね」
至極真面目な様子の志摩に、空亜は怒るでもなく、平然と返した。
「というか君、裸を見られたというならば裸を見たいと言うべきじゃないのかい?」
「いえ、裸には興味ありませんから。今ここで先輩が衣服を脱いで全裸になったとしたら、真っ先に脱ぎ捨てられた下着に飛びつきます」
茶化すでもなくまっすぐと本心を口にする。空亜は呆れた風に苦笑いを浮かべ、「……まさか下着に負ける日が来るとは思わなかったよ」と言った。
「これでも身体には自信があったんだけれどね。私、脱いだらすごいんだよ?」
「勝負下着なんですか?」
「……いや、もういいよ」
制服ごしにもわかる、高校生離れしたプロポーション。その魅惑的な身体は、これまで多くの男子生徒を虜にし、女子生徒から妬みの視線を受けてきた。しかしそんな彼女も、志摩の一貫とした下着主義に、肉付きのよいその身体をしゅんとさせ、敗北を認めざるを得なかった。
この話は超長いんでだいぶ分割すると思います。




